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カテゴリ: ウランバートルの情報

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【写真説明】山形大学で研修中の日馬富士学校の美術教員、ガルバドラッハさん茵モンゴル人留学生のデルゲルツェツェグさん罅▲離爛螢鵑気鶚蕕醗貊錣法△海譴らお昼ご飯を食べに行くところ=山形市の山形大小白川キャンパス

 新モンゴル日馬富士学校(ウランバートル市)で美術を教えるガルバドラッハさんは、夏休みを利用して、山形大学で短期研修中だ。同校は昨年9月に開校して間もなく1年になる。ガルバドラッハさんは「自由で豊かな感性を持ち、考えながら表現する生徒を育てたい」と明るく抱負を語った。
 ガルバドラッハさんは、ウランバートル出身の24歳。モンゴル国立教育大で美術・デザインを専攻して卒業、2017年に日馬富士学校の教員になった。同校は開校前だったので、提携する新モンゴル小中高で2年間、美術を教えた後、日馬富士学校に移った。
 日馬富士学校は、モンゴルで一般的な小中高一貫教育を行っている。小学校が5年、中学校4年、高校は3年だ。美術や図工の授業は、8年生(モンゴルの中3、日本の中2に相当)までの生徒が学ぶという。
 日馬富士学校の小学校教員、ウルジーさんも昨年、山形大で短期研修を行っている。
 ガルバドラッハさんは、6月22日に来日した。成田空港に到着後は、東京に住む理事長の日馬富士さん夫妻に夕食の焼き肉をごちそうになり、夜行バスで山形に向かった。
 山形では、山形大学の付属小学校で2週間、中学校で1週間、美術(図工)、技術(家庭)などの授業を見学した。7月20日に帰国する。
 モンゴルと日本では、授業のやり方に、違いがあった。例えばスポーツ行事の場合、モンゴルでは、クラス対抗戦であり、運動が得意な生徒が選手となり、そうでない生徒は応援にまわって、メダルを争う。
 一方、日本では、学年を横断したグループ分けが行われ、運動が得意であるかに関係なく、全員が参加し、それぞれが頑張ったことを評価する。「どちらがいいというわけでなく、いろいろなやり方があり、興味深かった」とガルバドラッハさん。
 私は、美術教育に関して「技術と感性のバランスをどう考えるか」と質問してみた。彼は「デッサンとか基礎的な技術は不可欠です。でも、やっぱり自由で豊かな感性の方が重要かなあ」と答えた。
 最近は、コンピューターグラフィックス(CG)が大きく進歩している。私は「アナログのデッサン力は要らなくなるのではないか。コンピューターを使えば、何でもできそうだ」と聞いてみた。
 「いや。デッサンがうまい人ほどCGも使いこなすと思う」とガルバドラッハさん。
 感性を養うのには、どうすればいいか。ガルバドラツハさんは「家族、健康、教養、文化、スポーツとか、いろいろ関係してくる」と言う。
 日馬富士学校では、部活として、体操、ヨガ、美術、馬頭琴、ピアノ、柔道、テコンドーなどが誕生している。
 校舎の建設も進んでいる。8月中旬には、体育館、図書館、食堂などが入る区画(Cブロック)が完成する。これとは別に、相撲場(土俵)も近く完成する。部活の相撲部、剣道部が準備中という。
 日馬富士学校の校長は、新モンゴル小中高などを経営する新モンゴル学園のガルバドラッハ理事長が務めている。
 新モンゴル小中高を卒業して、日本の大学に進学した若者たちは、毎年3月、東京に集まって勉強会を開いている。今年の卒業論文発表会には、日馬富士さんも訪れ、若者たちを激励し交流した。
 新モンゴル小中高で長く地理を教えてきたバトドルジさんは、9月から日馬富士学校に移る。両校の教員、生徒の交流は活発化しそうだ。
 
 
▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

全身全霊 第70代横綱、18年間のけじめ 日馬富士公平
日馬富士 公平
ベースボール・マガジン社
2018-09-27










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【写真説明】山形大学のユウ・ミンホァン教授(基盤教育)の授業でモンゴル渡航について後輩たちに話す花屋莉保さん=2019年7月3日
 

 山形大学を今春卒業した花屋莉保さん(山形県上山市)はウランバートル市の新モンゴル小中高の教員になるため近く出発する。花屋さんは、山形大の地域教育文化学部で児童教育を専攻しており、新モンゴル小中高の小学校課程の教員を目指している。同校では、高校課程で日本語を教えた日本人は多い。しかし、小学校の日本人教員は初めてのケースとなる。
 花屋さんとモンゴルとの出会いは、2017年12月、新モンゴル学園の理事長で日馬富士学校の校長も務めるJ・ガルバドラッハ(愛称ガラ)さんが山形大で講演したことに始まる。ガラさんは、山形大で修士号を取得しており、2000年10月、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高校」を創設した。同高は後に小中高一貫教育の学校になった。ガラさんは、2014年に大学と日本式の高専、2016年に「子ども園」、2019年には姉妹校となる日馬富士学校も開校した。
 講演会でガラさんは、モンゴルの教育事情や日本とのつながりについて話した。日馬富士学校の創設計画も披露した。会場には、山形大の学生だけでなく、ガラさんの長女トゴスさん(新モンゴル学園専務理事)が卒業した山形西高の生徒も大勢詰めかけた。
 講演の後、質疑応答で花屋さんはマイクを握った。「私は将来、小学校の先生を目指しています。もし新モンゴル学園で教えたいと言ったら、雇っていただけますか」
 ガラさんは「ああ、いいですよ。どうぞ来てください」と答えた。花屋さんにとっては想像を超える回答だった。私は、会場の隅でやり取りを聞いていた。ガラさんが、大事なことを安請け合いしているようにも思えて、心配になった。
 花屋さんは早速、翌年2月、自費で新モンゴル小中高を見に行った。ナランバヤル校長に会って、いきさつを話した。校長は「うちの学校で教えたいなら勉強しなくちゃね」と言ったという。同時に「8月のサマースクールで講師をやってみませんか」と誘った。
 サマースクールは、日本留学を希望する新モンゴル高の卒業生や生徒を対象にした日本語の特訓講座で、毎年7月末から8月末まで開講している。講師は、新モンゴル高のモンゴル人教員はもちろん、毎年、日本の大学生もボランティアで務めている。昨年は、日本から11人の若者が参加した。花屋さんは初めて体験したが、インターンシップ(職場体験)という側面もあった。
 花屋さんは、今年2月から3月にかけて3回目のモンゴル訪問を行い、学校側と勤務条件など詳細を詰めた。今のところ、今年9月の新学期から2年間、教員として働く契約になっている。午前中は高校クラスで日本語を教え、午後は小学校で子どもたちと一緒に学び、将来、理科と体育の授業を受け持つことになっている。高校で日本語を教えながら小学校の副担任を務めるということのようだ。
 新モンゴル高が2000年10月に開校したとき、山形大の大学院生、佐藤綾さんが日本語の教員になり、1年間務めた。佐藤さんは、同校の日本人教員第一号だ。花屋さんが小学校の教員となれば、新たなパイオニアとなる。
 小学校で教えるとなると、モンゴル語が欠かせない。高校の日本語教員ならば、モンゴル語ができなくても、なんとかなる。これまでの事例では、そうだった。しかし、小学校となると話は異なる。
 花屋さんは目下、モンゴル語を特訓中だ。今年のサマースクールで2回目の講師を務め、モンゴル語にみがきをかける予定だ。
 花屋さんにとっては、「学習指導要領」も不安材料だ。私が、新モンゴル小中高の教員と元教員に聞いたところでは、モンゴルにも日本の学習指導要領のようなものはある。2015年に教育省が「コアカリキュラム」を策定したという。
 しかし、花屋さんは「どのように教えるか、詳しいものはない」と言う。例えば、日本では、とび箱の授業のときは、まず恐怖心を取り除くために、遊びから始めるという。少しずつ状況に応じて、箱の段数を上げ、箱を飛び越えるまでの指導方法が、細かく決められている。花屋さんにしてみれば、何を教えるかだけでなく、同時に、どのように教えるかの手引書、虎の巻がほしいということか。
 昨年6月末から28日間、新モンゴル小中高の教員(現在は日馬富士学校教員)のウルジーさんが山形大で短期研修した。私が彼女に感想を聞いたところ、山形大学付属小学校の算数の授業が一番印象に残ったということだった。
「40マイナス18」の問題を解く授業だった。彼女は、そのことに5日もかける丁寧さに驚いた。1クラス32人の全員が正解を導くまで時間をかけるのだという。できた子も、できない子と先生のやり取りを、しっかり聞いている。モンゴルでは「40マイナス12イコール28」の答えができたら次に進む。「全員理解まで5日もかけるなんて…」と彼女は驚いた。私の経験から言っても、山形でそんな丁寧な授業が行われているとは驚きだ。
おおらかで、おおざっぱなモンゴル式。きめ細やかで窮屈な日本式。そんな国民性の違いまで連想してしまう。花屋さんは、これから、モンゴル語だけでなく、どのように教えるかで試行錯誤が続くのではないか。頑張ってほしい。


▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

ナムスライ
【写真説明】子どもを虐待から守る「魔法の城」の旗を掲げ、募金を呼び掛けるナムスラ
イさん=6月23日、新潟市中央区万代の「メディアシップ」

 ウランバートル市のゲル地区に、さまざまな虐待を受けた子どもを守り保護する民間施
設「魔法の城」がある。現在、2カ所目を建設中だ。新潟市の建設会社に勤務するモンゴ
ル人、ナムスライさんは、魔法の城計画を進めるプロジェクト「マジック・モンゴリア」
に共鳴し、募金などの支援活動を展開している。
 魔法の城は、モンゴルの若者4人が2013年に「金づちのアラーム」というNGOを設立し
たことに始まる。「マジック・モンゴリア」は、海外向けに英語で説明するときに使うプ
ロジェクト名だ。
魔法の城は2017年春に完成した。約2200平方メートルの敷地を国から買い取り、保護施
設、コミュニティー施設、ゲル付きの遊び場、家庭菜園用のビニールハウス、運動場など
を備えている。施設内では有料の保育園(定員50人)も併設している。
 2カ所目は、現在地の東約15キロに建設中だ。敷地は現在地の3倍あり、建物は2倍にな
る計画。目下、建物の基礎工事が進められており、来年の完成を目指している。
 資金は民間からの寄付金でまかなう計画。ナムスライさんは、今年2月、新潟市で募金運
動を始めた。主にSNSで「アルバイト(または給料)1時間分」の寄附を呼び掛けた結果、こ
れまで200人以上から約41万円が集まった。
 しかし、資金はまだまだ足りない。ナムスライさんは、今度はチラシを製作して、モン
ゴル料理を提供している全国の店に置いてもらおうと準備中だ。
 ナムスライさんは、ウランバートル市の新モンゴル高を卒業して来日、東京のABK日本
語学校を経て、2010年、新潟大工学部建設学科に入学した。卒業後は新潟市の建設会社「
本間組」に入社し4年間、現場の施工管理を担当した。今年4月からは、企画設計部で構造
設計に当たっている。
 魔法の城は、高校の後輩で高知大を卒業した男性が運営に深くかかわっていることから
、支援を始めた。高校同期で桜美林大を卒業した女性が、魔法の城の子どもたちに日本語
を教えていることを知ったときは、早速、文房具や自分が昔使った教科書を送った。
 ナムスライさんはまた、2015年、新潟モンゴル協会を設立した。モンゴル人の情報交換
の場として、また日本にモンゴル文化を広める活動を行っている。
 協会とは別に、日本人との交流にも取り組んでいる。建設業界のつながりでは、道路排
水の勉強会を開いたりした。モンゴルでは、雨が降ると、道路が川のようになる。駐車場
にも水たまりができる。コンクリートで固めた場所の排水は大きな課題だ。日本ではどの
ような対策を講じているかは参考になる。
 ナムスライさんは、新潟大を卒業して、すぐに就職した。大学院には進学しなかった
。「実際に建設現場で経験を積むことは、将来、モンゴルに戻ったとき、すぐに役立つと
考えた」と言う。
 建設会社で給料をもらいながら、大学院とは一味違う勉強を続けているのかもしれない
。そして仕事を離れては、ボランティア活動を通じて祖国への貢献を考え実践している。

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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