昨夜Twitterでつぶやいた内容ですが、メモ用にまとめてブログにUPしました。

(1) 内モンゴルとモンゴルに詳しい人は少ないです。研究者や学者くらいでしょう。
そもそも内モンゴルの存在さえ知らない人もいっぱいいるようです。
内モンゴルは中国の北の方にある自治区で、中国の領土になります。モンゴルは独立した国家です。
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(2)内モンゴルは学校とかでは、昔ながらの モンゴル縦文字を使い、社会では中国語がメインになります。モンゴル人も中国語を習わないと社会でて生き残るのは困難でしょう。日常会話に良く中国語が飛び回るのも その原因の一つです。

(3)モンゴルはロシア文字と同じくキリル文字を使っています。
モンゴルはソ連と仲良くて、ソ連を真似してきた文化が今でも残っています。
小中学の制服は日本のメイド服に似てるのも、会話によくロシア文字の単語がでてくるのも その一つです。

(4)中国人は、モンゴル国のことを「外モンゴル」、内モンゴル自治区のことを「内モンゴル」と呼ぶので、この呼び名のほうがピンとくるかたもいらっしゃるかもしれませんね。(ちなみに、モンゴル人は「北モンゴル」「南モンゴル」と呼んでいます。)
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(5)モンゴルの人口265万人(うち9割がモンゴル人)いますが、内モンゴルのモンゴル人は400万人。モンゴルの国土面積は日本の4倍ですが、内モンゴルの面積は日本の3倍です。

(6)モンゴルは1911年の辛亥革命後ロシアの支援で、チベット仏教の活仏ラマを君主とするボグド・ハーン政権が生まれ、1924年にモンゴル人民共和国として独立した。

(7)一方、内モンゴルではモンゴルへの併合か独立か自治かと主張もばらばらだった。1932年に日本が満州国を成立させると、内モンゴル東部は満州国に組み込まれた。

(8)これをチャンスと見たのが徳王で、百霊廟に内モンゴル西部の王族たちを集め、中国政府に対して内モンゴルの自治権拡大運動を開始。蒋介石はモンゴル人をつなぎ止めるためにこれを認めて、1934年に蒙古地方自治政務委員会(百霊廟蒙政会)が設立された。
 




(9)一方、日本軍も「第二の満州国」作りを狙って徳王に接近し、内モンゴル西部に侵入して中国軍を追い払い、1937年10月に厚和(現フフホト)で蒙古連盟自治政府が成立した。

(10)そのあと徳王は「ジンギスカン30代目の子孫」を名乗り、中国からの独立を宣言しようとしたが、関東軍は決して認めなかった。なぜなら「モンゴル固有の領土を回復」を掲げた徳王が独立国を作れば、満州国に編入されている内モンゴル東部が不安定になってしまうからです。

(11)1945年8月、日本の敗戦によって、日本軍に支えられていた蒙古自治邦は満州国と共に瓦解した。そのあとモンゴルは内モンゴルの独立を支援しようとしたがのですが、ソ連によって止められた。

(12)そして、1949年10月に中華人民共和国が成立され、12月に内モンゴル自治区が誕生して、
ウランフは主席に就任した。

(13)毛沢東がこうして満州国や蒙古自治邦、東トルキスタン共和国のように、外国勢力が民族問題に付け入って傀儡政権を作り、そこで少数民族に「国」を作らせるのは止めて、自治体レベルのものに留め、区域自治だと称した。

(14)一方、ソ連の真似をした社会主義の道を歩んだモンゴルは1990年の民主化後国家大会議と大統領が並立する二元主義的議院内閣制(半大統領制)を採用した。まだ20年しか経ってないのですが、モンゴル国民は自由と平等を訴えることができる。これが内モンゴルとの大きな差を生むでしょう。

(15)日本にいるモンゴルの有名人と言えば皆さん御存知の朝青龍、白鵬、日馬富士、 旭鷲山。そして内モンゴル出身の有名人と言えば楊 海英、バーボルド。

(16)モンゴルと内モンゴルの国民性の違い:モンゴルはハルハ族が大半数を占め、他のモンゴル系諸民族で構成した国家です。一方、内モンゴルは80%以上が漢民族と構成になっている為、モンゴル人はチンギス・ハーンの誇りを持ち、プライドも高いです。そして伝統文化への思いや保護活動はモンゴルよりも積極的に取り込んでいます。

以上内モンゴルとモンゴルの違いと由来でした。

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参考資料  http://www.geocities.jp/keropero2003/syometsu/innermongolia.html  

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