セレンゲ写真
【写真】バッグのデザインについて型紙担当のゾルタイさんと打ち合わせをするセレンゲさん

 東京・渋谷のバッグ製造販売会社「ジェノバ・ジヤパン」で新商品の企画開発を担当するモンゴル人、ルブサンチメド・セレンゲさんは、とても意欲的な女性だ。先日、NHKの海外向け番組「ワールド・ジャパン」で、日本で働く外国人の一人として紹介されたので、ご覧になった方も多いと思う。

彼女は、ウランバートルの新モンゴル高校から富山大学芸術文化学部に入学、卒業している。大学入学前の2008年3月、弘前大、岩手大、山形大、東北大、千葉大、信州大などに合格した受験生仲間と一緒に、仙台で3週間合宿していて旧知なので、あらためて近況を聞いた。

セレンゲさんの会社で販売しているバッグのブランド名は「OSAM」(オサム)。会社は1978年に創業しているが、ブランド名は梶谷修社長の名前による。「遊ぶ、働く、旅をする」のキャチフレーズで、そのときどきに使う個性的なバッグを提供することを基本方針にしている。
 
セレンゲさんは、2013年に入社して、バッグのデザイン、商品企画、販売戦略、工場での生産管理などを担当している。最近はオンラインショップにも力を入れており、自らバッグの写真を撮って、ウエブサイトに載せたりもしているという。
 
ブランドを維持するためのデザインは生命線だ。ということで、電車に乗ったときなど、人々の持ち物の形や色使いを常に観察している。「世の中の流行は、いち早く感じないといけない」と説明する。
 
彼女の会社では、アルバイトも含めて外国人がいっぱい働いている。昨年7月、モンゴル人女性、プンツァグ・ゾルタイさんを型紙職人として雇った。ゾルタイさんは、もともと服飾関係の仕事をしていたが、日本にいる娘さんが出産するので来日した際、たまたま梶谷社長の目にとまり、採用が決まったそうだ。センスが良く、仕事もはやいということだが、日本語ができないので、セレンゲさんが通訳しなければならないのが悩みだという。 

セレンゲさんは、富山大の芸術文化学部で初めての外国人留学生だった。マブチ国際育英財団の奨学金を受けて卒業したが、3年生のとき1年間、フィンランドの大学に留学し、北欧のデザインを勉強した。
 
セレンゲさんは、これまで学生時代に手掛けた作品の写真集を見せてくれた。木製おもちゃ、年配者向け杖の取って、銅鍋など、いろいろな写真が載っている。自分で製本し、革製の表紙を付けてある。ちょっとおしゃれな手作り商品カタログだ。これを梶谷社長の面接試験のときに見せて自分を売り込んだそうだ。
 
モンゴルの若者で日本留学を希望する人は多い。大体は東京や大阪など大都市の有名大学を目指す。そんな中、セレンゲさんは、富山県高岡市にある、モンゴルではあまり知られていない大学を選んだ。富山大芸術文化学部には、プロダクトデザイン専攻があり、生産実習の機械設備が整っていたことが第一の理由だという。

「面接のとき遠くに立山連峰が見え、ウランバートルの風景を思い出し、親しみを感じたこともあります」と言う。「モンゴル人はもちろん、ほかの留学生がいなくて孤独でしたが、交換留学でフィンランドに行けたし、富山でなければ今の私はなかったと思います」とも。
 
自分は将来、何をしたいのか。日本留学で何を勉強するか。セレンゲさんの話を聞いていて、しっかりとした目標を持つことが大切であると、あらためて思った。
 
セレンゲさんには、高校同期で東京の外資系コンサルタント会社で働く夫のオリギルバヤルさんとの間に、5歳と3歳の子がいる。子どもの教育を考えると「そろそろモンゴルに帰らなければ」とセレンゲさん。
 
帰国後、自分のブランド「LUUGAR」(ルーガル)で勝負すべく準備中だそうだ。ブランド名はセレンゲさんの苗字(一族名)から取った。モンゴルでは通常、名前に苗字は使わないが、戸籍には記載されるということで、これをブランド名にした。
 
「LUUGAR」は将来、カシミヤ製品の「GOBI」(ゴビ)のようなモンゴルを代表するブランドになるか。そのとき、現在の「OSAM」はライバルになるのだろうか。

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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