CT写真11
【写真】CT写真と映像を収録したCD、ビャンバ医師が書いた飲み薬の処方せん

 今回の訪モで、私は尿管結石の病気になってしまった。モンゴル国立第一病院泌尿器科の皆さんにお世話になった。感謝申し上げます。ありがとうございました。

 5月26日夜、私は、ガルバドラッハ(愛称ガラ)新モンゴル学園理事長の自宅で晩ご飯をごちそうになった。妻ダワージャルガルさん手作りの野菜スープ、肉料理、サラダなどにビールも飲み、「ああ食った食った」てな感じで、近くのホテルまで歩き、午後8時ごろ、ベッドで横になった。

 夜中の何時ごろだったか。なんか様子がおかしいことに気付いた。右の腎臓のあたりが痛み出した。私は29年前、生まれて初めて仙台市立病院の泌尿器科に入院した。右の尿管結石だった。このときの症状に、よく似ていた。当時は11泊の入院だった。

私は28日、日本に帰国することになっていた。痛みをこらえながら、27日午前6時、ガラさんにSOSの電話をした。

 ガラさんは最近、ロータリークラブで活動中だ。フェイスブックによると、日本のロータリークラブの皆さんは、モンゴルのロータリークラブを介して、モンゴル国立第一病院の泌尿器科に前立腺レーザー光線手術などの機材を寄付していた。

 ガラさんは、病院の医師たちを知っていた。この人脈が幸いした。モンゴルにも救急センターはある。外国人を受け入れることもできるそうだ。ただ、私の場合、29年前の経験から尿管結石らしいことがわかっていた。モンゴルと日本のロータリークラブの交流の件も知っていた。ということで、モンゴル国立第一病院の泌尿器科に直接、受診することはできないかと思った。病院は、私が泊まっていたホテルに近い。

 ガラさんもそのことは理解していた。ということで、土曜日だったが、病院が開く午前9時、ガラさんと元秋田大学留学生のオギ君に車で連れていってもらった。

 ガラさんが連絡してくれていたので、病院の対応は速かった。さっそく、左手の甲に針を刺して採血。続いて超音波診断。こちらでは腎臓の腫れとかは特に異常はなく、石も見つからなかった。

 続いて泌尿器科のビャンバ医師による問診。私の症状と29年前の経験から、私は尿管結石ではないかと申し上げた。ビャンバ医師は納得したらしく、診察室隣のソファに横になって安静にするよう指示しながら、右手首から痛み止めの点滴治療を開始した。

 そのとき、もう一人のガンボルド医師が現れた。彼は土曜日の休日だったが、日本人の患者が来たと知って、わざわざ出てきてくれた。そして私に名刺を差し出しながら「だいじょうぶ、心配いりませんよ」といった表情で点滴を見守ってくれた。

 30分ほどたって、痛みが収まったころ、ビャンバ医師は、私を隣の建物に連れて行き、CT写真を撮った。オギ君によると、ここは病院とは別会計だそうで、私は15万トゥグルグ(6000円?)を現金で支払った。

休憩をはさみ、CT写真が出来上がったところで、再びビャンバ医師の診察室へ。CTの画像を見たビャンバ医師は「石は尿管の下、膀胱の近くにあるので、自然に落ちるのではないか」と話した。続いて、飲み薬を処方するので、後は、ホテルで休むようにと説明。「もし、痛みがひどくなったら、いつでも来てください」と言った。

飲み薬は、尿管をリラックスさせるものや痛み止めなど4種類だった。オギ君と一緒に薬局に行き、薬代は私が支払った。飲み薬は、ホテルに戻って服用した。病院の診察料、点滴代などの請求はなかった。たぶん、ガラさんが精算してくれたのだと思う。それともロータリークラブとの交流を配慮して免除してくれたのか。

 28日朝、成田空港に行く飛行機はどうするか。ガラさんは、出発前の朝、病院で痛み止めの点滴治療を行う段取りを考えていたようだが、私は、その心配はないと申し上げた。点滴と飲み薬が効いたのか、27日夜は安定していた。

 28日、空港に着いたときも安定していたが、飛行機に乗ったころ、また痛み出した。成田に着いたとき、痛みは収まったが、京成スカイライナーと東北新幹線に乗ったころは、また痛みが出た。

 仙台の自宅に戻ったときは、あす病院に行ってみようと考えていた。痛みは、尿路に沿って、少しずつ下部に動いているように感じていた。夜中、なんか体が軽くなったように感じた。痛みも消えた。多分、ビャンバ医師の予想通り、石が落ちたのだと思う。その後、体の疲れは残ったが、いつもの調子であり、異常はなく、病気は治ったと思っている。皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。


▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

このエントリーをはてなブックマークに追加