ゲルの博物館
【写真 曠離粥璽鵐痢璽觚園の岩山の上にあるゲルの「さくら博物館」と創設者のウルジートクトフさん

 ウランバートルの北、ゲル地区に「ノゴーンノール(緑湖)」と呼ばれる公園がある。第二次世界大戦後、モンゴルに強制連行された日本人捕虜が、岩山の石を切り出し、スフバートル広場周辺の道路や建物の基礎工事に当たった。石を切り出した跡に水がたまり、ごみ捨て場になっていた。地元住民のウルジートクトフさんが、見かねて、自費で清掃し私設の公園にした。

 私は3年前、公園を見せてもらった。夏はボート遊び場、冬はスケート場として有料で公開しているが、住民に幅広く親しまれているという。同時に「日本人の足跡を示す資料館をつくりたい」と話すウルジートクトフさんに感銘を受けた。

 今年8月、在モンゴル日本大使館のウエブサイトに、小林弘之大使が、日本人抑留者を記念する博物館「さくら」の開館式に出席したとの記事が載った。私は「ウルジートクトフさん、やったね」の思いで、再訪した。
さくら博物館の中
【写真◆曠殴襪涼罎砲脇本人捕虜が関係した建物の写真を展示している。ウルジートクトフさんが自ら調べ、集めた貴重な資料だ

 ウランバートルの街並みが遠くに望める山の上に立つゲルに入る。ウルジートクトフさんが国立公文書館に通って集めた写真50点を展示している。建物を解体したときに出たレンガ、ドアの木枠、階段や窓辺の石の一部も展示している。

 日本人がかかわった建物は、中央政庁舎、外務省、国立大学、オペラハウスなど30戸ぐらいだが、そのうち15、16戸分の写真を展示している。

 開館式には、小林大使のほか、元モンゴル人民共和国軍兵士のチョクソムジャブさん、98歳も出席した。チョクソムジャブさんは、中国からモンゴルに日本人を連行した生き証人だという。
UBの街並み
【写真】「さくら博物館」からは遠くにウランバートル中心部の街並みが望める

 一般にシベリア抑留と言われる日本人は約60万人。このうち約1万2000人がソ連からモンゴルに「分配」された。モンゴルに抑留された捕虜は、ノゴーンノールの石の切り出しのほか、羊毛工場、トーラ川沿いの樹木伐採などに従事させられた。酷寒の地、食糧も十分でない中での過酷な強制労働だった。

モンゴル抑留は1945年の秋から約2年間だ。スフバートル広場周辺の建設工事の場合、建物の完成まで日本人が関係したわけではない。建物の基礎工事や周辺の道路の敷石などが大部分という。しかし、ウルジートクトフさんは「現代に続くウランバートル中心部の街並みは日本人がつくったと言ってもいいぐらいだ。このことを多くの皆さんに知ってもらいたい」と話している。



▽森修 もり・しゅう     

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
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