Сайн байна уу? Япон хүний уран зохиолч Кайко Такэси сан 30 оны өмнө Монгол ирсэн. Та мэдэх үү?
YouTubeを見ていたら、かなり貴重な映像を発見しました。『開高健のモンゴル大紀行 未知の大地に幻の巨大魚を追って』です。
これは、本当に貴重な映像です。。芥川賞作家である開高健氏が、幻の魚イトウを追い求めて大草原を駆け抜け、遊牧民と触れ、川で最後の最後まで釣りに粘る姿が見られます。映像の構成が素晴らしいだけでなく、ナレーションの文章表現が、迫るものがあります。こういった本当に質の高いドキュメンタリーは、最近の日本のテレビでは本当に少なくなったと思います。

開高健(1930年12月30日 - 1989年12月9日)、顔つきは非常にモンゴル人っぽい・・・。キャッチ&リリースの思想を広めた人物だといわれています。

↑ジャーナリストとして、ベトナム戦争の最前線に出たことも・・・。

↑ロシアでも翻訳されている作家です。
開高健の モンゴル大紀行
・モンゴルへの入国は、北京から電車でウランバートルまで行きます。放送用機材など荷物が多かったためであると推測されます。
・開高健氏をウランバートル駅で出迎えてくれたのは、当時亜細亜大学・助教授であり社会主義時代のウランバートル大学で交換教授として教鞭をとっていた鯉渕信一・元亜細亜大学学長。この情報が非常に限られた時代にも関わらずモンゴル語が非常に上手ですが、チベット文化研究学者でもありました。
・鯉渕氏の回想による、当時の様子について触れた記事が「幻の巨大魚イトウを守れ」にあります。
・移動はランドクルーザーでなく、ソビエト製のジープとバス。「動くんかいな」と突っ込みがあります(笑)
・移動先はタリアット(Тариат сум)です。ウランバートルから二日かかったそうです。道を羊の群れで遮られるのは、いまでもかわりません。
・遊牧民の親子が馬でやってきて、開高氏に馬乳酒でもてなします。通りがかった者や遠くから来たものを手厚くもてなすのが古くからの草原の習慣です。
・去勢してない種馬である暴れ馬を乗りこなす様は、すごいです。圧巻です。

・草原の中に現れる、モンゴル帝国以前の6、7世紀の突厥の石像。なぜ、なんのために建てたかは謎。ロマンがあります。「千数百年前も、きっと今と同じ風が石造の間を吹き抜けていたに違いない。空の青さも変わらない。」
・「伸びやかな大平原だ。手付かずの自然なら他にもある。しかし、そこは人里離れている。ここには、人間や動物と共存しながら尚、手つかずの自然がある。豊かな草を求めて2、3日の遊牧をくり返す。これを、「オトル」という。もし一か所の草を食べさせていたら、草原はたちまち荒れ果てる。「オトル」は自然とともに生きる遊牧民の数千年来変わらぬ知恵である。」
・「モンゴル人の主食は羊である。その羊を、オオカミの群れは、一晩で百頭も殺すことがある」
・オオカミの鳴き方をまねしながら居場所を特定して、勢子が追い込み、オオカミを銃で打ち抜きます。オオカミ狩りはすごく緊張感があります。オオカミは殺すのですが、畏敬の念を忘れずにいます。
・夏に太らせた羊をウランバートルまで600km、2か月かけて運び、売る。トールの季節。ここに映っているラクダに乗せられた子供たちは、いまだと32、33歳ぐらいでしょうか。「羊に合わせたゆったりとした暮らし」は資本主義時代のいまでもできるのでしょうか・・・。


さらに、続編もあります。翌年の昭和62年6月だそうです。
開高健の 続 モンゴル大紀行
〜ポイント(ネタバレ)〜
・世界第四のタイガ、エニセイ川の源流の一つのシシキド川の取材。東側の取材班も未知の領域。
・北はロシア国境のツァガーンノール(Цагаан нуур)、タリアット(Тариат сум)、ダランザドガド(Даланзадгад)と縦断する旅行。しかし、当時の社会主義時代のモンゴルがよくこれを許したなと思います・・・。
・北部の寒いところでもラクダがいます。
・トナカイを家畜にしているウリャンカイ族(Урианхай)も見られます。
・羊の乳の絞り方に知恵があります。子羊をあえて離し、母羊の乳が張った時を見計らって乳を搾ります。
・ゴビ砂漠の描写がすごい文学的です。「ゆっくりと、天の時を刻み続ける砂の時計。草の葉先は、完成することない絵を今日も描き続ける。誰も見ていない砂のキャンバス。熱い砂粒の上で永遠の命題を考え込むトカゲの哲学者か。」
以下は、開高健氏を忍んで、かつて会ったことのあるモンゴル人にインタビューをしていく回顧録です。こういった出会った人に対する義理深いところが、モンゴルのいいところだと思います。
開高健 開高ウブーの道
また、開高健氏はかつて、壽屋(いまのサントリー)の宣伝部に入社し、キャッチコピーでその文才を発揮し、文壇で活躍していきました。
最初のキャリアがサントリーであったためか、なんと社会主義時代の1987年にサントリーのウイスキーのCMをモンゴルで撮影しました。これは、すごいことです。
CM]サントリー ウイスキー ローヤル モンゴル・幻のイトウ編 開高健 1987年
来年はこのCMの30周年、サントリーさんにはウイスキーのCMをモンゴルでやってみてはいかがでしょうか?

出典:サントリーウェブサイトより
神奈川県茅ケ崎市に、開高健記念館があるそうです。もしかしたら、貴重なモンゴルの資料が見つかるかもしれません。
ここまで。
YouTubeを見ていたら、かなり貴重な映像を発見しました。『開高健のモンゴル大紀行 未知の大地に幻の巨大魚を追って』です。
これは、本当に貴重な映像です。。芥川賞作家である開高健氏が、幻の魚イトウを追い求めて大草原を駆け抜け、遊牧民と触れ、川で最後の最後まで釣りに粘る姿が見られます。映像の構成が素晴らしいだけでなく、ナレーションの文章表現が、迫るものがあります。こういった本当に質の高いドキュメンタリーは、最近の日本のテレビでは本当に少なくなったと思います。

開高健(1930年12月30日 - 1989年12月9日)、顔つきは非常にモンゴル人っぽい・・・。キャッチ&リリースの思想を広めた人物だといわれています。

↑ジャーナリストとして、ベトナム戦争の最前線に出たことも・・・。

↑ロシアでも翻訳されている作家です。
開高健の モンゴル大紀行
〜ポイント(ネタバレ)〜
・30年ごろ前、1986年8月の社会主義時代であるモンゴル人民共和国(Бүгд Найрамдах Монгол Ард Улс) 時代の遊牧民の生活を丁寧に映像で記録しています。特に、羊を守るために狼を狩るシーンは迫力があります。
・30年ごろ前、1986年8月の社会主義時代であるモンゴル人民共和国(Бүгд Найрамдах Монгол Ард Улс) 時代の遊牧民の生活を丁寧に映像で記録しています。特に、羊を守るために狼を狩るシーンは迫力があります。
・モンゴルへの入国は、北京から電車でウランバートルまで行きます。放送用機材など荷物が多かったためであると推測されます。
・開高健氏をウランバートル駅で出迎えてくれたのは、当時亜細亜大学・助教授であり社会主義時代のウランバートル大学で交換教授として教鞭をとっていた鯉渕信一・元亜細亜大学学長。この情報が非常に限られた時代にも関わらずモンゴル語が非常に上手ですが、チベット文化研究学者でもありました。
・鯉渕氏の回想による、当時の様子について触れた記事が「幻の巨大魚イトウを守れ」にあります。
・移動はランドクルーザーでなく、ソビエト製のジープとバス。「動くんかいな」と突っ込みがあります(笑)
・移動先はタリアット(Тариат сум)です。ウランバートルから二日かかったそうです。道を羊の群れで遮られるのは、いまでもかわりません。
・遊牧民の親子が馬でやってきて、開高氏に馬乳酒でもてなします。通りがかった者や遠くから来たものを手厚くもてなすのが古くからの草原の習慣です。
・標高2000メートルのアルハンガイ(Архангай)の圧倒的な自然を見ることができます。このあたりは、モンゴルのハートランドで、遊牧民がひざまついて神に感謝したくなるほど、恵まれた土地だそうです。
・幻のイトウ釣りの舞台は、チョトート川(Чулуут гол)です。
・幻のイトウ釣りの舞台は、チョトート川(Чулуут гол)です。
・去勢してない種馬である暴れ馬を乗りこなす様は、すごいです。圧巻です。

・草原の中に現れる、モンゴル帝国以前の6、7世紀の突厥の石像。なぜ、なんのために建てたかは謎。ロマンがあります。「千数百年前も、きっと今と同じ風が石造の間を吹き抜けていたに違いない。空の青さも変わらない。」
・「伸びやかな大平原だ。手付かずの自然なら他にもある。しかし、そこは人里離れている。ここには、人間や動物と共存しながら尚、手つかずの自然がある。豊かな草を求めて2、3日の遊牧をくり返す。これを、「オトル」という。もし一か所の草を食べさせていたら、草原はたちまち荒れ果てる。「オトル」は自然とともに生きる遊牧民の数千年来変わらぬ知恵である。」
・「モンゴル人の主食は羊である。その羊を、オオカミの群れは、一晩で百頭も殺すことがある」
・オオカミの鳴き方をまねしながら居場所を特定して、勢子が追い込み、オオカミを銃で打ち抜きます。オオカミ狩りはすごく緊張感があります。オオカミは殺すのですが、畏敬の念を忘れずにいます。
・夏に太らせた羊をウランバートルまで600km、2か月かけて運び、売る。トールの季節。ここに映っているラクダに乗せられた子供たちは、いまだと32、33歳ぐらいでしょうか。「羊に合わせたゆったりとした暮らし」は資本主義時代のいまでもできるのでしょうか・・・。


さらに、続編もあります。翌年の昭和62年6月だそうです。
開高健の 続 モンゴル大紀行
〜ポイント(ネタバレ)〜
・世界第四のタイガ、エニセイ川の源流の一つのシシキド川の取材。東側の取材班も未知の領域。
・北はロシア国境のツァガーンノール(Цагаан нуур)、タリアット(Тариат сум)、ダランザドガド(Даланзадгад)と縦断する旅行。しかし、当時の社会主義時代のモンゴルがよくこれを許したなと思います・・・。
・北部の寒いところでもラクダがいます。
・トナカイを家畜にしているウリャンカイ族(Урианхай)も見られます。
・羊の乳の絞り方に知恵があります。子羊をあえて離し、母羊の乳が張った時を見計らって乳を搾ります。
・ゴビ砂漠の描写がすごい文学的です。「ゆっくりと、天の時を刻み続ける砂の時計。草の葉先は、完成することない絵を今日も描き続ける。誰も見ていない砂のキャンバス。熱い砂粒の上で永遠の命題を考え込むトカゲの哲学者か。」
以下は、開高健氏を忍んで、かつて会ったことのあるモンゴル人にインタビューをしていく回顧録です。こういった出会った人に対する義理深いところが、モンゴルのいいところだと思います。
開高健 開高ウブーの道
また、開高健氏はかつて、壽屋(いまのサントリー)の宣伝部に入社し、キャッチコピーでその文才を発揮し、文壇で活躍していきました。
最初のキャリアがサントリーであったためか、なんと社会主義時代の1987年にサントリーのウイスキーのCMをモンゴルで撮影しました。これは、すごいことです。
CM]サントリー ウイスキー ローヤル モンゴル・幻のイトウ編 開高健 1987年
来年はこのCMの30周年、サントリーさんにはウイスキーのCMをモンゴルでやってみてはいかがでしょうか?

出典:サントリーウェブサイトより
神奈川県茅ケ崎市に、開高健記念館があるそうです。もしかしたら、貴重なモンゴルの資料が見つかるかもしれません。
ここまで。
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