スーホ
【写真 曠潺鵐ド・ボラグさんの著書
 
ミンガド・ボラグ著「日本人が知らない『スーホの白い馬』の真実」(扶桑社新書)を読んだ。「スーホの白い馬」は、日本におけるモンゴル理解の入門書ともなっているが、中国や漢族文化が介在することで、少数民族への日本人の理解が大きくゆがめられている―と著者は書いている。

 福音館書店が1967年に発行し139刷を数える馬頭琴の物語「スーホの白い馬」(大塚勇三再話、赤羽末吉画)のあらすじは次の通り。

……中国の北のほう、モンゴルの草原にスーホという貧しい羊飼いの少年がいた。ある日、スーホは白毛の子馬を拾って帰る。スーホは子馬を大切に育てる。月日はたち、殿様が競馬大会を開き、一等を取ったら殿様の娘と結婚させるという。

 スーホは見事優勝する。しかし、殿様は銀貨3枚をくれただけで「白い馬をおいて帰れ」と言う。スーホは、命令を拒否すると、殿様の家来たちに暴行され、白い馬を奪われてしまう。スーホは命からがら帰宅する。愛馬を取られた悲しみは消えなかった。

すばらしい馬を手に入れた殿様は、みんなに見せびらかす。殿様が馬にまたがったとき、馬は殿様を振り落として逃げる。おこった殿様は、家来に弓で射殺すように命じる。瀕死の傷を負った馬は、スーホのもとに帰るが、力尽きてしまう。悲しみの中、スーホは眠りにつく。夢の中で、馬はスーホに話しかける。「私の骨や皮、筋で楽器をつくってください」。こうして出来上がったのが馬頭琴(モリンホール)である……。

スーホの白い馬 (日本傑作絵本シリーズ)
大塚 勇三
福音館書店
1967-10-01


スーホ
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 「スーホの白い馬」は一般にモンゴル民話だと思われている。しかし、著者によると、モンゴル国や南モンゴル(中国の内モンゴル)には、このような物語は存在しない。そればかりか、物語には不自然な描写が多い。
 
 例えば、競馬には成長した若者が登場する。モンゴルの国民的な祭り「ナーダム」のメーン行事の競馬が10歳前後の子どもが乗馬して争われるのとは異なる。「優勝したら娘をやる」といったことで争われることもない。ましてや逃げた馬を弓矢で射殺するという習慣はモンゴルにはない。
 
 この作品は、モンゴル民話だといいながら、そもそも中国語で書かれた「馬頭琴」という物語を日本語に翻訳する不自然な形で作られたのだという。
 
 「スーホの白い馬」が日本で初めて公表されたのは1961年。ミンガド・ボラグさんは、原点の一つとみられる中国語版「馬頭琴」の作者、中国人作家の塞野(セーイエ)さんにインタビューしながら、「馬頭琴」が「スーホの白い馬」に変化していく過程を検証している。
 
 「馬頭琴」の主人公「蘇和(すーほ)」は、モンゴル語の「スフ」または「スヘ」の当て字であり、「スーホ」の発音はモンゴル語にはまずないという。
 
 「馬頭琴」の物語が形づくられたのは1950年代だ。当時は共産主義革命が進行中て、階級闘争的な文学が流行していた。ということで、「馬頭琴」は、単なる白馬と主人公の愛と絆の物語ではなく、無産階級のスーホを「善役」、有産階級の殿様を「悪役」として創作された文学なのだという。
 
 著者は「あとがき」の中で「本書の意図は『スーホの白い馬』を否定的に捉えることではない。優れた文学作品として評価するとともに、今後も日本人とモンゴル人を繋ぐ懸け橋になり続けてほしい」と書いている。
 
 内モンゴルでは同化政策が進行中だ。モンゴル人が通う学校でのモンゴル語教育を禁止して中国語(漢語)教育に統一する方針が示され、モンゴル人の反発を呼んでいる。
 
 著者は、「スーホの白い馬」の書き出し「中国の北の方、モンゴルの草原」が、単に「中国の北の草原」になろうとしていると危惧している。

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
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