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カテゴリ: 観光

Сайн байна уу? God dag.

デンマークのコペンハーゲンに行った時、たまたま泊まったホテルの横のビルに、見慣れたシンボルマークを見ました。
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調べると、何とモンゴル総領事(Consultate of Mongolia)でした。

このビルの一階部分にあるレストランを、モンゴル料理店と期待したのですが、残念ながら"Calfornia Kitchen"というお店でした。

あと、モンゴルのお寺っぽいモニュメント(チベット仏教的なもの)を、「クリスチャニア」というコペンハーゲンにある「自称」自治区で発見しました。色とりどりの布のことを「カター(хадаг/ハダグ)」といいます。
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この「クリスチャニア」は独自の国旗まであって、Wikipediaによると「デンマークの首都コペンハーゲンにある、850人の住人と34ヘクタールの土地をもつ地区である。自治を自称する。1971年に軍の所有地に建国されて以来、たびたび論争の中心となってきた。」とのことです。ちなみに、警察が常駐していて、写真撮影禁止の区域があります・・・。



以下、さらに詳しい紹介があります。


以下は、その自治区「クリスチャニア」の様子で、黄色と赤の提灯があるエリアは、写真撮影が禁止です。DSC00358
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ちなみに、デンマークではセブンイレブンがありますが、LGTBのカラーのロゴマークで、このあたり非常に意識高い感じでした。
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コペンハーゲンはeスクーターがすごく盛んで、街のあちこちに、どこにでもあります。デンマークでは環境に配慮して、自動車を使わないような動きが強いです。

モンゴルでも、大気汚染対策でeスクーターを普及させることが検討できると思いますが、如何せん、マイナス30度・40度の世界でどうメンテナンスするか、など色々課題があるかと思われます。

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今回はここまで。

Сайхан амраарай, God nat.

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毎度、編集長のタケシです。
台湾の高雄で旅行している友人から衝撃の写真が送られてきました。

なんと、モンゴルのゲルです。
色やデザインから見れば内モンゴル製のゲルです。

しかし、なんで台湾の仏教の聖地である佛光山にゲルがあるのか謎です。

余談ですが、台湾にはモンゴル語が話せないがモンゴル人という人も結構いるようです。どの時代に海を渡って台湾に行ったのか興味深いです。


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ゲルはいつまでおいてあるか分かりませんが、ゲルがなくてもココは行ってみたいですね。



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【写真 枦傾鎚轍爾皇太子時代に訪れた写真が飾ってある祈念館の内部。窓ガラスが抜け落ち、窓枠の木材が露出して無残な姿をさらしている。外壁にもひびが入っている=2019年10月2日
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【写真◆枡本人慰霊碑(左手奥)のある一帯は、公園にする計画があるが、進んでいるようには見えない=2019年10月6日

 かなり深刻な状況に思えてならなかった。ウランバートル郊外、ダンバダルジャーの日本人慰霊碑。広い敷地の一角にある祈念館は、明り取りの窓ガラスがなく、窓枠の木材が飛び出している。外壁にひびも入っていた。
 管理人のガントクトフさんの話では、今年夏、強風が吹き荒れ、壊れたという。祈念館は慰霊碑とともに2001年に完成した。酷寒の地であり、老朽化が進んでいたところに、強風が追い打ちをかけたようだ。
 ガントクトフさんによると、被害後、日本大使館の職員が調査に訪れ、修復すると話したという。慰霊碑周辺のコンクリート路面も劣化が激しいので、これも直すという。しかし、いつ着工し、どのように修復するか「詳しいことは知らされていない」ということだった。
 祈念館には、天皇陛下が皇太子時代の2007年に訪れた写真が飾ってあった。秋篠宮さまも2002年に訪問された写真があった。安倍首相が2013年に訪問した写真もあった。その他、日本の政治家や県知事、市長ら要人が大勢訪れたことがわかる。そんな祈念館の惨状は異様に思えた。
 私が祈念館の惨状を知ったのは10月2日。4回目の慰霊碑訪問だった。昨年9月に訪れたときは、私の「モンゴル仲間」が般若心経を唱え、皆で線香をあげて手を合わせた。今回は10月6日に再び訪れた。
 ちょうど日本人観光客がバスで来ていた。私は感想を聞いた。「政治家の写真、あんなの要らん」「それよりも早く直すべきだ。日本政府は何をやってるんだ」…。予想した通りの答えが返ってきた。あの惨状を見て、何も思わない日本人は、いないのではないか。
 建物は修復されるだろう。問題は、どのように修復するかだと私は思う。VIPの写真や花輪を飾るだけの祈念館なら要らないのではないか。それよりも「モンゴル抑留」の歴史を、わかりやすく解説した展示がほしい。
 多くの日本人が強制連行され、亡くなった人は、この場所に埋められた。遺骨は後に掘り返され、祖国に戻った。悲しい不幸な歴史を忘れないようにすることは必要だ。しかし、同時に、前向きに、モンゴルと日本の友好親善を祈念する場所ととらえることはできないものか。
例えば、日本人捕虜は、スフバートル広場周辺の街並みを造ったと言われる。モンゴル人に広く知られたことだが、それは具体的に、どの建物なのか道路なのか。それも、全部なのか一部だけなのか。留学生と話すと、モンゴルに木がないのは、「日本人の捕虜がまじめに切ったから」と説明する人もいる。こんな話は本当なのか。整理して解説してもらいたい。
 歴史の事実を伝えることは、モンゴル人に理解してもらえるのではないか。むしろ、そのことは、モンゴルと日本の友好親善に寄与するものと私は考える。
 慰霊碑周辺の公園化も進めてほしい。祈念館には、公園計画を示すパネルが展示されている。しかし、私には、計画が進んでいるようには見えない。関係者の努力で、少しずつ植樹されていることには敬意を表するけれど。
 周辺は、宅地化の波が押し寄せている。乱開発を防ぐためにも、市民に親しまれる公園にしてほしい。子どもたちが遠足やピクニックで訪れる場所になってほしい。
 ノゴーンノールでは、住民のウルジートクトフさんが、個人で公園化を進めている。彼は、日本人の足跡がわかる資料館をつくりたいと話している。
 ダンバダルジャーの慰霊碑は、日本政府とモンゴル赤十字が管理する場所だ。それ相応の施設、展示内容にしないと、ノゴーンノールとのバランスが取れないのではないか。





▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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【写真説明 曠瀬鵐丱瀬襯献磧爾瞭本人慰霊碑公園の資料館で読経の中、合掌する「柱一本の会」会員=2018年9月2日


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【写真説明◆曠好侫弌璽肇觜場に隣接するオペラハウス。強制連行された日本人捕虜が建設に当たった。今や観光名所の一つになっている

 

 

 日馬富士学校の開校式でテープカットした山形県上山市の長瀬洋子さんの夫、恒夫さんは山形県警の刑事部長や山形署長を務めた元警察官だ。長瀬恒夫さんは、県警を退職後、仏門に入り、新潟県や岩手県の古刹で修業を積んだ。いつもスキンヘッドで作務衣姿なので、一見すると寺の住職だ。

 昨年9月1日の開校式には私と長瀬さん夫妻ら新モンゴル高ができるときに支援した「柱一本の会」の会員6人が出席した。6人は翌日、ダンバダルジャーの日本人慰霊碑公園に行った。まず、資料館に入り、長瀬『住職』が般若心経を唱える、線香を供えて手を合わせた。

 その後、さらにを上り、慰霊碑に参拝した。このとき、八戸高専(青森県)の先生と生徒の皆さんに出会った。同校はモンゴルで自主探求の授業を行っていた。翌日、私たちは新モンゴル高専の入学式に出席したが、ここで再び八戸高専の皆さんと一緒になった。

 慰霊碑を訪れた後、ダンバダルジャー寺院に行った。真新しい病院の建物ができていた。病気になったり負傷した日本人捕虜が収容されたアムラルト病院だ。私が以前見たときは、今にも崩れそう朽ちていて、気になっていたが、生まれ変わっていた。ただし診療はまだ行っていないということだった。

 ボルジギン・フスレ編「日本人のモンゴル抑留とその背景」(三元社)によると、ソ連は対日戦で60万人の日本軍捕虜を獲得した。いわゆるシベリア抑留だ。このうち1万2318人がソ連からモンゴルに引き渡され、ウランバートルなど16カ所に分けられ、都市建設やトーラ川沿いの樹木伐採などに駆り立てた。日本兵の死亡は1615に上り(行方不明を含む)このうち1597人が埋葬された。

 ダンバダルジャーの丘に埋葬されたのは835人。厳しい自然環境の中、過酷な労働で病気になったり負傷した人はダンバダルジャー寺院の敷地内にあるアムラルト病院に収容されたが、力尽きると、寺院奥の丘に埋められた。一帯は長らく「日本人墓地」とされていた日本とモンゴルの国交が結ばれると、遺骨は掘り返され祖国に戻った。

 墓地跡に慰霊碑ができ、周辺は公園に整備中だ。しかし、植栽などまだまだのように見える。慰霊碑の近くまで宅地化が迫っている。乱開発を防ぐためにも、公園整備は実現してほしい。慰霊碑公園がウランバートル市民の憩いの場になることを私は願っている。

 モンゴル抑留の日本兵は、スフバートル広場周辺のオペラハウス、中央政庁舎(現在の国会、大統領府、首相府)、国立大学などの建設労働に従事した。これらの建物は、なお周辺の景観を構成する威容を誇っている。「日本人は勤勉だ。捕虜でもいい加減な仕事はしない」と評価する声にもなっている。


▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。



Dobry den!
Сайн байна уу!

この前、チェコ・プラハに訪れてプラハ中央駅(Praha hlavni nadraži)のクリスマスマーケットに寄った際、なんとモンゴル料理屋さんを見つけました。そこでは焼きバンシ(モンゴル風餃子)と焼きそば(ツォイワン)と現地らしくホットワイン(ドイツ語ではGluehwein(ue:ウムラウトU)、チェコ語ではSvařene vino)が売っていました。
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ちなみに、奥に見える茶色いケーキっぽいのは、ハンガリーのお菓子のキュルテーシュカラーチ(ハンガリー語:kurtőskalacs)と呼ばれるもので、東欧では知られているものです。(ドイツ語ではBaumstriezelと言います。)

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Mongolske smažene Banš s omačkouと書いてあり、モンゴル語的にはСүмстэй монгол шарсан баншでしょうか。ソース付き揚げモンゴル風小餃子(小さい方の餃子、ボーズの小さい版)です。

モンゴル料理といえばСүүтэй Цай(スーテーツェー、(モンゴルミルクティー))ですが、残念ながらありませんでした。現地に合わせて、あったのはホットワインでした。

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値段は100クローナで、日本円でだいたい500円弱ぐらいです。

モンゴル人店主とモンゴル語で少し会話をしました。ものすごく、久しぶりにモンゴル語を話しました。なんでもチェコに20年ほど住んでいるとのことです。焼きそばにソーセージが入っていたので、これは日本の料理か?と聞いてしまったのですが、これは立派なモンゴル料理で、ツォイワンだと言っていました。

店主は、何か苦労した雰囲気があり、チェコに住んで働いているけれども、どこかモンゴルのことを思っているのではないかと勝手に感じました。

そんな店主に"Шинэ жилийн мэнд!(あけましておめでとうございます!)"と言うと、笑ってくれました。それをよそに、ヨーロッパ人の観光客がツォインワンを4皿分も注文していました。商売は繁盛しているようです。

異国で頑張ることは、容易なことでないのですが、コツコツと、顧客を大事にし続けて商売をしていればなんとか生きていけると教えてくれたような気がしました。

ちなみに、チェコはモンゴル人労働者を受け入れてきたという記述がWikipediaにありました。

2004年にチェコがEUに加盟してから2007年末までの経済成長により、チェコの平均給与は40%以上も上昇した。このような状況で、チェコの労働者は高い給料を求めて次々と転職を繰り返し、一つの企業で長く働くことはなくなり、企業の教育もおぼつかない状態になった。「安くて良質な労働力」を期待してチェコに殺到した外資系メーカーは深刻な人手不足と納期不達に悩み、急上昇する人件費は企業の利益を急激に圧迫する要因となっている。 打開策として、国内のメーカーは製造ラインのロボット化を進める一方、ベトナムやモンゴルから安くて優秀な労働者を大量に雇いチェコへ労働移民として送り込む方向。チェコの工場を閉鎖して別の国に工場を新設することを検討している企業も多い。(出典:Wikipedia「チェコ」経済より)


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ヴァーツラフ広場です。プラハのシャンゼリーゼ通りと言われていて、日本でいうと銀座に近い感じです。色々なお店が並んでいます。

ヴァーツラフ広場は、かつて「プラハの春」でデモが行われたり、社会主義崩壊に伴う民主化革命(ビロード革命)が起こったところでもあります。モンゴルで言うところの、チンギスハーン広場にあたるところだと思います。

今回はここまで。

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