2007年11月28日、著名なバイオリン製作者の陳昌鉉さん(故人)に、新進気鋭のモリンホール製作者のバヤルサイハンさんをご紹介させていただいた時の思い出です。

(右:モリンホールを手にするバヤルサイハンさん。左:チェロを手にする陳昌鉉さん)
バヤルサイハンさんは、モリンホールの向上のためにイギリスでバイオリン製作の修行を行い、日本でモリンホールのための木材を調達するなど、モンゴル国でも屈指の努力家です。その実力は、世界的なチェロリストのヨーヨー・マさんも彼を高く評価し、モリンホールを特注したほどです。
陳昌鉉さんは、『天上の弦』(山本おさむ/小学館)の主人公としても知られる、「東洋のストラディバリ」のあだ名をもつ、世界的なバイオリン製作者です。自叙伝『海峡を渡るバイオリン』(河出文庫)は、読む者に無限の勇気を与えてくれる名著です。

(バヤルサイハンさん作のモリンホールを真剣なまなざしで観察する、陳昌鉉さん)
陳さんいわく、バイオリン製作者は皆、モリンホールのことを良く知っているとのことでした。
擦弦楽器は現在のモンゴルにあたる地方から、イタリアへと伝わっていったのだとのことです。
陳さんは当初、モリンホールはもっと原始的な形状をしていたのではないか、表板は革張りだったのではないかとバヤルサイハンさんに質問しました。
バヤルサイハンさんは、バイオリンやチェロからの技術の導入のことや、昔ながらの革張りのものも製作していることを回答した後、次のように語られました。
モリンホールの共鳴胴は、木目に逆らわずにまっすぐにできています。このことが、モリンホールの音質を決める重要な要素だと思います。
つまり、音質の向上という目的の追求において、バイオリンやチェロのようなカーブを選択したイタリアの道と、まっすぐな形状を選択したモンゴルの道に、それぞれ分かれたのだということです。
そして現代において、モリンホールはバイオリンやチェロの製作技術を導入し、新しい形で成長しようとしている。
このことを、陳さんはことの他喜び、目を細めていらっしゃいました。
バヤルサイハンさんのモリンホールの音色を聴く陳さんは、全神経を集中し、さながら静かな青い炎のようでした。

モリンホールの弓にも注目し、弓の形状もモリンホールの音色を決定する重要なものですね、と評されました。
その後、陳さんは最新作のチェロを紹介くださいました。
「ストラディバリのバイオリンやチェロの音は、17世紀、18世紀の作品で、300年以上かけて生まれる音だ。だから、新作では無理だ。そのように言われてきましたけどね。(微笑み)挑戦してみたら、できたんですよ。」
その時の陳さんのチェロの音色の美しさは、おそらく生涯忘れることができないものでした。
たとえれば、森の木々の葉から明るく注ぐ木漏れ日のようでした。
陳さんはこのように語ってくださいました。
バイオリンを長年製作してて、分かったことがあります。それは、すべてのものが自然のもので出来ているということです。材料も。形も。答えはすべて、自然の中にあったんです。
バイオリンやチェロの音、擦弦楽器の音色は、自然の音そのものなんです。川のせせらぎ。木々のざわめき。鳥の歌声。そして、そうした自然の音が、現代社会には不足している。だから、子どもたちがキレやすい性格になったり、現代の病が起きている。私たち、バイオリンを作る者、モリンホールを作る者、人の心を救う楽器を作っているのだということを、大事にしたいですね。
また、陳さんはバイオリンの弓に使うウマの尾の毛は、モンゴル国産が最上質であることを話され、多方面でバヤルサイハンさんとの親交を深められました。
「音に夢あり。成し遂げようという志があれば、必ず実現できます!」
文化を継承し、向上していく人同士の心と魂の対話が、そこにはありました。
モリンホールはこれからも成長を続け、私たちを感動させてくれることでしょう。
陳昌鉉さんを偲んで。
平成25年5月18日 みずばしょう

(右:モリンホールを手にするバヤルサイハンさん。左:チェロを手にする陳昌鉉さん)
バヤルサイハンさんは、モリンホールの向上のためにイギリスでバイオリン製作の修行を行い、日本でモリンホールのための木材を調達するなど、モンゴル国でも屈指の努力家です。その実力は、世界的なチェロリストのヨーヨー・マさんも彼を高く評価し、モリンホールを特注したほどです。
陳昌鉉さんは、『天上の弦』(山本おさむ/小学館)の主人公としても知られる、「東洋のストラディバリ」のあだ名をもつ、世界的なバイオリン製作者です。自叙伝『海峡を渡るバイオリン』(河出文庫)は、読む者に無限の勇気を与えてくれる名著です。

(バヤルサイハンさん作のモリンホールを真剣なまなざしで観察する、陳昌鉉さん)
陳さんいわく、バイオリン製作者は皆、モリンホールのことを良く知っているとのことでした。
擦弦楽器は現在のモンゴルにあたる地方から、イタリアへと伝わっていったのだとのことです。
陳さんは当初、モリンホールはもっと原始的な形状をしていたのではないか、表板は革張りだったのではないかとバヤルサイハンさんに質問しました。
バヤルサイハンさんは、バイオリンやチェロからの技術の導入のことや、昔ながらの革張りのものも製作していることを回答した後、次のように語られました。
モリンホールの共鳴胴は、木目に逆らわずにまっすぐにできています。このことが、モリンホールの音質を決める重要な要素だと思います。
つまり、音質の向上という目的の追求において、バイオリンやチェロのようなカーブを選択したイタリアの道と、まっすぐな形状を選択したモンゴルの道に、それぞれ分かれたのだということです。
そして現代において、モリンホールはバイオリンやチェロの製作技術を導入し、新しい形で成長しようとしている。
このことを、陳さんはことの他喜び、目を細めていらっしゃいました。
バヤルサイハンさんのモリンホールの音色を聴く陳さんは、全神経を集中し、さながら静かな青い炎のようでした。

モリンホールの弓にも注目し、弓の形状もモリンホールの音色を決定する重要なものですね、と評されました。
その後、陳さんは最新作のチェロを紹介くださいました。
「ストラディバリのバイオリンやチェロの音は、17世紀、18世紀の作品で、300年以上かけて生まれる音だ。だから、新作では無理だ。そのように言われてきましたけどね。(微笑み)挑戦してみたら、できたんですよ。」
その時の陳さんのチェロの音色の美しさは、おそらく生涯忘れることができないものでした。
たとえれば、森の木々の葉から明るく注ぐ木漏れ日のようでした。
陳さんはこのように語ってくださいました。
バイオリンを長年製作してて、分かったことがあります。それは、すべてのものが自然のもので出来ているということです。材料も。形も。答えはすべて、自然の中にあったんです。
バイオリンやチェロの音、擦弦楽器の音色は、自然の音そのものなんです。川のせせらぎ。木々のざわめき。鳥の歌声。そして、そうした自然の音が、現代社会には不足している。だから、子どもたちがキレやすい性格になったり、現代の病が起きている。私たち、バイオリンを作る者、モリンホールを作る者、人の心を救う楽器を作っているのだということを、大事にしたいですね。
また、陳さんはバイオリンの弓に使うウマの尾の毛は、モンゴル国産が最上質であることを話され、多方面でバヤルサイハンさんとの親交を深められました。
「音に夢あり。成し遂げようという志があれば、必ず実現できます!」
文化を継承し、向上していく人同士の心と魂の対話が、そこにはありました。
モリンホールはこれからも成長を続け、私たちを感動させてくれることでしょう。
陳昌鉉さんを偲んで。
平成25年5月18日 みずばしょう
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