毎度、編集長のタケシです。
史上最大の帝国を創設したチンギスハーン、評価は様々ですが、謎も多いです。

その一つが、お墓です。
世界各国に調査団がモンゴルに入り、チンギスハーンのお墓を探していますが、今だに見つかったないです。


ザ・プレミアム 「史上最大の謎 チンギス・ハンの墓〜俳優・東出昌大 モンゴルの大地を行く〜」
https://www.tvu.co.jp/program/higaside_mongol_89/

「ジンギスカンの墓探し・続報」
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/ima_toki/nab3mq0000000o81.html

Gadgets Join the Search for the Lost Tomb of Genghis Khan
https://www.wired.com/2009/07/genghis-khan/

オルドス チンギスハーン陵

チンギスハーンの陵墓1
チンギスハーン廟と言えば、南モンゴルのオルドスにあるのが有名です。

こちらは、国内外から毎年たくさんの人が来て参拝しています。
チンギスハーンの陵墓3
地元モンゴル人にとっては聖地ですが、中国政府にチンギスハーンは「中華民族の英雄」として利用され、ただの観光地として開発が進んでいます。残念です。
チンギスハーンの陵墓4
だたし、
こちらの建物は、元々日本軍が宣伝ポスターとして設計したモノだった。
衝撃を受けました。知っていました?!

というと、
日本人の設計が中国共産党に利用され、我々モンゴル人は中国人に利用されている結論にたどり着く。でいいのかな?!

ウランホト チンギスハーン廟

スクリーンショット 2024-02-24 173944
そして、
南モンゴルにもう一つのチンギスハン陵がありました。
Xで知り合いから教えてもらい知ったところです。



戦後75年・蘇る満洲国(11)残存建築物が物語るもの
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62444

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実は、
これも日本人が深く関わっていました。
こちらの建物は1940年に工事を開始し、4年後に完成したそうです。
五族協和1
言うまでも「五族協和」をうたってた満州国の時代でした。

当時は、チンギスハーン神社
建てるという話も持ち上がってたようで、結局チンギスハーン廟という形で落ち着いたわけだ。

【資料】田中剛『成吉思汗廟の創建』
https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/113-139.pdf



満洲国グランドホテル
平山周吉
芸術新聞社
2022-04-22



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