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タグ:米田一彦

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【写真 枩屬辰櫃ぞ花を付けた薬草バチューンの群落。根にデンプンが含まれていると
いう。マザーライの重要な食べ物の一つで、保護区内のどこでも見かけた

ハブトガイの死体
【写真◆曠丱蹈鵐函璽蹈い凌緇譴埜つけたハブトガイの死体。ハゲワシなどの動物に食
われて無残な姿をさらしていた。すぐ近くで死んで見つかったマザーライもこの死肉を食
べたかもしれない

クマを探す米田さん
【写真】バロントーロイの山の上でマザーライを探す米田一彦さん蕁写真の左奥にト
ーロイの木が見える

 マザーライが生息する大ゴビ特別自然保護区(A地区)を廻ってみて、野生動物が意外に多
いと感じた。生きているマザーライを見ることはできなかったが、ヒツジ、ヤギ、ラクダ
、ロバ、ガゼル、キツネ、ウサギは見た。ハゲワシなどの鳥類、トカゲ、ハエもいた。

 大ゴビ特別自然保護区は、ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがるA地区(4万
4000平方キロ)と、ゴビアルタイ県とホブド県にまたがるB地区(9000平方キロ)の二つに分
かれる。マザーライはA地区に生息している。

 A地区の面積は、四国よりずっと広く、青森、岩手、宮城、秋田の4県を合わせたぐらい
だ。一見すると何もないような大平原が広がっている。岩山、水の枯れた川底のような所
、水のない湖底のような所、草が生えた所、草が全くない所など、さまざまな表情を見せ
る。

野生動物がいるということは、何もないように見えても、彼らの食べ物があるというこ
とだ。草食動物の餌とみられる下草は結構あったし、ラクダが食べるという灌木の「ザグ
」はどこでも見かけた。

 水場には、トーロイという珍しい木もある。トーロイの学名はpopulus diversifolia。「多
様な葉を持つポプラ」という意味のようだ。確かに、同じ木に丸い葉と細長い葉の両方付
けているのを見た。マザーライは、このトーロイの木がある水場周辺に出没する。
 保護区内では、モンゴル語で「バチューン」と呼ばれる赤い小花を付ける植物を、あち
こちで見た。整腸剤として使われる薬草ダイオウの仲間で、学名はrheum nanum。根にデ
ンプンが含まれているそうで、マザーライの重要な食べ物だ。実際、根を掘り返した跡も
見た。

 マザーライが食べる「ゴヨウ」と呼ばれる薬草も見た。マザーライはハルマグ、ブイレ
スなど低木の実も食べるし、動物の死肉も食べるという。
 モンゴル語の「ブイレス」は学名amygdalus。モンゴル国立大のバトフー教授によると
、ブイレスには、野生のモモとアーモンドの二つがあり、ゴビで見られるのはモモ、ウラ
ンバートルから東に見られるのはアーモンドだという。5月にピンク色のきれいな花を咲
かせるので「モンゴル桜」とも呼ばれる。ブイレスの実は、マザーライなど野生動物の大
切な食べ物になる。

 特別自然保護区を管理する事務所のレンジャーは、巡回するとき、水場ごとに設置した
給餌場に家畜用の飼料を置いていく。しかし、クマ研究家の米田一彦さんは、「クマの生
息数を増やすには、餌の与え方のポイントがある」という。

 大事なポイントは、5月、6月の繁殖期(排卵期)と10月、11月の冬眠前(着床期)に、雌グマ
に高栄養の餌を与えること。クマの卵子は受精しても、すぐには着床せず、子宮内を浮遊
し、冬眠前の栄養状態が良ければ着床し、冬眠中に出産する。しかし、栄養が十分に取れ
ないと流れてしまう。

 高栄養の餌とは何か。管理事務所のレンジャーは、凍死したヒツジの内臓や肉を胃袋に
詰めて給餌場に置いたりもしているという。しかし、米田さんは「犬用のドッグフードが
一番手ごろではないか」と言う。

どこの家庭にもありそうな袋入りのペットフードだ。わが家の猫も袋入りの餌を食べて
いる。こんなのをマザーライのために届けることができないものか―と私は考えてしまう
。(マザーライについて詳しくは拙著「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」第5章「
ゴビ砂漠のクマ」をご覧ください)

▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
人狩り熊 十和利山熊襲撃事件
米田 一彦
つり人社
2018-04-25


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【写真 曠Ε屮襯魯鵐イ県バヤンテグの町外れにあるゴアンズ(食堂)
 
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【写真◆杰堂の客を世話する女将さん犬
 
 
 モンゴルの犬は働き者だ。惰眠をむさぼる?平和な日本の犬とは違うと思う。
 ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがる特別自然保護区にマザーライ(ヒグマの仲間)の調査に行ったとき、行きと帰りに、ウブルハンガイ県西部のバヤンテグという炭鉱の町に泊まった。
 ウランバートルを車で出発し、9時間ほど走った後、薄暗くなったころ、バヤンテグに着いた。しかし予定していたホテルは、だれもいない。近くの食料品店で聞いたところ「ホテルの経営者はニンジャ(金探し)をやっている。いつ帰るかわからない。とりあえず食堂に行って待っていたら」と言われた。
 5月だったので、日が落ちると寒さがこたえた。食堂は暖かく、居心地は良かった。ツァイワン(焼きうどん)を注文し、食べながら経営者の女性にホテルの件を話し、「ここに泊まれるかな」と聞いたら、OKの返事。
 そこで、食事の後、テーブルを入り口の方に寄せ、持参していた工事用シートを床に敷き、寝袋を並べた。私と米田一彦さん(クマ研究家)の日本人2人は、長椅子に寝袋を広げた。
 食堂の建物は、厨房に煮炊き用のかまどがあり、煙突は客用区画との間の壁の中を通っている。床ではなく壁のオンドルのような構造になっている。
 寝る準備をした後は、厨房でモンゴル・ウオッカ「アルヒ」を酌み交わす宴会になった。経営者の7歳の女の子が、自ら歌いながら踊りを披露するサービスまであって盛り上がった。
 宴会が終わり、皆が寝静まったころ、私は気分が悪くなった。駄目だこれはと思い、外に出た。このとき、出入り口の外に丸くなっていた黒い犬を踏んずけてしまった。「キャーン」と悲鳴が上がった。暗がりに黒犬なので気づかなかった。ごめん。
 私は吐きそうだった。なるべく食堂から離れようと思い、歩き出したら、黒犬がついてくる。雌犬で、私たちが到着したとき、「いらっしゃいませ」とでも言っているかのように、ぶりぶりと、しっぽを振って歓迎してくれていた。食堂の女将さん犬は、私の具合の悪さを察知したのか、ついてくる。
 懐中電灯を頼りに100メートルぐらい歩いたところで、吐いた。そのとき犬は、下から待ち受けていたかのように口を開き、受け止める。酔っぱらいの扱いに慣れているような感じだった。翌朝、見たら、黒犬の耳の辺りが白くなっていた。うまくキャッチできなかった跡だった。
 吐くと気分は良くなる。しかし、今度は便意を催した。ここはモンゴルだ。用を足すのは、どこでもいい。食堂の建物からは離れている。夜中だし、だれもいない。よし、いいなと思って、ズボンを下ろしたら、犬がいた。犬は、尻をなめるかのように近づき、排せつすると、パクっと食べる。見事な早業と言いたいところだが、ヒヤヒヤしながらの用便だった。
 ということで、後始末は全部、女将さん犬がやってくれた。私はティッシュペーパーに砂をかけて埋めるだけだった。
 食堂には大将犬もいた。食堂の勝手口を出ると物置やゲルがあり、この辺りを大将犬が守っていた。大将犬は後ろ脚が不自由だった。女将さん犬は、客が出入りする道路側を守る。2匹で役割分担していた。
 ウランバートルの東、ナライハの手前の山に天文台がある。天文台に隣接するホテルにも女将さん犬がいた。犬は、客が来ると駐車場に出て、しっぽを振って迎える。帰るときも、しっぽを振って見送ってくれた。ホテルの玄関わきの囲いの中に犬小屋があり、生まれて間もない子犬が見えた。ここの女将さん犬は、子育てしながら働いていた。
 モンゴルの犬というと、遊牧民の番犬を思い浮かべる人が多いかもしれない。でも、客をもてなす女将さん犬にも注目してもらいたい。


▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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