こんにちは、ひでです。
先日、鎌倉・鶴岡八幡宮で開催された流鏑馬(やぶさめ)を見に行ってきました。
日本において初めて馬上からの騎射が行われたのは『日本書紀』によると、5世紀の雄略天皇の時代だといわれています。政治的ライバルだった市辺押磐皇子を狩猟に誘い、だまし討ちで皇子を射殺(暗殺?)したという事です。
雄略天皇御肖像。
さて、大陸のモンゴルでは、遊牧民として当然、弓による騎射が戦(いくさ)の際の戦術に使用されていました。
皆様は「パルティアンショット」という言葉をご存じでしょうか?
イルハン朝の弓騎兵
「パルティアンショット」とは、中東地域を支配した最古の遊牧民スキタイの血統を引く、パルティア王国(紀元前247年頃 - 226年)の騎馬兵が戦法として使用していたことから命名されました。「一撃離脱戦法」ともいい、後方から弓で矢を射り、すかさずピンポンダッシュの如く離脱する戦法です。
パルティアンショットのイメージ。これはオスマン軍弓騎兵。
これは白兵戦(至近距離での一騎打ち)をできる限り避け、戦闘を有利に戦うために取り入れられていた戦法なのだそうです。パルティア人が始めたので「パルティアンショット」と命名されましたが、ユーラシアの各遊牧民族(匈奴、モンゴル帝国等)で利用されていた共通の戦法なのだそうです。
翻ってわが日本では、中世(鎌倉時代〜南北朝時代)位までは主に「一騎打ち」を戦法の基本としていたので、弓を射るときは前方の敵に向かって「堂々と」打つ、あるいは流鏑馬の際の時のように横方向に向かって打つ事が多かったようです。(もっとも、戦況によっては、後方からの前方射撃への対処として「押し捻り」という、パルティアンショットにも似た後方射撃も使われたようです・・)
「蒙古襲来絵詞」の竹崎季長。前方の元軍に向かって矢を射っている。
大陸と島国での弓の使い方の違いが如実に出ているようで、中々興味深いですね。
寄稿者:ひで
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