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そもそも内モンゴルとモンゴル、南モンゴルと北モンゴルってなに違うのでしょうか?
某旅行会社の社長もよく言いますが、内モンゴルツアーで行った人たちが到着してから初めて内モンゴルは国でいうと中国だったことに気が付いたとか。あと内モンゴル行く行くのにガイドブックがモンゴルだったりすることが多いです。
なので、最低でも内モンゴルとモンゴルの違いを覚えて欲しいです。
YAHOO知恵袋に分かりやすい解釈があったので転載させて頂きました。
引用元http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432448539
(erden_dさんの回答 2009/11/6 16:15:23)
内モンゴルと外モンゴルが分かれたのは、大清帝国設立したときです。満洲と一緒になったモンゴルの部分が内モンゴル、なっていないのが外モンゴルとなっています。これはこれでいいのですが、問題が大清帝国が崩壊した際に、外モンゴルは独立し、内モンゴルは日本の支持で蒙古聯合自治政府を作ります。外モンゴルと内モンゴル一緒になる動きはありましたが、外モンゴルはソ連、内モンゴルは日本の影響下に置かれていたため、できていません。日本が戦争に敗れたことで、なぜか内モンゴルは中国の一部となってしまいます!文化大革命までは、内モンゴルはモンゴルのままでしたが、文化大革命で漢族を内モンゴルへ移住させたため、今のように内モンゴル総人口の8割を漢族が占めるようになっています。内モンゴル人は、農業をやっていたからとか、中国に近かったため漢族が多く住んでいたとかは事実と違います。
(na_cochiさんの回答 2009/11/2 21:11:19)
モンゴルは、実際には4つにわかれています。
1.中国の内モンゴル自治区(モンゴル人400万)
2.モンゴル共和国(モンゴル人270万)
3.ロシアのブリヤート共和国とその周辺(アガブリヤートやウスチオルダブリヤート、トゥーバなど)(モンゴル人160万)
4.ロシアのカルムイキア共和国(モンゴル人40万)
になります。
内モンゴルは、農耕のために定住したモンゴル人で、農耕に適した地域が中国との境界ふきんだったため、中国の支配下に入った地域です。
モンゴル共和国(外モンゴル)は、遊牧を中心とした地域で、中国(明)に屈服せずに清朝の時に、清に従属していた地域です。
ブリヤート地区は、清朝に従属せずに、独立を保っており、後にロシアに併合された地域です。
カルムイキアは、モンゴルの西征の時にヨーロッパ地区(南ロシア)に移住し、キプチャクハン国を造った人達の末裔になります。
なおカルムイキア共和国は、最も西にある仏教国で、国旗には仏教のハスの花が使われています。(転載はここまで)
これで内モンゴルとモンゴルの違いを理解できましたかでしょうか?
実は内モンゴルのことを日本で一番詳しく書いてある本があります。
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