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タグ:日馬富士

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まいど、編集長のタケシです。

我が大横綱朝青龍、Twitterで結婚したことを報告しました。

時系列を見ると分かりますが、
実は昨日別の人がモンゴル語でツイトし、それを発見した私が日本語でリツイートしたら、その2時間後に朝青龍が正式に発表しました。

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かなり面白い展開になりました。
それは別として、本当におめでとうございます!

久々に本当に嬉しいニュースで良かったです。
あっという間に、Twitterのトレンドにランクインしました。
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ネットで、他の人の反応は?!ちょっとみてみましょう。






















日馬富士

まいど、編集長のタケシです。

世界中がコロナ騒ぎでたいへんです。
モンゴルにも、入国した外国人と海外にいたモンゴル人らがウィルスを持ち込みました。

下記のリンクから時系列で配信しているので気になる方は読んでみて下さい。




〈画文集〉第70代横綱日馬富士 相撲道を読みました。

 

あらすじ

あらすじ(以下引用)
「相撲道とは、努力し、忍び、耐え、開かれる道」「稽古とは、古いことを、敬い、覚え、磨くこと」小さなやせた躰で来日して18年、艱難辛苦を経て相撲界の頂点に昇りつめた、第70代横綱日馬富士。さまざまな社会活動にも貢献してきた横綱の根底にある精神とは?付・特別インタビュー「横綱日馬富士の「相撲道」とは何か」/「日馬富士の戦績」ほか。カラー画約120枚。英訳付き。

目次

稽古
努力×忍ぶ×待つ=……
=成 功
仲間たち
祈る
受け継ぐ 伝える
感 謝 恩返し

夢から恩返しへ――あとがきにかえて(橋本委久子)
日馬富士の戦績

〈特別インタビュー〉横綱日馬富士の「相撲道」とは何か

感想

  • 絵がたくさんあって読みやすい
  • 日馬富士の相撲に対する情熱が伝わる
  • 英文があるから相撲好きな外国人でも持ってそう
  • 感謝・恩返しという言葉が出るからきっとなにか後悔してそう

非常に読みやすかったです。
相撲の資料としても参考になりそうな一冊。
あの事件が無かったらきっと相撲ファンには大受けすると思います。




〈画文集〉第70代横綱日馬富士 相撲道
橋本 委久子
藤原書店
2018-09-25


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【写真説明】ナランバヤルさん茲肇坤薀殴譽襪気

ウランバートルの私立学校「新モンゴル小中高」の校長が2月1日付で交替した。ナランバヤル校長は、6月に予定される国会議員選挙に立候補するために辞職し、後任に「新モンゴル子ども園」の園主を務めるズラゲレルさんが就いた。

 ナランバヤルさんは、モンゴル・ナショナル労働党(人間党)からの出馬となる。同党は、人民党や民主党など既存政党に対抗する政党として設立され、若年層の支持者が多いとされる。

 ナランバヤルさんは、京都大と東京外語大に留学経験があり、日本にも幅広い人脈を持つ。モンゴル自然環境観光省に勤務していたとき、皇太子時代にモンゴルを訪問された天皇陛下の通訳を務めた。

 後任のズラゲレルさんは、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高」の一期生。同校は、その後、中学校と小学校を併設し、小中高一貫教育の学校となった。

 ズラゲレルさんは、東京国際大と同大学院修士課程で計6年間学んだ。日本留学の経験から、千葉県船橋市の夏見台幼稚園・保育園をモデルにした「新モンゴル子ども園」を創設し、園主を務めている。

 また、モンゴルの大学で学ぶ人を対象にした無利子・貸付型の新しい奨学金「新モンゴル・マブチ基金」の事務局も担当している。

 ズラゲレルさんは、建築設計技師の夫との間に4人の子どもがいる。

 新モンゴル小中高は、新校長のほかにも、生徒指導部長、小学校の教頭、中学校の教頭が女性。高校の教頭は男性だが、幹部はほとんど女性だ。

 新モンゴル高を創設し、現在は新モンゴル学園の理事長と日馬富士学校の校長を務めるガルバドラッハさんは、長女トゴスさんを学園の専務理事に据え、経営の大部分を任せている。トゴスさんは、山形西高と東北大法学部を卒業、九州大の修士号を取得しており、4人の子どもを育てながら重責を担っている。

 新モンゴル高専(工業高等専門学校)の校長を務めるツェンドスレンさんは、新モンゴル高の2期生で信州大工学部卒。幼い3人の子どもを育てながら、昨年6月、校長に就任した。
 モンゴルは女性の社会進出が著しい。特に教員や医師は女性が多い。また女性の企業家も多く、日本と比べてロータリークラブの会員は女性が目立つ。

▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


日本語で化学
【写真】日本語で化学の授業を行うエルデネボロルさん=2019年10月2日、モンゴル国立科学技術大学の高専留学プログラム教室

 モンゴルでは、日本の大学に留学を希望する若者が多い。入試が難しいと言われるモンゴル国立の医科大に入学しても、途中でやめて、日本政府が奨学金を支給する国費留学で、日本の高専に入学したり、私費留学で日本の大学の工学部や農学部に入学する人は多い。
 JICA(国際協力機構)は、モンゴルで工学系高等教育支援事業(1000人のエンジニア)を行っている。その柱の一つに「高専留学プログラム」があり、国立科技大の教室を使って行われている予備教育プログラムを見せてもらった。
 化学の授業を見た。日本留学試験の問題を示し、短時間で回答できるようにする授業だった。凝固点降下、沸点上昇の計算、コロイド分類…。日本人でもなかなか理解できない専門用語を日本語とモンゴル語でたたきこむ。これらの知識は、もちろん、試験対策にとどまらず、日本に留学した後も役に立つ。
 講師のエルデネボロルさんは、新モンゴル高、千葉大工学部共生応用化学科、同大学院修士課程を卒業している。
 エルデネボロルさんと高校同期で、日本政府による国費留学で長野高専と東京電機大を卒業したエルデネジャルガルさんは、物理の授業を担当している。
 二人の話を聞いた。エルデネボロルさんによると、化学の知識ゼロの学生がいるという。「本人の能力というよりも(高卒までの)学校によって化学教育のレベルに差がある」ということのようだ。
 エルデネジャルガルさんも「本当は文系に進みたかったけれど、親に言われてエンジニアを目指しているとか、物理を学ぶ意欲に差がありすぎる」と言う。教員として、二人の悩みは尽きないようだ。
 しかし、それでも、科技大主催の日本語コンテストに優勝する学生もいるそうだ。ここは粘り強く、日本留学の夢をかなえさせるよう、がんばっていくしかない。
 モンゴルは9月が新学期、日本は4月だ。日本留学試験は6月と11月。日本に留学するとなると、2年生の途中になるので、このプログラムは「1年半」の制約がある。高専留学の予備教育プログラムに参加しているのは、1年生が38人、2年生が45人。科技大の学生ではないが、学生と同様の扱いで学んでいる。ほとんどの学生は、日本語を初めて学ぶという。
 日本の高専には3年生からの編入になる。「1年半の教育で、高専の3年間で学ぶ専門の日本語を覚えるのは、学生の負担が大きい」とエルデネジャルガルさんは言う。しかし、エルデネボロルさんは「1年半で、かなりの日本語能力が身につきます」と言う。
 このプログラムで日本に留学した学生の渡航費、授業料、生活費は、モンゴル政府の奨学金で賄われる。半面、モンゴルに帰国して5年間就労しないと、奨学金の返済義務が生じる。制約はある。しかし、日本留学に金銭面の不安はない。
 高専留学プログラムには、予備教育を経ずに留学する「ファストトラック」という制度もある。二人の教員の高校の後輩、ハンガイさんは、「日本語の能力がある」として、直接、鹿児島高専に留学し、都市環境デザイン学科で3年間学んで帰国、ウランバートルの建設会社で構造計算などの仕事に当たっている。
 高校の段階で日本語をしっかりと学ぶ意味は大きいのではないか。取材を進めると、新モンゴル高(新モンゴル小中高)の日本語教育は、モンゴル人自らが、JICAの施策を先取りしたもののように思えてくる。

▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み (フェニックスシリーズ)
ジャック・ウェザーフォード
パンローリング 株式会社
2019-10-12


電気回路
【写真 枩昌殻隻Г気(左から2人目)が見守る中、自分で作った電気回路の実験=2019年10月2日、モンゴル高専

溶接
【写真◆曠ス溶接の実習。モンゴル高専には、学生17人が同時に実習できる設備がそろっている

 「ものづくり重視の教育を行っています」。モンゴル高専で技術移転センター長を務めるガンオドさんは、力強く語り説明した。
 モンゴルには、日本の高専(工業高等専門学校)にならった学校が3校ある。私立のモンゴル高専と新モンゴル高専、国立科学技術大学の付属高専の3校。いずれも2014年9月に開校し、今年、初めての卒業生を送り出した。日本の高専を卒業したモンゴル人が、日本と同じ学校をつくりたいと奔走し、日本の高専関係者も支援して誕生した経緯がある。
 モンゴル高専は、もともと建設関係の専門学校だったが、モンゴル技術工科大となり、さらに高専を併設した。高専は、建設、機械、電気電子、生物の4工学科があり、学生数は270人。教職員は60人。このうち日本人の常勤教員は4人。ほかに日本人の短期間の講師は多数に及ぶ。
 モンゴル高専の設備は、日本から移設したものが多いそうだ。東京都立高専で使われた製図用具や旋盤、閉鎖された三井化学鹿島工場から譲られたガス・水質分析機器、三菱電機名古屋工場のインバータなど。モンゴルでは、山形市などの学校で使われた中古の机や椅子が多数、再利用されているが、ものづくりのための道具もいっぱい活躍している。
 ガンオドさんは、日本式の高校「新モンゴル高」(現在は小中高)と宇都宮大工学部の建築学科を卒業している。彼が担当する技術移転センターには、旋盤12台、溶接機17セット、フライス盤などがそろっており、ちょっとした町工場のよう。
 「日本には、専門技術を持った中小企業がいっぱいあり、技術大国を支えている。モンゴルも日本を見習って、何でも自分で造れる職人を育て、中小企業を育成しなければならない」とガンオドさんは言う。
 実際に取り組んでいる事例として、ガンオドさんは、気球の実験を挙げた。3万メートルの成層圏に気球を上げ、ちりを集めて微生物を探しているという。モンゴルは海がなく、森林も少ないので、日本と違ってサンプルを集めやすい。
 ウランバートルは、冬の大気汚染が深刻な社会問題になっている。気球の実験は、その現状把握にも役立つ。気球で汚染データを集めるのだが、リアルタイムで調べるには、情報をやり取りする空中の中継通信基地が必要なのだという。そこで、情報を中継するためのドローンを自前で製作しているそうだ。
 生物工学科では農業の研究も行っている。黒ニンニクをモンゴルの気候風土の中で効率良く栽培する方法、トマトやレタスの水耕栽培、家畜の排せつ物からメタンガスを取り出し利用する方法などなど。
 モンゴルは学歴社会である。私は、留学生と話す機会が多いが、大体は「大学院に進学したい」と言う。しかし、ガンオドさんは「頭で考えるだけでなく、実際に、ものづくりをしないと駄目だと思う。ものづくりを通して、チャレンジ精神や達成感を醸成したい」と言う。
 モンゴル高専では、入学試験にも、「ものづくり」があるそうだ。ゴムひも、紙、粘土、わりばしなどを用意し、受験生に何かを作らせる。「いろいろな作品が出てきます。面白いですよ」とガンオドさんは言う。
 日本人教員の話も聞いた。西山明彦さん、78歳は、2013年秋、モンゴル高専が正式に開校する1年前、試行的に開校したときから電気工学を教えている。「モンゴルの若者を見ていると、日本の昭和30年代の若者と似ているように感じる。ものごとに敏感で、何でも関心を持ち、努力している」と西山さん。
 モンゴル高専は、「ディレクトフォース」の遠隔授業も取り入れている。日本の経済成長を支えた企業戦士のOBたちが、ボランティアで、長年培った所見を、光ファイバーの高速ネットワークを使って行う授業だ。西山さんは「実際に、ものづくりを行った技術者が、実験をしながら進めるところがすばらしい」と説明する。

▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み (フェニックスシリーズ)
ジャック・ウェザーフォード
パンローリング 株式会社
2019-10-12


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