
【写真】岩手山に見守られながら羊を世話するムンフバットさん
岩手大学を卒業したモンゴル人のL・ムンフバットさんは、岩手県滝沢市の岩手山ろくで羊の多頭飼育に挑戦中だ。主にラム肉を生産し、モンゴル伝統のゆで肉料理「チャナスンマッハ」や肉と野菜の蒸し焼き料理「ホロホグ」を日本人に知ってもらおうと計画している。
羊の飼育は、2018年4月、酪農をやめた滝沢市内の牧場を借り、岩手県岩泉町から8頭を導入して始めた。少しずつ飼育数を増やし、今年は60頭になったが、2月、3月は出産期なので、3月11日現在で子羊16頭が生まれ、計76頭だ。近く100頭に増える見込み。
ムンフバットさんは34歳、モンゴル西部のザブハン県生まれ。父親はトラックの運転手をしており、13歳のときウランバートルに引っ越した。祖父母は遊牧民で、子どものころは、夏休みのときなど、馬に乗ったり、羊など家畜の世話を手伝ってきた。
ムンフバットさんは、2009年春、岩手大人文社会科学部に入学し、安田財団の奨学金を得て卒業した。在学中からモンゴル文化を日本人に紹介する活動を続け、卒業直後の2013年5月、滝沢市(当時は滝沢村)の日帰り温泉施設の敷地内に、移動式住居ゲル5棟を設置して宿泊可能な「滝沢モンゴル村」を開業した。
新事業は、株式会社モンゴル未来(資本金600万円)を設立するなど意欲的な展開だったが、温泉の井戸が壊れ、市が復旧を断念したことで、モンゴル村の事業も行き詰まった。ムンフバットさんは、モンゴルの羊毛製品やカシミア製品の輸入販売などを行い、起業精神を維持してきた。
2019年、北海道士別市で1カ月間、羊飼育の研修を受けるなどして、本格的に羊牧場の計画が始まった。士別市は「サフォークランド士別」をキャッチフレーズに、肉質を重視したサフォーク種の羊飼養マニュアルを作るなど、市を挙げて力を入れている。
ムンフバットさんの目標は、100頭規模の牧場を10カ所経営すること。羊は全部で1000頭規模になる。滝沢市は、岩手山ろくの気候風土に合わせて、牧場が発展した歴史があるものの、最近は廃業する農家が多いそうだ。周辺には、独立行政法人の家畜改良センター岩手牧場、岩手大学の農場、盛岡農高、小岩井農場などがあり、農業や牧畜を行う環境は整っている。しかし、最近は、どこも酪農が中心で、羊の飼育はパッとしない。
ムンフバットさんは、滝沢市商工会の青年部に所属し、会員同士で地域おこしについて話し合っているという。そんな中、牧畜業を立て直し、羊を利用した観光と特産品づくりを進める案が浮上、岩手県立大が取り組む地域協働研究に応募するまでになった。課題名は「持続可能なめん羊牧場経営のための滝沢モデルの構築」だ。
ムンフバットさんは、滝沢市商工会の青年部に所属し、会員同士で地域おこしについて話し合っているという。そんな中、牧畜業を立て直し、羊を利用した観光と特産品づくりを進める案が浮上、岩手県立大が取り組む地域協働研究に応募するまでになった。課題名は「持続可能なめん羊牧場経営のための滝沢モデルの構築」だ。
地域おこしの一方、モンゴル人としては、羊肉を使ったモンゴル料理の普及も狙いだ。モンゴル人は肉食民族なので、焼き肉ジンギスカンをふるまわれると喜ぶ。しかし、ジンギスカンは日本料理であり、モンゴル建国の英雄の名称が付けられていることに違和感を示す人もいる。私は、留学生から「おかしいと思いませんか」と不満をぶつけられたことがある。
私は、モンゴル料理のチャナスンマッハやホロホグを何度も食べた。両方とも、ジンギスカンに負けないぐらいに、日本人の口に合うと思う。ムンフバットさんは「日本で出回っている羊肉は、ほとんど輸入品。日本産の羊肉を、もっと日本人に食べてもらいたい」と言う。
ムンフバットさんの妻ミシェルさんは、新モンゴル高の後輩で岩手大工学部を卒業し、北海道の建設会社を経て、現在は岩手県庁で土木行政に携わっている。夫婦で日本永住権を取得した。昨年8月、盛岡市内にマイホームを新築した。長男は4月から小学校の1年生だ。5月には3人目の子が生まれる。
羊牧場は、間もなく出産期が終わり、5月は毛刈りが始まる。その後は牧草の刈り取りだ。ムンフバットさんは、これから公私ともに忙しい日々が続く。
▽森修 もり・しゅう1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
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