ザ・プレミアム 「史上最大の謎 チンギス・ハンの墓〜俳優・東出昌大 モンゴルの大地を行く〜」
オルドス チンギスハーン陵

オルドスにあるチンギスハーン陵 pic.twitter.com/qapxnjgY60
— ミスターモンゴル🇲🇳 (@Morinhoor) February 23, 2024
こちらは、国内外から毎年たくさんの人が来て参拝しています。
限界ペリキッズ超絶内モンゴル旅行
— София Ся@🇮🇳🇪🇬🇹🇷🇫🇷🇨🇭🇮🇹 (@Sophia_X_D_W) July 17, 2023
〜オルドス編〜
チンギスハン陵を見に草原を突っ切ってオルドスへ。遠かったけど綺麗だったし行ってよかったです。遮る物なくて暑かったけど…
写真はチンギスハン陵欲張りセット pic.twitter.com/YCziyXwK2s
内蒙古のオルドス市にあるチンギスハン陵。亡骸はまだ見つかっていないが、お墓は立派。 #中国 pic.twitter.com/RkHgrX3WRP
— China Tips by myokoi (@myokoi1962) May 7, 2019

地元モンゴル人にとっては聖地ですが、中国政府にチンギスハーンは「中華民族の英雄」として利用され、ただの観光地として開発が進んでいます。残念です。

だたし、
オルドスのチンギスハーン陵、実は元々日本軍が宣伝ポスターとして設計したモノだった。
— ミスターモンゴル🇲🇳 (@Morinhoor) May 8, 2021
結局、日本が敗戦してのちに中国が設計を採用して作ったようだ。
オルドスと日本がこんな繋がりあったとは知らなかった。
確かに、陵は避難するため一時期兰州や青海に移ったことがある。 pic.twitter.com/zsC2sKmy1d
というと、
日本人の設計が中国共産党に利用され、我々モンゴル人は中国人に利用されている結論にたどり着く。でいいのかな?!
ウランホト チンギスハーン廟

そして、
南モンゴルにもう一つのチンギスハン陵がありました。
Xで知り合いから教えてもらい知ったところです。
それが行きついた先が、ウランホトに特務機関主導で作った成吉思汗廟。なんでも成吉思汗を祀った本殿の天井裏には三種の神器を隠してあったとか。今でも街のシンボルでした。 pic.twitter.com/Tl7MeFURpJ
— 9002.11‐010 (@inamiyasuto) May 13, 2017




言うまでも「五族協和」をうたってた満州国の時代でした。
当時は、チンギスハーン神社
【資料】田中剛『成吉思汗廟の創建』
https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/113-139.pdf
チンギス・ハーン廟、
— ミスターモンゴル🇲🇳 (@Morinhoor) February 24, 2024
設計と施工には満洲国建築局の日本人技師があたり、明治神宮外苑の「聖徳記念絵画館」とチベット仏教寺院をミックスさせたデザインの廟は、こうして終戦間近の1944年(昭和19年)に竣工したのである。 pic.twitter.com/pLUj2tPhkW
神社社殿がそのまま残っている場所もあります。これは、日本軍が内蒙古に作った傀儡政権の蒙古連合自治政府の首都・張家口にあった蒙疆神社。拝殿、本殿の建物が残ってます。ここの祭神だった北白川宮永久は、今は靖国神社の祭神になってます。 pic.twitter.com/wae9mBfF5y
— 9002.11‐010 (@inamiyasuto) July 12, 2019
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