モンゴル情報クローズアップ!

モンゴルの文化、ビジネス、投資、観光、最新話題など幅広い情報をお届けします。(通称:モンゴルなう)

タグ:相撲

7

まいど、編集長のタケシです。

コロナ禍、モンゴルで年に一度の最大のイベントであるナーダム祭が予定とおり開催されました。

2

今年は大モンゴル建国814周年、人民革命99周年記念の年であります。



知らない人が多いかもしれませんが、モンゴルは2月の時点でコロナ防止のため中国と国境閉鎖をし、その後も順次拡大、今も続いています。

その為、モンゴルは国内感染ほぼなく、感染者はいるけどほとんど外国から来た人達とその関係者です。



だから、ナーダムを予定とおり開催に踏み切ったと言えるかもしれません。

1

ここはやっぱり元スポースマン、経営者でもあるハルトマー・バトトルガ大統領の鋭い判断力と決断力のすごいところだと思います。

モンゴルにこう強いリーダーシップは近年はいなかった。
誇りに思います。



しかし、今年のナーダムは例年と違って、完全観衆なしで実施されました。会場にいるのは競技参加者、ナーダム運営関係者、メディア関係者のみです。800年続くナーダムの歴史の中で観衆なし開催されるの初めてです。

モンゴルのこう柔軟な発想は日本も習うべきです。
3

普通は全国から遊牧民がウランバートに集まって来て
  • ナーダムを見る
  • 買い物する
  • 食べる飲む
  • 泊まる
消費が半端ないくらい大盛り上げるのですが、ネットでは今年のナーダムなんだか寂しい・物足りないという人も多くいました。

私から言わせば、今年のツァガンサル(モンゴルの正月)の行事を中止させて、ナーダムが無事に開催できたの本当に奇跡です。コロナ対策としてはモンゴルは世界の見本だと言えるでしょう。
まだモンゴル行ったことがないあなた、
ナーダムに時期に合わせていくことをおすすめします。

写真提供: https://ikon.mn/ 

草原の制覇: 大モンゴルまで (岩波新書)
崇志, 古松
岩波書店
2020-03-21



日馬富士

まいど、編集長のタケシです。

世界中がコロナ騒ぎでたいへんです。
モンゴルにも、入国した外国人と海外にいたモンゴル人らがウィルスを持ち込みました。

下記のリンクから時系列で配信しているので気になる方は読んでみて下さい。




〈画文集〉第70代横綱日馬富士 相撲道を読みました。

 

あらすじ

あらすじ(以下引用)
「相撲道とは、努力し、忍び、耐え、開かれる道」「稽古とは、古いことを、敬い、覚え、磨くこと」小さなやせた躰で来日して18年、艱難辛苦を経て相撲界の頂点に昇りつめた、第70代横綱日馬富士。さまざまな社会活動にも貢献してきた横綱の根底にある精神とは?付・特別インタビュー「横綱日馬富士の「相撲道」とは何か」/「日馬富士の戦績」ほか。カラー画約120枚。英訳付き。

目次

稽古
努力×忍ぶ×待つ=……
=成 功
仲間たち
祈る
受け継ぐ 伝える
感 謝 恩返し

夢から恩返しへ――あとがきにかえて(橋本委久子)
日馬富士の戦績

〈特別インタビュー〉横綱日馬富士の「相撲道」とは何か

感想

  • 絵がたくさんあって読みやすい
  • 日馬富士の相撲に対する情熱が伝わる
  • 英文があるから相撲好きな外国人でも持ってそう
  • 感謝・恩返しという言葉が出るからきっとなにか後悔してそう

非常に読みやすかったです。
相撲の資料としても参考になりそうな一冊。
あの事件が無かったらきっと相撲ファンには大受けすると思います。




〈画文集〉第70代横綱日馬富士 相撲道
橋本 委久子
藤原書店
2018-09-25


529131d7
写真:ハワリンバヤル2019

毎度、編集長のタケシです。

毎年、光が丘公園にて開催されてたモンゴル春祭り、ハワリンバヤルが今年は中止になりました。
運営側の公式サイトで正式に発表されました。

Шинэ коронавирус COVID-19 халдварын тархалт нь маш хурдацтай байгаатай холбогдуулан “ХАВРЫН БАЯР” нь 2020 оны 5-р сарын 4н, 5нд болохоор төлөвлөгдөж байсан боловч үүссэн нөхцөл байдлаас шалтгаалан өдөрлөгт оролцох бүх хүмүүсийн эрүүл мэнд, аюулгүй байдал юу юуны түрүүнд чухал учир вирусын тархалт, түүнээс урьдчилан сэргийлэх үүднээс ийнхүү цуцлах шийдвэр гаргасныг мэдэгдэж байна.
(公式サイトより引用)
https://harumatsuri.net/news/1614/

非常に残念です。新型コロナウイルスの感染防止の視点から中止になったそうです。

私は会場行ってライブ配信、モンゴル文化の紹介、モンゴル人のインタビューなど企画を立ていましたが、断念するしかないです。

皆さんもぜひ気を付けて、共にこの困難な時期を乗り越えて行きましょう。



玄関ホール
【写真 杰轡皀鵐乾詁馬富士学校の玄関ホール。横綱・日馬富士の大きな絵が飾ってある


給食
【写真◆枉学4年生の給食。「いただきます」と日本語であいさつしてから食べ始めた。みんな元気いっぱい

日本語の授業
【写真】日本語の授業。数字の数え方を勉強中。黒板の上には横綱4人の写真が飾ってある

 昨年9月、ウランバートル市に開校した「新モンゴル日馬富士学校」に行った。私は、開校式に出席しているが、1年が経過し、どう変わったのかを見てきた。
 訪れたのは10月1日。この日は、モンゴルの敬老の日だった。この学校では、ガルバドラッハ校長ら55歳以上の教職員6人が「お年寄り」として敬愛されていることを祝う行事が行われた。
会場は、創設者・理事長を務める日馬富士(本名ダワーニャム・ビャンバドルジ)さんの部屋。元横綱は、妻と子供3人とともに東京にいるので、理事長室は、幹部職員の会議や来客の応接に使われている。
 「お年寄り」6人は、入り替わり立ち代わり訪れる先生たちと、握手やほおずりを交わす。馬乳酒で乾杯する。テーブルの上には、学校の食堂で作られた料理が並ぶ。音楽の教員が馬頭琴やホーミーを披露する。ウルジーサイハン副校長ら幹部職員は、モンゴルの歌をうたった。最後に、お茶用のポットを贈られて、おひらき。
 この日は、モンゴル各地で、こんな行事が繰り広げられたようだ。日本とは一味違う敬老の日だった。
 本題に戻る。校舎の建設は続いている。大きくA、B、Cの3棟に分かれており、玄関や教職員室があるA棟は、昨年の開校前に完成した。今年は、体育館、図書館、食堂、喫茶室、実験室、部活室のC棟が完成した。部活室の一角には、相撲の土俵もあるが、まだ全部は出来ていなかった。
 B棟の完成は2021年を予定している。完成すれば小学校が移るという。
 玄関ホールに、校舎の完成模型が飾ってある。上から見ると「H」の文字に見える。これは日馬富士の頭文字だ。モンゴル語で新モンゴルの「シ」と「モ」を表す文字と、横綱の土俵入りのポーズも合わせて表現したデザインだという。
 モンゴルは、小学校5年、中学校4年、高校3年の12年制の小中高一貫教育が一般的。日馬富士学校では、今のところ、小5、中4、高3を除く9学年の1180人の生徒が学んでいる。開校1年で、これだけの生徒数は、人気の高さを表しているようだ。
 1階の玄関奥にある食堂で、1年生と4年生の給食を見せてもらった。生徒たちは、鶏肉、マッシュポテト、野菜サラダが載ったプレートとスープを受け取る。席に着くと、「いただきます」と元気な日本語であいさつして、食べ始めた。「いただきます」の平仮名は、食堂の廊下側のガラスにも書かれている。
 外国語は、英語が必修で、小学5年生から学ぶ。第二外国語は、8年生(中3、日本では中2)からで、日本語、中国語、ロシア語から選択するが、ロシア語の希望者はいないそうだ。
 常勤の教員は73人。このうち日本語教員は5人。全員がモンゴル人。非常勤講師の日本人も、ときどき授業を行うという。事務、施設管理などの職員は32人。
 高校の生徒指導を担当するナサンブルマーさんは「生徒には、あいさつする、尊敬し合う、時間を守る、などの基本的なマナーを、しっかりと身につけさせたい」と言う。
 ガルバドラッハ校長は、2000年、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高」を創設した。同校は、その後、小中高一貫教育の学校になった。2014年には大学と日本式の高専を創設し、モンゴル有数の私立学園「新モンゴル学園」になった。2016年には、日本の幼稚園と保育園にならった子ども園も開園させた。
 ガルバドラッハさんは、日馬富士さんの「モンゴルの将来を担う人材を育てたい」との熱意に賛同し、学校創設に協力して校長に就任した。日馬富士さんの妻は、新モンゴル高と岩手大を卒業している。
 ナサンブルマーさんは「新モンゴル小中高の輝かしい歴史を吸収して発展させたい。同じ料理でも、家庭によって味が異なるように、これから日馬富士学校としての伝統も築いていきたい」と言う。
 新モンゴル小中高では、毎年8月、日本留学試験対策の夏休み特訓講座「サマースクール」を開いている。今年は、日馬富士学校から72人の生徒と10人の教員が参加した。来年は、独自にサマースクールを開講する予定という。




▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。





↑このページのトップヘ