
【写真】草思社文庫から出た楊海英さんの新著。上巻と下巻の2冊だ
静岡大教授、楊海英さんの新著「文化大革命とモンゴル人ジェノサイド」(草思社文庫)を読んだ。中国の人権弾圧は、ウイグルやチベットが注目されがちだが、南モンゴル(内モンゴル自治区)にもある。中華人民共和国による諸民族統治の本質を示すものとして、あらためて戦慄する思いで読んだ。
1966年、中国の文化大革命が起きたとき、内モンゴルのモンゴル人は150万人弱。よそから侵略してきた中国人はその9倍に達していた。少数民族に転落したモンゴル人全員が粛清の対象とされ、少なくとも34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、拷問で12万人に身体障害が残った。
この数字は中国政府の公式見解に基づいたものだが、文革の実態は未解明の部分が多いので、モンゴル人の被害者数はもっと多いとみられている。本書は、著者が2009年から2014年にかけて風響社から刊行した「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料―内モンゴル自治区の文化大革命」に収録した中国政府の公文書、被害者報告書、加害者の反省文を基に書き上げた。基礎資料は、ほとんどは未公開であり極秘資料も多数含まれるという。
著者が先に刊行した「墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」(岩波書店、上巻・下巻・続巻の3冊)は、著者の母親ら被害者の証言をつづったライフヒストリーなのに対して、今回の草思社版は文献研究の色合いが濃い。
本書は、内モンゴル人民革命党員だったモンゴル人、アルタンデレヘイの研究成果に負うところが大きいという。彼は運よく殺害から免れたが、周囲のモンゴル人が悲惨な最期をとげたのを目撃。また、内モンゴル自治区の「上訪弁公室」に勤め、モンゴル人たちの訴えを聞く仕事に当たった。彼は、被害者たちの陳情書、政府の公文書、首長たちの講話類、紅衛兵たちの出版物など、さまざまな文字資料を集め、1999年に公開した。この資料は、中国政府公認の出版物としては認められなかったため私家版となったが、本書の著者の楊海英さんは、日本語に訳し静岡大学の研究書として発表してきた。
本書の第4章「倒されていくエリートたち」では、鮑風(バトドルジ)というモンゴル人将校について検証している。鮑風は、1968年12月、「反革命の罪を恐れてビルから飛び降りた」とされ「主として彼自身がその責任を負わなければならない」と報告書に書かれた。しかし次第に殺害の事実が明らかになる。
鮑風は、フフホトにあった興蒙中学と興蒙学院で学んだ。両校とも日本人が関係し、日本語教育や軍事訓練も行っていたことから「日本の鬼どもの奴隷化教育を受け、日本の特務機関によるスパイ訓練を受けた」との疑いをかけられた。また内モンゴル人民革命党員だとされ、毛沢東思想に従わない反革命の罪と判定された。
関係者の証言を記録した報告書の中には、鮑風は、「反革命の罪を追及する中国人たちに暴行を受けていた」「飛び降りたというが、冬なので窓は固く閉まっていた」とするものがある。一方、「共産党の革命を推進するためのやむをえない暴力だった」とする見解もある。また、鮑風はスパイではなく革命の同志だと「名誉回復」する報告もある。検証結果は二転三転、内容は少しずつ変化するが、「迫害の中、ビルから飛び降り、救命措置も取られたが助からなかった」との結論になる。殺害の刑事責任が問題になることはなく、加害者の中国人は出世していく。
著者は、文庫本あとがきで、「ジェノサイドの根源にあるのは中華思想だ」と書いている。被害者のモンゴル人の多くは、満洲国と蒙疆政権の下、日本式教育を受けた。一方、加害者の中国人は、教育をほとんど受けていない。しかし、無学の中国人たちは、品格ある行動をとるモンゴル人を「野蛮で立ち遅れた民族」と差別していた。「中華思想に中毒した人々は、他民族を異質な存在として認識し、恐怖感からか異文化との共存共栄を嫌う」。これがジェノサイドの背景にあると著者は指摘している。
文化大革命は終わったが、モンゴル人への弾圧は続いている。南モンゴルでは2020年、学校教育でのモンゴル語使用を廃止して中国語に切り替える方針が示された。モンゴル人を中国人に仕立て上げる同化政策だが、領土侵略を正当化するための文化侵略と言えるのではないか。
▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
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