1 日本人慰霊堂
【写真 霸手の日本人捕虜収容病院(アムラルト病院)跡の北西角辺りにある「モンゴル殉難日本人霊堂」。枯草に埋もれたように立っている

 ウランバートル郊外のダンバダルジャーにある日本人慰霊碑(墓地跡)や寺院の辺りは何度も訪れているが、今回の訪モでは初めて、寺の境内にある「モンゴル殉難日本人霊堂」の中を見せてもらった。

 寺の本堂とは別の受け付けのような建物の中で「話を聞きたい」と申し込んだ。岩手大学を卒業したバーサンドルジさんに通訳してもらった。しばらく待った後、寺院副長の僧侶、ラオグスレンさんに対応してもらった。

 寺院は1765年ごろ創設された。古い歴史を誇る。しかし、社会主義時代の宗教弾圧のため1937年ごろ、運営をやめてしまう。その後、境内に日本人捕虜の管理施設ができる。1939年のノモンハン事件(ハルハ川戦争)と1945年の日本の敗戦による戦後処理が必要だった。

 捕虜の管理施設とは、一般にアムラルト(休養)病院と呼ばれる捕虜収容病院のことのようだ。ラオグスレンさんによると、日本人捕虜がいなくなってから、モンゴル人向けにアムラルト病院と呼ばれるようになり、結核患者が療養した。しかし、診療はいつのまにか途絶えてしまったという。

 一通り話を聞いた後、日本人霊堂に案内してもらった。鍵を開け、中に入る。電気はなく暗い。ほこりっぽい中、ノートに記帳する。
2春日さん遺影
【写真◆枸酘欧涼罎望ってある春日行雄さんの遺影
 
  春日行雄さんの遺影があった。春日さんは、捕虜ながら軍医だったことから、捕虜収容病院に勤務した。帰国後、日本人に慰霊のための墓参を呼びかけ、この熱心な活動が、モンゴルと日本が国交を結ぶことにつながったと言われている。
3殉難者の名簿
【写真】春日行雄さんの遺影のそばに置かれたノモンハン事件の戦死者名簿
 
  霊堂の中、春日行雄さんの遺影のそばに、ノモンハン事件の戦死者名簿があった。春日さんが手書きしたものか。とても貴重な資料に思えた。

 この霊堂と捕虜収容病院の跡を含む寺院の一帯は、寺院、ウランバートル市、モンゴル人出資者の三者の手で公園に整備する計画があるという。しかし、出資者が訴訟に巻き込まれた関係で、計画は中断したままだという。今にも崩れ落ちそうだった病院の建物が、元のまま再建されたのは、この公園化計画の一環だったのだろうか。2019年夏、寺院北の山の斜面に遊歩道ができた。これも公園計画の流れの中で進められたのか。

 モンゴルと日本が国交を結んで今年は50年だ。歴史を振り返るとき、日本人のモンゴル抑留は、避けて通れない。ダンバダルジャーの日本人慰霊碑、寺院境内の霊堂と病院跡、そしてノゴーンノール公園の「さくら博物館」。この三つは、一体でとらえることはできないものか。モンゴル抑留は、負の遺産ではある。しかし、日モ両国の友好親善と前向きに考えることは可能ではないか。


▽森修 もり・しゅう     

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

ノモンハンの真実 日ソ戦車戦の実相
古是三春
潮書房光人新社
2019-11-30


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