モンゴル情報クローズアップ!

モンゴルの文化、ビジネス、投資、観光、最新話題など幅広い情報をお届けします。(通称:モンゴルなう)

タグ:遊牧民

IMG_9220
Photo : モンゴル・フブスグル県ムルンで買ったトナカイ遊牧民「ツァータン」の人々の暮らしの絵

モンゴルから帰国して、投稿がしばらく空いた。

数日、次の旅へと装備の見直しをしつつ、溜まった要件をこなしつつ、こころが落ち込んだ。

「モンゴルが好きだな」

と、積極的に歩み寄ったからだと思う。
「モンゴルロス」というやつだ。

実はいままで、モンゴル旅行が嫌な時期があった。

日本の古都でながく伝統産業をしている家の、大金持ちのお嬢さんとモンゴル旅行をした時のこと。

「モンゴルで旅をするにはお金がたくさん必要」

というお嬢さんの思い込みに付き合って贅沢な高級レストランでモンゴル人を接待したり、長距離のガソリン代を払ったり買い物をどんどんしたあげく

「費用はワリカンだからね」

と、自分にはかなり負担になるお金を求められて続けて以来

「モンゴル人は平気で人を搾取するひとびとだ」

モンゴル人たちも平気でモノをねだるようになってきて

「モンゴル人は他人からお金やモノをねだる人々」

という、嫌な印象をもっていた。

でもこの2年、お嬢さんから離れてモンゴルへ旅して、そんな考えはある程度は消えてきている。

わたしは、いい人たちと付き合って、モンゴルがすこしづつ好きになってきたと思う。

寄稿  大道卓矢

モンゴル ウランバートル チンギス広場
△スフバートル広場 / 写真 大道卓矢 

ウランバートル中央部、政府宮殿(映像では国会議事堂と伝えています)に面したスフバートル広場。

モンゴル独立革命を成し遂げた英雄・スフバートルを讃え、その像を中心に広がっています。

いわば、建国のシンボルです。

普段は市民の憩いの場であるほか、式典やコンサートなども行われます。


ところでこのスフバートル像、北を向いているので正面から写真を撮ると、完全に逆光で顔がよく見えません。

ふつう、こうした人物像は南を向いて建っているものですが、なぜなのでしょう?

実は、スフバートルはソ連(現・ロシア)と協調して共産主義革命を指導し、モンゴルを社会主義国家として独立させたのです。

だから南ではなく、友邦のソ連があった北を向いて建っているのです。

共産主義体制というと他に中国が有名ですが、実はモンゴルは中国より先、ソ連に次いで世界2番目の社会主義国家として成立しました。

実は中国の先輩なのです。


またソ連との関係もあり、日本とモンゴルはたあたかいを第二次世界大戦後はシベリア抑留された日本人捕虜の割り当てを受け、都市建設などに従事させました。

そしてできたのが、スフバートル広場。

つまりここは、日本人たちが血と汗を流して築いた遺産でもあります。

いらした方々は、広場の石畳の見事さに感嘆するでしょう。

日本人労働者を指揮したモンゴル人たちも、彼らの勤勉さと仕事の緻密さに驚き、次第に敬愛の念を持って接するようになったといいます。

モンゴルとの友好の原点は、私たちの先輩にあるのです。

寄稿  大道卓矢

IMG_2422

毎度、編集長のタケシです。
日本にモンゴル博物館はあるので知ってたけど馬の博物館なんてあるんですね。

夏休みは、モンゴルまで行けないよという方にぴったりのモンゴル プチ体験できる展示会があります。

展覧会名
テーマ展「モンゴルの生活と日本」

会期
7月27日(土)〜9月29日(日)

会場
馬の博物館 / 神奈川県横浜市中区根岸台1−3

協力
浅野慈司氏(写真家)
開館時間
10:00〜16:30(入館は16:00まで)

入館料
大人100円、小中高校生30円
※毎週土曜日は小中高校生無料

会期中の休館日
月曜日(ただし、8月12日、9月16日・23日は開館)
8月13日(火)、9月17日(火)・24日(火)

もっと詳細を知りたい方はこちら
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/event/event_20190712_2.html



街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞出版
2008-09-05


DSC_0800
【写真 枩屬辰櫃ぞ花を付けた薬草バチューンの群落。根にデンプンが含まれていると
いう。マザーライの重要な食べ物の一つで、保護区内のどこでも見かけた

ハブトガイの死体
【写真◆曠丱蹈鵐函璽蹈い凌緇譴埜つけたハブトガイの死体。ハゲワシなどの動物に食
われて無残な姿をさらしていた。すぐ近くで死んで見つかったマザーライもこの死肉を食
べたかもしれない

クマを探す米田さん
【写真】バロントーロイの山の上でマザーライを探す米田一彦さん蕁写真の左奥にト
ーロイの木が見える

 マザーライが生息する大ゴビ特別自然保護区(A地区)を廻ってみて、野生動物が意外に多
いと感じた。生きているマザーライを見ることはできなかったが、ヒツジ、ヤギ、ラクダ
、ロバ、ガゼル、キツネ、ウサギは見た。ハゲワシなどの鳥類、トカゲ、ハエもいた。

 大ゴビ特別自然保護区は、ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがるA地区(4万
4000平方キロ)と、ゴビアルタイ県とホブド県にまたがるB地区(9000平方キロ)の二つに分
かれる。マザーライはA地区に生息している。

 A地区の面積は、四国よりずっと広く、青森、岩手、宮城、秋田の4県を合わせたぐらい
だ。一見すると何もないような大平原が広がっている。岩山、水の枯れた川底のような所
、水のない湖底のような所、草が生えた所、草が全くない所など、さまざまな表情を見せ
る。

野生動物がいるということは、何もないように見えても、彼らの食べ物があるというこ
とだ。草食動物の餌とみられる下草は結構あったし、ラクダが食べるという灌木の「ザグ
」はどこでも見かけた。

 水場には、トーロイという珍しい木もある。トーロイの学名はpopulus diversifolia。「多
様な葉を持つポプラ」という意味のようだ。確かに、同じ木に丸い葉と細長い葉の両方付
けているのを見た。マザーライは、このトーロイの木がある水場周辺に出没する。
 保護区内では、モンゴル語で「バチューン」と呼ばれる赤い小花を付ける植物を、あち
こちで見た。整腸剤として使われる薬草ダイオウの仲間で、学名はrheum nanum。根にデ
ンプンが含まれているそうで、マザーライの重要な食べ物だ。実際、根を掘り返した跡も
見た。

 マザーライが食べる「ゴヨウ」と呼ばれる薬草も見た。マザーライはハルマグ、ブイレ
スなど低木の実も食べるし、動物の死肉も食べるという。
 モンゴル語の「ブイレス」は学名amygdalus。モンゴル国立大のバトフー教授によると
、ブイレスには、野生のモモとアーモンドの二つがあり、ゴビで見られるのはモモ、ウラ
ンバートルから東に見られるのはアーモンドだという。5月にピンク色のきれいな花を咲
かせるので「モンゴル桜」とも呼ばれる。ブイレスの実は、マザーライなど野生動物の大
切な食べ物になる。

 特別自然保護区を管理する事務所のレンジャーは、巡回するとき、水場ごとに設置した
給餌場に家畜用の飼料を置いていく。しかし、クマ研究家の米田一彦さんは、「クマの生
息数を増やすには、餌の与え方のポイントがある」という。

 大事なポイントは、5月、6月の繁殖期(排卵期)と10月、11月の冬眠前(着床期)に、雌グマ
に高栄養の餌を与えること。クマの卵子は受精しても、すぐには着床せず、子宮内を浮遊
し、冬眠前の栄養状態が良ければ着床し、冬眠中に出産する。しかし、栄養が十分に取れ
ないと流れてしまう。

 高栄養の餌とは何か。管理事務所のレンジャーは、凍死したヒツジの内臓や肉を胃袋に
詰めて給餌場に置いたりもしているという。しかし、米田さんは「犬用のドッグフードが
一番手ごろではないか」と言う。

どこの家庭にもありそうな袋入りのペットフードだ。わが家の猫も袋入りの餌を食べて
いる。こんなのをマザーライのために届けることができないものか―と私は考えてしまう
。(マザーライについて詳しくは拙著「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」第5章「
ゴビ砂漠のクマ」をご覧ください)

▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
人狩り熊 十和利山熊襲撃事件
米田 一彦
つり人社
2018-04-25


IMG_0054

【写真説明】山奥のぽつんと一軒家のようなゲル。清浄、静寂

 

 

 冬のテレルジはいい。昼の気温はマイナス18度ぐらいか。顔が痛くなるほど寒い。しかし、空気は澄んで、すがすがしい。日差しる。空が青い。観光客はほとんどいない。汚れのない静寂さがある。

 UB2ホテル、テレルジホテルを過ぎ、奥の方に車を進めると、広葉樹林の中、ぽつんと一軒家のようなゲルがあった。煙突から煙が出ている。

 これは絵になる。そう思った私は、車を降り、写真を撮った。すると、ゲルの中から男性が出てきて、何か叫んでいる。「こら、何してる。写真撮るなら、金払え」とでも言っているのかと思い、一瞬、緊張した。

 しかし、違っていた。ガイドのツェルムーンによると「中に入れって言ってますよ」という。あら、まあ。では、お言葉に甘えてみますか。

 ゲルの中に入ると、ヤギの解体中だった。といっても、内臓や毛皮は既に冬の前に取り除かれ、自然冷凍した枝肉を小屋から出してきて、切り分けているところだった。生臭い感じはない。

 「ちょうど一服したいと思っていた。温まっていってください」。そう主は言うと、お茶(ミルクなし)とボールツォグ(揚げ菓子)を出してくれた。しばし歓談。

 主の男性は、ゴビアルタイ出身の元軍人だった。「ウランバートルは住みたくないね」と言う。それで、テレルジの奥にゲルを建て、家畜を世話しながら暮らしているということだった。

 30分ほど話した。時計を見ると、間もなく12時これ以上いたら、仕事の邪魔になる帰ることにした。ゲル出るとき、主は「サヨウナラ」と言った(ように聞こえた)。

 車に向かって歩きながらサヨウナラだって。あの人、日本語わかるんだね」とつぶやいたら、ツェルムーンは「違いますよ。サインヤワーライです。道中、気をつけてという意味です」と言う。ははは。なんだサインヤワーライか。一つモンゴル語を覚えた。

 後日、日本に帰るため空港に行ったら、モンゴル国立大のバトフー教授に会った。教授は東北大で博士号を取得した薬草の研究者。旧知なので、出発前、待合室で世間話。私は奥テレルジの出来事話した

 教授は「それは、いい体験でしたね。ところで、そのヤギ肉食べました」と言う。「いえ、長居しては悪いと思ったので…。お昼ご飯はUB2ホテルで食べました」と私。

 「それは、もったいないことをした。お昼の時間だったんでしょ。そのまま粘っていれば、ヤギ肉のスープぐらいは、出してくれたと思いますよ」と教授。

 なるほど。私は遠慮しすぎか。いや、お昼どきに居座り続けるなんて、思ってもみなかった。

バトフー教授はオブス県の出身。日ごろ「ウランバートルはモンゴルではありません」と言っている。モンゴルを知るには、田舎に行かないと駄目だという意味だ。それは、わかる。でも、なあ。「お茶をもう一杯」ぐらいは言えても、「スープを食べたい」なんて、言えないなあ。


▽森修 もり・しゅう 


1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

↑このページのトップヘ