盛岡のミシェル
【写真】岩手県盛岡広域振興局土木部の除雪車とミシェルさん

 岩手県盛岡広域振興局の土木部道路管理課で、岩手大学工学部(現在は理工学部)を卒業したモンゴル人、ナブチマー・ミシェルさんが技術職員として働いている。日本では外国人がさまざまな分野に進出している。各地の自治体には国際交流員(CIR)の外国人がいる。しかし、日本人と同じ職種の公務員として勤務している外国人は珍しいのではないか。

 ミシェルさんの仕事は、県が発注する工事の設計積算、入札のための書類作成、応札した業者とのやり取り・監督など。道路の維持管理では、穴の補修や舗装のし直しはもちろん、夏場の草刈り、冬場の除雪、苦情電話の受け付けまで、さまざまある。

 ミシェルさんは、2012年、岩手大の建設環境工学科を卒業した。私費留学でマブチ国際育英財団の奨学金を受給した。卒業後、北海道の建設会社に就職した。建設業法による2級土木施工管理技士の国家資格を取得した。

2015年5月、岩手県の臨時職員となった。結婚のため盛岡に戻ったのだが、仕事もしたいと思い、ハローワークに行った。県が工事監督補助員を募集していた。「県庁の仕事が、どのようなものなのか、よく理解しないまま応募した」という。盛岡広域振興局の道路整備課で道路建設の監督業務に当たった。

 半年後、臨時職から任期付き職員に「昇格」した。上司から「任期付きに移ってはどうか」と勧められたという。当時、東日本大震災の復旧工事が多く、人手が足りない事情もあった。 任期付き職員を5年間勤めた後、民間から正職員に中途採用する試験を経て、2020年11月に本採用となった。

 ミシェルさんの夫、モンゴル人のムンフバットさんは、岩手大の人文社会科学部を卒業した。4年間、安田財団の奨学金を受けた。彼は現在、盛岡市郊外の滝沢市で羊牧場を経営している。羊120頭を飼育し、肉は盛岡市内の2店に出荷しているほか、羊毛は盛岡の伝統工芸ホームスパン用に使われている。



 ムンフバットさんは、滝沢市商工会青年部副部長として地域おこしにも取り組んでいる。2021年12月、福岡県久留米市で開かれた商工会青年部主張発表全国大会に東北北海道ブロック代表として出場、優秀賞に輝いた。テーマは「青年部が生んだメイドインジャパン」。青年部のつながりで、空き家になっていた牧場を借り、日本の羊文化の振興に力を注いでいることを報告した。

 ミシェルさん、ムンフバットさん夫妻には、8歳、3歳、1歳7カ月と3人の子がいる。長男は小学校の2年生だ。「サッカー選手になりたい」と言う。

夫婦は2年前、岩手大学近くにマイホームを新築した。リビングには、モンゴル国ザブハン県オトゴンテンゲル山の大きな写真が飾ってある。ムンフバットさんの祖父母は、この山のふもとで遊牧生活を送った。彼は、子どものころ、祖父母のゲルに寝泊まり、羊の飼育を手伝った。写真を見ていると、そんな楽しい日々を思い出すという。オトゴンテンゲル山は、彼の原点だ。

 ミシェルさんは、車を運転するとき、ごみ出しをするときなど、いつも県庁職員であると自分に言い聞かせている。あの人は公務員なのに、外国人だから…と、まゆをひそめられることがないように気を遣っているという。

二人は永住権を取得している。日本の国籍を取得するかどうかは、わからない。しかし、二人は、日本社会に溶け込み、大相撲で活躍するモンゴル人力士に負けないぐらいに頑張っている。私は、若い日本人の手本になる夫婦だと思う。



▽森修 もり・しゅう     

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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