面白い記事がありましたので転載させて頂きます。
記事元はこちら 白鵬関が護る大相撲の矜持

横綱の白鵬関は在日モンゴル留学生会が主催するハワリンバヤルに毎年応援に訪れ、ハワリンバヤルに来場するすべての人々に祝福を送ってくださいます。
本日2011年2月9日、大相撲の力士たちによる一連の八百長事件について、宮城野部屋の横綱の白鵬関が、横綱として、大相撲の全力士を代表してお詫びする公式の記者会見を行ないました。
しかし、ある記者の質問があまりにも今の日本を象徴するかのような、悲しい内容でした。
記者:「横綱自身が八百長に関わったり直接聞いたりといったことは、ないですか?」
白鵬:「ないとしか言えないじゃないですか。そんな質問は、懸命に相撲に励む力士たちに対しても、失礼ですよ。」
私はここに、白鵬関と大相撲の矜持を考えるための、私なりの意見を述べます。
まず、大相撲の八百長事件が発覚した時から今に至るまで、日本の民間のマスメディアが全紙・全局・全番組で一致して、「千代白鵬」をつねに見出しに掲載し報道し続けていることに対し、「イメージ操作」という共通の目的が存在しているとしか思えません。
特に、「ないとしか言えないじゃないですか」の後に白鵬関が記者をたしなめ、力士全員の矜持を守っているコメントはその後の報道で編集され、「ないとしか言えないじゃないですか」というコメントだけを掲載し、あげくにそれを「微妙な言い回し」や「曖昧」と報じる各社の態度には、もはや悲憤以外の何物も感じません。
そして、事件に便乗した形で、国技としての大相撲を批判する目的で、相撲の起源や歴史をしゃあしゃあと解説しコメントする方々が実に多くいらっしゃいますが、国技としての大相撲を語る上では絶対にはずしてはならない二人の存在から、マスメディアも有識者も、今回は誰もが逃げています。
それは、相撲の起源でもある『古事記』のタケミカヅチの神様と、江戸時代の横綱、二代目谷風関です。
タケミカヅチの神様とタケミナガタの神様の勝負は、相撲の起源とされています。その勝負は、うそかけひきもけがれもない、力と力のぶつかり合いであり、それゆえに神聖な、国技としての相撲の世界の基礎となっています。
二代目谷風関は、当時の相撲における八百長を、横綱として誰よりも怒り、憎んだ力士です。そして、谷風関はこれを根絶するため自らの無双の強さをもって、八百長を絶対に許さないと、力士と観衆に生涯訴えた横綱です。それゆえに二代目谷風は「横綱の中の横綱」と日本中から尊敬され、愛され、「谷風」は今も大相撲の世界で、不可侵の神聖なしこ名になっています。また、谷風は宮城の出身であり、白鵬は宮城野部屋の所属です。両横綱の運命的な縁を感じずには、いられません。
相撲は間違いなく、日本の国技なのです。国技でなくてはいけない、八百長などのけがれを許さない、神聖なものなのです。
私はマスメディアに対して、日本人としてタケミカヅチの神様も二代目谷風も語ることができないなら、大相撲の八百長のことなど絶対に語って欲しくないと思っています。
白鵬関は、昨年の賭博事件の総括として「横綱の白鵬も花札をやっていた」というあまりに残酷なスケープゴートとなりながらも、黙して相撲に打ち込むことで大相撲の矜持の回復に全精力を注ぎました。相撲協会による決定で優勝しながらも天皇賜杯を手にできず大粒の涙をこぼした白鵬関に、今上天皇陛下の大御心でもある御手紙がおくられたことは、誰もが記憶に新しいことかと思います。
その白鵬関に対して、日本のマスメディアの報道はあまりにも悲しすぎますし、何よりハワリンバヤルでモンゴル人と日本人の両者に祝福を送る白鵬関を知る私としては、白鵬関と大相撲の矜持を、どうか考えて欲しいという気持ちでいっぱいです。
相撲の究極の型は、双葉山関の言葉にも有名な「木鶏」(もっけい)と言います。強さを極めた闘鶏の構えが木彫のように静止しているというたとえです。白鵬関の土俵の構えを、みなさんどうかご覧になってみてください。
タケミカヅチの神様の無双の強さは、『古事記』でも以下のように描写されています。
タケミナガタの神様は、千人の男がようやく引いて動かせるほどの大きな岩を、指先でひょいと持ち上げてみせながら、タケミカヅチの神様に勝負を挑みました。そんなタケミナガタの神様もタケミカヅチの神様にはてんで歯が立たず、タケミカヅチの神様はタケミナガタの神様の腕を、まるで若い葦(よし)の茎のようにくしゃっとつかみ、ひょいと放り投げてしまいました。
タケミナガタの神様は「千引の岩」、タケミカヅチの神様は「十束の剣」という武器をそれぞれ持ちながら、お互いに素手で勝負しました。そして、タケミカヅチの神様が勝ったことをオオクニヌシの神様が見届けたのです。これが、相撲の起源とされています。
ちなみにこの箇所は『古事記』研究、広く言えば日本史研究、日本研究の中で、もっとも解釈が難しい箇所でもあります。歴史学者・哲学者として著名な梅原猛先生も、近年になって出雲王朝の存在の可能性を示唆するなど、非常にホットなパワースポットでもあります。歴史学という土俵で、東の方と西の方ならぬ、右の翼と左の翼の屈強の力士たちが、史実という行司を介し、熱い熱い相撲を展開している土俵なのです。
白鵬関が土俵際で腰を落とし、相手力士の腕やまわしを片手でつかんで一気に投げる様は、まさにタケミカヅチの神様のご勇姿が、今ここにそのまま映されたかのようです。そして、白鵬関に限らず、力士たちのこうした白熱しかつ清らかな勝負の美しさゆえに、相撲は日本の国技であり、世界のスポーツとしても愛されているのだと思います。
白鵬関が護る大相撲の矜持を、どうかみなさん、考えてみてください。
本日2011年2月9日、大相撲の力士たちによる一連の八百長事件について、宮城野部屋の横綱の白鵬関が、横綱として、大相撲の全力士を代表してお詫びする公式の記者会見を行ないました。
しかし、ある記者の質問があまりにも今の日本を象徴するかのような、悲しい内容でした。
記者:「横綱自身が八百長に関わったり直接聞いたりといったことは、ないですか?」
白鵬:「ないとしか言えないじゃないですか。そんな質問は、懸命に相撲に励む力士たちに対しても、失礼ですよ。」
私はここに、白鵬関と大相撲の矜持を考えるための、私なりの意見を述べます。
まず、大相撲の八百長事件が発覚した時から今に至るまで、日本の民間のマスメディアが全紙・全局・全番組で一致して、「千代白鵬」をつねに見出しに掲載し報道し続けていることに対し、「イメージ操作」という共通の目的が存在しているとしか思えません。
特に、「ないとしか言えないじゃないですか」の後に白鵬関が記者をたしなめ、力士全員の矜持を守っているコメントはその後の報道で編集され、「ないとしか言えないじゃないですか」というコメントだけを掲載し、あげくにそれを「微妙な言い回し」や「曖昧」と報じる各社の態度には、もはや悲憤以外の何物も感じません。
そして、事件に便乗した形で、国技としての大相撲を批判する目的で、相撲の起源や歴史をしゃあしゃあと解説しコメントする方々が実に多くいらっしゃいますが、国技としての大相撲を語る上では絶対にはずしてはならない二人の存在から、マスメディアも有識者も、今回は誰もが逃げています。
それは、相撲の起源でもある『古事記』のタケミカヅチの神様と、江戸時代の横綱、二代目谷風関です。
タケミカヅチの神様とタケミナガタの神様の勝負は、相撲の起源とされています。その勝負は、うそかけひきもけがれもない、力と力のぶつかり合いであり、それゆえに神聖な、国技としての相撲の世界の基礎となっています。
二代目谷風関は、当時の相撲における八百長を、横綱として誰よりも怒り、憎んだ力士です。そして、谷風関はこれを根絶するため自らの無双の強さをもって、八百長を絶対に許さないと、力士と観衆に生涯訴えた横綱です。それゆえに二代目谷風は「横綱の中の横綱」と日本中から尊敬され、愛され、「谷風」は今も大相撲の世界で、不可侵の神聖なしこ名になっています。また、谷風は宮城の出身であり、白鵬は宮城野部屋の所属です。両横綱の運命的な縁を感じずには、いられません。
相撲は間違いなく、日本の国技なのです。国技でなくてはいけない、八百長などのけがれを許さない、神聖なものなのです。
私はマスメディアに対して、日本人としてタケミカヅチの神様も二代目谷風も語ることができないなら、大相撲の八百長のことなど絶対に語って欲しくないと思っています。
白鵬関は、昨年の賭博事件の総括として「横綱の白鵬も花札をやっていた」というあまりに残酷なスケープゴートとなりながらも、黙して相撲に打ち込むことで大相撲の矜持の回復に全精力を注ぎました。相撲協会による決定で優勝しながらも天皇賜杯を手にできず大粒の涙をこぼした白鵬関に、今上天皇陛下の大御心でもある御手紙がおくられたことは、誰もが記憶に新しいことかと思います。
その白鵬関に対して、日本のマスメディアの報道はあまりにも悲しすぎますし、何よりハワリンバヤルでモンゴル人と日本人の両者に祝福を送る白鵬関を知る私としては、白鵬関と大相撲の矜持を、どうか考えて欲しいという気持ちでいっぱいです。
相撲の究極の型は、双葉山関の言葉にも有名な「木鶏」(もっけい)と言います。強さを極めた闘鶏の構えが木彫のように静止しているというたとえです。白鵬関の土俵の構えを、みなさんどうかご覧になってみてください。
タケミカヅチの神様の無双の強さは、『古事記』でも以下のように描写されています。
タケミナガタの神様は、千人の男がようやく引いて動かせるほどの大きな岩を、指先でひょいと持ち上げてみせながら、タケミカヅチの神様に勝負を挑みました。そんなタケミナガタの神様もタケミカヅチの神様にはてんで歯が立たず、タケミカヅチの神様はタケミナガタの神様の腕を、まるで若い葦(よし)の茎のようにくしゃっとつかみ、ひょいと放り投げてしまいました。
タケミナガタの神様は「千引の岩」、タケミカヅチの神様は「十束の剣」という武器をそれぞれ持ちながら、お互いに素手で勝負しました。そして、タケミカヅチの神様が勝ったことをオオクニヌシの神様が見届けたのです。これが、相撲の起源とされています。
ちなみにこの箇所は『古事記』研究、広く言えば日本史研究、日本研究の中で、もっとも解釈が難しい箇所でもあります。歴史学者・哲学者として著名な梅原猛先生も、近年になって出雲王朝の存在の可能性を示唆するなど、非常にホットなパワースポットでもあります。歴史学という土俵で、東の方と西の方ならぬ、右の翼と左の翼の屈強の力士たちが、史実という行司を介し、熱い熱い相撲を展開している土俵なのです。
白鵬関が土俵際で腰を落とし、相手力士の腕やまわしを片手でつかんで一気に投げる様は、まさにタケミカヅチの神様のご勇姿が、今ここにそのまま映されたかのようです。そして、白鵬関に限らず、力士たちのこうした白熱しかつ清らかな勝負の美しさゆえに、相撲は日本の国技であり、世界のスポーツとしても愛されているのだと思います。
白鵬関が護る大相撲の矜持を、どうかみなさん、考えてみてください。
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