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【写真 枦傾鎚轍爾皇太子時代に訪れた写真が飾ってある祈念館の内部。窓ガラスが抜け落ち、窓枠の木材が露出して無残な姿をさらしている。外壁にもひびが入っている=2019年10月2日
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【写真◆枡本人慰霊碑(左手奥)のある一帯は、公園にする計画があるが、進んでいるようには見えない=2019年10月6日

 かなり深刻な状況に思えてならなかった。ウランバートル郊外、ダンバダルジャーの日本人慰霊碑。広い敷地の一角にある祈念館は、明り取りの窓ガラスがなく、窓枠の木材が飛び出している。外壁にひびも入っていた。
 管理人のガントクトフさんの話では、今年夏、強風が吹き荒れ、壊れたという。祈念館は慰霊碑とともに2001年に完成した。酷寒の地であり、老朽化が進んでいたところに、強風が追い打ちをかけたようだ。
 ガントクトフさんによると、被害後、日本大使館の職員が調査に訪れ、修復すると話したという。慰霊碑周辺のコンクリート路面も劣化が激しいので、これも直すという。しかし、いつ着工し、どのように修復するか「詳しいことは知らされていない」ということだった。
 祈念館には、天皇陛下が皇太子時代の2007年に訪れた写真が飾ってあった。秋篠宮さまも2002年に訪問された写真があった。安倍首相が2013年に訪問した写真もあった。その他、日本の政治家や県知事、市長ら要人が大勢訪れたことがわかる。そんな祈念館の惨状は異様に思えた。
 私が祈念館の惨状を知ったのは10月2日。4回目の慰霊碑訪問だった。昨年9月に訪れたときは、私の「モンゴル仲間」が般若心経を唱え、皆で線香をあげて手を合わせた。今回は10月6日に再び訪れた。
 ちょうど日本人観光客がバスで来ていた。私は感想を聞いた。「政治家の写真、あんなの要らん」「それよりも早く直すべきだ。日本政府は何をやってるんだ」…。予想した通りの答えが返ってきた。あの惨状を見て、何も思わない日本人は、いないのではないか。
 建物は修復されるだろう。問題は、どのように修復するかだと私は思う。VIPの写真や花輪を飾るだけの祈念館なら要らないのではないか。それよりも「モンゴル抑留」の歴史を、わかりやすく解説した展示がほしい。
 多くの日本人が強制連行され、亡くなった人は、この場所に埋められた。遺骨は後に掘り返され、祖国に戻った。悲しい不幸な歴史を忘れないようにすることは必要だ。しかし、同時に、前向きに、モンゴルと日本の友好親善を祈念する場所ととらえることはできないものか。
例えば、日本人捕虜は、スフバートル広場周辺の街並みを造ったと言われる。モンゴル人に広く知られたことだが、それは具体的に、どの建物なのか道路なのか。それも、全部なのか一部だけなのか。留学生と話すと、モンゴルに木がないのは、「日本人の捕虜がまじめに切ったから」と説明する人もいる。こんな話は本当なのか。整理して解説してもらいたい。
 歴史の事実を伝えることは、モンゴル人に理解してもらえるのではないか。むしろ、そのことは、モンゴルと日本の友好親善に寄与するものと私は考える。
 慰霊碑周辺の公園化も進めてほしい。祈念館には、公園計画を示すパネルが展示されている。しかし、私には、計画が進んでいるようには見えない。関係者の努力で、少しずつ植樹されていることには敬意を表するけれど。
 周辺は、宅地化の波が押し寄せている。乱開発を防ぐためにも、市民に親しまれる公園にしてほしい。子どもたちが遠足やピクニックで訪れる場所になってほしい。
 ノゴーンノールでは、住民のウルジートクトフさんが、個人で公園化を進めている。彼は、日本人の足跡がわかる資料館をつくりたいと話している。
 ダンバダルジャーの慰霊碑は、日本政府とモンゴル赤十字が管理する場所だ。それ相応の施設、展示内容にしないと、ノゴーンノールとのバランスが取れないのではないか。





▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
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