いまや、時の人となったゼレンスキー大統領。
Владимир_Зеленский_(01-04-2022)
写真出典:Wikipediaより

ゼレンスキー大統領についてのWikipediaを読んでいたら、モンゴルの第三の都市であるエルデネト(Эрдэнэт)に目がとまりました。




1978年1月25日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(当時)のクルイヴィーイ・リーフにユダヤ系ウクライナ人として生まれた[7][8][9][10][11]。父オレクサンドル・ゼレンスキーはドネツク・ソヴィエト貿易研究所(ウクライナ語版)(現・ドネツク国立経済貿易大学)のクルイヴィーイ・リーフ校に勤務する研究者で、母はエンジニアであった[12][13][14][注 1]。父の仕事の関係で、幼少期の4年間をモンゴルのエルデネトで過ごした

実は、筆者はエルデネトには二回ほど行ったことがあり、そこにある超巨大な銅・モリブデンの採掘工場を有するエルデネト・マイニング・コーポレーションに2回、工場見学にいったことがあります。この鉱山工場ですが、あまりにもでかすぎて(語彙力が低い)、とにかく驚くしかなったと記憶しています。当時、2013年で設立35周年記念の時でした。

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ということは、筆者が工場見学にいったところに、ゼレンスキー大統領のお父さんが働いていたのか??とちょっと驚いたので、もっと詳しい情報が無いか、ロシア語のWikipediaも見てみました。
(モンゴル語をやっていて便利なのは、キリル文字が読めるようになることです。ロシア語の意味はさっぱりですが、土地名などは理解できるようになります。)




Отец — Александр Семёнович Зеленский (род. 23 декабря 1947), математик, программист[33], доктор технических наук, профессор, заведующий кафедрой информатики — преподаватель в том же вузе, где учился Владимир[34][35]. Отец 20 лет жил и работал в Монголии, строил горно-обогатительный комбинат в городе Эрдэнэт.

(DeepLによる日本語翻訳)
父親 - アレクサンドル・セメノビッチ・ゼレンスキー(1947年12月23日生まれ)、数学者、プログラマー[33]、技術科学博士、教授、コンピュータ科学科長、ウラジーミルが学んだ大学の教員[34][35]。父親は20年間モンゴルに住み、エルデネット町に鉱山と加工工場(エルデネト・マイニング・コーポレーションのリンクに飛びます)を建設して働いていた
なんと、ゼレンスキー大統領の父親は、ソ連時代にエルデネットの鉱山開発の立ち上げにかかわっていたことがわかりました(当時「エルデネット」という名称のジョイントベンチャー)。

ちなみに、エルデネト・マイニング・コーポレーションのウェブサイトを見ると、保有株は設立当初、ソ連・モンゴルで50:50でしたが、現在はモンゴル政府が過半数を保有する半官半民の会社となっているようです。

「 "エルデネト・オヴォー(Erdenetiin Ovoo )鉱床は1963年にチェコとモンゴルの地質学者によって発見され、ソ連の地質学者によって短期間で詳細な探査が遂行されました。

1972年、銅とモリブデンの鉱床「エルデネチイン・オボオ」のフィージビリティスタディが承認され、1973年2月20日、モンゴル人民共和国とソビエト連邦政府との間で歴史協定が結ばれました。

モンゴル・ソ連合弁鉱業会社「エルデネット」(旧社名)は、1973年11月22日にモンゴル人民共和国政府とソ連政府との合意により、出資比率50:50で設立されました。モンゴルにおける20世紀最大の開発であるエルデネト・マイニング・コーポレーションの歴史は、最初の精鉱の立ち上げに始まり、複雑なインフラを持つ鉱山都市エルデネットの総合建設は、大規模鉱山プロジェクトの典型的な模範となりました。

エルデネト・マイニング・コーポレーションは、1991年のモンゴル・ロシアの両政府間の協定に基づく51:49の合弁事業と、2003年の協定に基づく有限責任会社(LLC)の事業形態でした。2016年6月、ロシア連邦のロステック社が49%の株式を売却し、モンゴル政府が51%、Mongolian Copper Corporation LLCが49%を所有することにまりました。」

ソース:https://www.erdenetmc.mn/en/about

この株式保有の変遷で興味深いのが、モンゴル政府が過半数の株をもつようになった背景として、2014年のクリミア危機によるヨーロッパ諸国のロシアに対する経済制裁があったようです。




エルデネト鉱業会社 (モンゴル語: Эрдэнэт үйлдвэр, 英語: Erdenet Mining Corporation)は、モンゴル国の鉱山業を営む企業。 1978年にソビエト連邦政府とモンゴル政府の合弁で設立 [1] されたモンゴル国最大[2]の企業である。創設当時からソ連とその継承国のロシア連邦から出資を受けていたが、2017年に2014年クリミア危機による欧米の対露制裁の影響で海外資産を減らしてるロシアの株式売却に対してモンゴル議会はこれを不正な取引と看做してエルデネト鉱業の完全国有化を決定した[3]。

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このエルデネットという町は、モンゴルのいち地方都市ですが、この鉱山資源のおかげで遊園地などの施設が作られた、と現地のモンゴル人から説明を受けました。

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当時、ウランバートルでは脱社会主義化が進んでおり、レーニン像などの取り壊しが進んでいて、ウランバートルホテルの前のレーニン像はモンゴル人の詩人であるナッツアグドルジの像に切り替わっていました。一方で、エルデネットでは2013年当時ではマルクスやレーニン像などが健在でした。モンゴルの地方都市はまだソ連的な色が残っていたと言えます。
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エルデネットマイニング・コーポレーションのエントランスにも、「これぞ共産主義」というモザイク画が張られていました。
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絵が、すごくソ連時代的です。
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第三の都市とはいえ、人口は10万人弱の小さな都市のエルデネトですが、筆者個人的にはウランバートルよりも居心地がよいところだと思いました。空気がきれいで、住んでいる人も余裕があり、穏やかだった記憶があります。モンゴルで観光するなら、ウランバートルよりもエルデネトのほうをおすすめします。

かつて、ゼレンスキー親子が住んでいたと思われるエルデネトの街並み。
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早く戦争が終結して、ウクライナの平和と復興を願います。

今回はここまで。
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