毎度、編集長のタケシです。
先ほど、Twitterでいろいろ書いたので、ついでにブログにも載せちゃいました。

実は、今の内モンゴルを作ったのは日本と言っても過言ではない。当時、徳王が内モンゴルの完全独立を目指してたが蒋介石が認めなかった。それで、満洲事変後関東軍の支援でカタチだけの自治権のモンゴル連盟自治政府を作りました。

大日本帝国は、これを機に内モンゴルへの進出を本格化しようとしていた。その1年後徳王が準国賓待遇として訪日し、天皇陛下にも会った。大日本帝国は、英米から支援を受ける蒋介石の抵抗に手こずり、安易に内モンゴルを独立させなかった。

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↑↑↑徳王

そして、徳王は1941年に2度目に大日本帝国を訪問し、天皇陛下に会い、内モンゴルを国として認めてもらいたかったが結局だめでした。

その後、大東亜戦争が日本の敗北に終わり、徳王が外モンゴル(今のモンゴル国)に亡命したものの、モンゴル政府は徳王を逮捕して中国に渡してしまった。

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個人的に思うには、当時の天皇陛下が内モンゴルの独立を認めてなかった原因は:
徳王の野心に警戒してた。徳王内モンゴルだけではなく、本当はモンゴルと内モンゴル、そしてブリヤート(今のロシアの一部)を統一して大モンゴル国を作る夢があった。
もう一つは、大日本帝国も当時の中国と対立した力を使ってカタチだけの国にして、後には大日本帝国の配下にしようという予算だったから。

こうして、内モンゴルは今だに残されたままである。


内モンゴルを知るための60章 (エリア・スタディーズ)
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2015-08-01

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