Мендвт!(カルムイク語でこんにちは。)
初めてこちらのブログに投稿させていただきます。
下村と申します。
9月からロシアのカルムイク共和国の中心都市、エリスタで留学生活を送っております。
以前の記事で、ロシアの中の「モンゴル」
ブリヤート共和国が紹介されていましたが、
カルムイク共和国も、ロシア領内にあれど「モンゴル」的な要素を多く持つ地域です。
これからこの地域について、私が感じたことを紹介して参りたいと思います。
カルムイク共和国は、カスピ海北岸に位置しています。南ロシアに位置するため、冬も比較的温暖な気候で、過ごしやすい地域です。
気候は中央アジアに近いです。

カルムイクとはヨーロッパ側からの呼称で、モンゴル語ではХалимаг(ハリマグ)、自らをОйрад(オイラト)と呼んでいます。
カルムイク人と呼ばれる人の多くは、私と同じ様な顔つきをした人が多く、街を歩いていても全く違和感がありません。
カルムイク人は17世紀初めにジュンガリア方面から移動し、ヴォルガ河の下流に住み着いたオイラート人の一部です。帝政ロシアの圧政により、一部のカルムイク人はジュンガリアに戻ろうとしました。しかし、この時ヴォルガ河が凍結しておらず、西側に取り残された人々が、現在この地に住むカルムイク人の祖先と言われています。
主な宗教は仏教で、エリスタにはチベット仏教の寺院があります。ダライ・ラマも訪れました。

↑チベット仏教の寺院。
золотая обитель будды шакьямуни

言語は、ロシア語とカルムイク語が主に使われています。日常生活では圧倒的にロシア語が使用されています。カルムイク語は年配の方であれば流暢に話せる人もいますが、
私と同年代の大学生の子達は、理解できるが話せない、あるいは全く分からない子が殆どです。
このようにカルムイク語が厳しい状況を迎えていますが、大学や寺院ではカルムイク語の授業を受講することができます。授業は明日から始まるので、これについてはまたレポートします。
一方で、文化面(歌やダンス)、食生活ではカルムイクの要素(モンゴル的な雰囲気)を色濃く感じます。
例えば、街の中心部にある劇場や、イベント時のセレモニーでは、カルムイクのダンスや歌を見聞きすることができます。
伝統的な歌は、モンゴル本国と似ているように思います。馬頭琴のメロディや、ホーミーのような喉歌が特徴的です。
ダンスは、肩を上下に動かしたり、足の素早いステップが特徴的です。
これはカフカスの影響を受けているようです。

↑カルムイクの民族衣装
料理について。カルムイクの代表的な料理で、берикиがあります。
モンゴル料理の代表格と言えば、буузですよね。
中身が羊肉な点は一緒ですが、形や作り方が違います。ペリメニに近いかもしれません。мантыもこちらではポピュラーな料理です。

↑берики。形は餃子に似ています。茹でて食べます。
またスーテーツァイによく似た、Джомбаというカルムイク茶があります。ボルツォグと一緒に食べます。
街の食堂、お茶の時間には必須の飲み物です。
その他、印象に残っているのは、トド文字のカリグラフィー展覧会です。トド文字とは、縦書きのモンゴル文字を改良した文字で、かつてのカルムイク語を書き表すための文字です。現在はキリル文字表記です。
市内の寺院で開催されていました。カルムイク語の講座も不定期で開かれているので、文化振興の中心的な場所と言えるのではないでしょうか。
写真撮影不可だったのが残念でしたが、流れるように書かれた縦文字が美しく、正にアートでした。
このように、モンゴル本国と文化的な共通点を多く持つのがこの地域の特徴です。
街を歩いていると、地理的にはヨーロッパに近い所に居ながら、しかし確実にアジアの文化圏に暮らしていることを感じます。
このブログを通じてこの街の魅力を発見していきたいと思います。
知りたいトピック等がございましたら、コメントしていただけると幸いです(^^)
初めてこちらのブログに投稿させていただきます。
下村と申します。
9月からロシアのカルムイク共和国の中心都市、エリスタで留学生活を送っております。
以前の記事で、ロシアの中の「モンゴル」
ブリヤート共和国が紹介されていましたが、
カルムイク共和国も、ロシア領内にあれど「モンゴル」的な要素を多く持つ地域です。
これからこの地域について、私が感じたことを紹介して参りたいと思います。
カルムイク共和国は、カスピ海北岸に位置しています。南ロシアに位置するため、冬も比較的温暖な気候で、過ごしやすい地域です。
気候は中央アジアに近いです。

カルムイクとはヨーロッパ側からの呼称で、モンゴル語ではХалимаг(ハリマグ)、自らをОйрад(オイラト)と呼んでいます。
カルムイク人と呼ばれる人の多くは、私と同じ様な顔つきをした人が多く、街を歩いていても全く違和感がありません。
カルムイク人は17世紀初めにジュンガリア方面から移動し、ヴォルガ河の下流に住み着いたオイラート人の一部です。帝政ロシアの圧政により、一部のカルムイク人はジュンガリアに戻ろうとしました。しかし、この時ヴォルガ河が凍結しておらず、西側に取り残された人々が、現在この地に住むカルムイク人の祖先と言われています。
主な宗教は仏教で、エリスタにはチベット仏教の寺院があります。ダライ・ラマも訪れました。

↑チベット仏教の寺院。
золотая обитель будды шакьямуни

言語は、ロシア語とカルムイク語が主に使われています。日常生活では圧倒的にロシア語が使用されています。カルムイク語は年配の方であれば流暢に話せる人もいますが、
私と同年代の大学生の子達は、理解できるが話せない、あるいは全く分からない子が殆どです。
このようにカルムイク語が厳しい状況を迎えていますが、大学や寺院ではカルムイク語の授業を受講することができます。授業は明日から始まるので、これについてはまたレポートします。
一方で、文化面(歌やダンス)、食生活ではカルムイクの要素(モンゴル的な雰囲気)を色濃く感じます。
例えば、街の中心部にある劇場や、イベント時のセレモニーでは、カルムイクのダンスや歌を見聞きすることができます。
伝統的な歌は、モンゴル本国と似ているように思います。馬頭琴のメロディや、ホーミーのような喉歌が特徴的です。
ダンスは、肩を上下に動かしたり、足の素早いステップが特徴的です。
これはカフカスの影響を受けているようです。

↑カルムイクの民族衣装
料理について。カルムイクの代表的な料理で、берикиがあります。
モンゴル料理の代表格と言えば、буузですよね。
中身が羊肉な点は一緒ですが、形や作り方が違います。ペリメニに近いかもしれません。мантыもこちらではポピュラーな料理です。

↑берики。形は餃子に似ています。茹でて食べます。
またスーテーツァイによく似た、Джомбаというカルムイク茶があります。ボルツォグと一緒に食べます。
街の食堂、お茶の時間には必須の飲み物です。
その他、印象に残っているのは、トド文字のカリグラフィー展覧会です。トド文字とは、縦書きのモンゴル文字を改良した文字で、かつてのカルムイク語を書き表すための文字です。現在はキリル文字表記です。
市内の寺院で開催されていました。カルムイク語の講座も不定期で開かれているので、文化振興の中心的な場所と言えるのではないでしょうか。
写真撮影不可だったのが残念でしたが、流れるように書かれた縦文字が美しく、正にアートでした。
このように、モンゴル本国と文化的な共通点を多く持つのがこの地域の特徴です。
街を歩いていると、地理的にはヨーロッパに近い所に居ながら、しかし確実にアジアの文化圏に暮らしていることを感じます。
このブログを通じてこの街の魅力を発見していきたいと思います。
知りたいトピック等がございましたら、コメントしていただけると幸いです(^^)
コメント
コメント一覧 (16)
こんにちは、トド文字の小学生用のテキストはNamjavin Sodmon先生のSolongy(虹)というものがありますが3000部しか出版されておらず、現在は入手困難であるかもしれません。持っているものが一時期あった改革正書法のカルムイク語で書かれていたものですが、もしかしたら、元の正書法版が再版されているかもしれませんが、やはり入手困難だと思います。
ロシア語で書いた成人用のものもあると思います。たしかAndrei Badmayev先生 Oyuni zulが1998年に出ていますが、こちらも新しいものが出たと聞いたことがありません。いずれにしても入手困難だと思います。
自然があるところに行けば体も、心も癒されますから。東京は本当に健康の人でも病気にしちゃうくらい圧迫感があります。電車もそう。。
いつも記事を読んでくださって嬉しいです。
モンゴルファンが増えればいいなぁと思っています。
また、よろしくお願いいたします。
ゴールインしたらぜひ写真付きのご報告お願いします。
竹本直樹さんはモンゴルにすごく詳しいのですね。よかったらここで、ちょうマニアックな記事を配信してください。
берикиの形は内モンゴルのオルドスの水餃子と同じカタチです。ちなみに、ネズミ餃子といいます。
トドノムのポールペン習字とかあったらやってみたいです。
ヒツジをホイ、夕方をアスハン、漢人をキッタン、いくつをケドーと言いませんか?