

2019年12月16日追記、その報告はこちら:
モンゴルの文化、ビジネス、投資、観光、最新話題など幅広い情報をお届けします。(通称:モンゴルなう)
「誰もがイッパシの愛国者だったソビエト学校に通ううちに、大きな国より小さな国、強い国より弱い国から来た子供の方が、母国を思う情熱が激しいことに気付いた。アメリカ人よりもプエルト・リコ人の方が、自国に対する侮辱に敏感なのだった。自分こそが国を代表しているという悲壮感が強いのである。
国が小さい分、その国に占める自分の割合が大きく、自分の存在によってその国の運命が左右される度合いが少しでもたかそうな気がする方が、思い入れが強くなるのだろうか。(p.125)」
「『チャウシェスクは妻だけでなくドラ息子までも国の幹部に取り立てているが、その息子は病的な外車マニアで、女漁りに明け暮れている。何度も酒を飲み運転でひき逃げ事故を起こしているんだ。もちろん、もみけされるが。』浮かび上がってくるルーマニアという国は、決して幸せな国でなかった。アーニャ自身は、どうやら例外的特権階級的に幸せな人生を歩んでいるらしいが、そこに矛盾を感じないのだろうか。私の知る少女時代のアーニャは、自分の父親と、父親の属するルーマニア現政権に心から信服していた様子だったし、周囲もそれにウンザリするほど執拗に説いた。すでに分別が備わる年齢に達した今も、そうなのだろうか。平気で特権を享受し続けられるほど鈍いのだろうか。そんなアーニャを想像するのは嫌だった。(p.138)」「『1989年のチャウシェスク政権転覆後は、その労働者党のお偉い方は、ここから追い出されなかったの?』『ぜーんぜん。今も彼らは、あなたのこれから訪ねるザハレスク同様、昔通りの特権を享受していますよ。それどころか、かつて国の財産だったものをドサクサまぎれに私物化し、市場経済の時流に乗っかって甘い汁を吸っています。甘い汁を吸い慣れた連中は、敏感なんですね。うまい話に。それに、人を蹴落としたり、人を踏み台にするのは、連中の得意中の得意技ですからね』( p.143)」
「『マリ、国境なんて21世紀には無くなるのよ。私の中で、ルーマニアはもう10パーセントも占めてないの。90パーセント以上イギリス人だと思っている』
さらりとアーニャは言ってのけた。ショックのあまり、私は言葉を失った。ブカレストで出逢った、瓦礫の中でゴミを漁る親子を思い出した。虚ろな目をした人々の姿が寄せては返す波のように浮かんでくる。(p.186)」