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名古屋大
【写真】左からガルバドラッハさん、3女のスウリさん、夫のオトゴンプレブさん=2019年9月23日、名古屋大学中央図書館前

 ウランバートルで、新モンゴル学園の理事長と日馬富士学校の校長を務めるJ・ガルバドラッハ(愛称ガラ)さんは、今春、名古屋大学大学院の教育発達科学研究科博士課程に入学した。3女のスウリさんと夫のオトゴンプレブさんも博士課程で学んでおり、親子3人そろって名大の博士課程だ。
 ガラさんは、山形大で教育学の修士号を取得した後、東北大の博士課程に移り、カリキュラム論を専攻して4年間在籍したが、博士号取得までは至らなかった。東北大に在籍していた2000年、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高」を創設した。年に何回か、モンゴルと仙台を往復する生活を続けたが、学校を軌道に乗せることに没頭していたため、博士論文を完成することはできなかった。
 新モンゴル高は、その後、中学校と小学校を併設し、モンゴルでは一般的な小中高一貫教育の学校になった。
 ガラさんは、さらに2014年、新モンゴル工科大と日本式の新モンゴル高専(工業高等専門学校)を創設した。2016年には、日本の幼稚園と保育園をモデルにした新モンゴル子ども園もつくった。2018年には、元横綱・日馬富士(本名D・ビャンバスレン)さんが出資して理事長を務める新モンゴル日馬富士学校を創設し校長を務めている。
 ガラさんは、2016年、モンゴル国立教育大の博士号を取得している。しかし「日本の大学の博士号を取りたい」と考え、名古屋大入学となった。本業の新モンゴル学園は、長女のトゴスさんが専務理事に就任しており、学校経営の負担がいくらか減ったことが背景にある。ちょうど名古屋大には、3女のスウリさんが大学院教育発達科学研究科の修士課程から在籍しており、来日したとき、通いやすいこともあった。
 スウリさんは、新モンゴル高の一期生で、横浜国大教育学部を卒業して帰国、母校の日本語教員をしていたが、2016年4月、名大の修士課程に入学し、今春、博士課程に移った。夫のオトゴンプレブさんは工学研究科博士課程でコンピューターのセキュリティー関係を専攻している。
 名古屋大は、2006年、モンゴル国立大法学部に日本法教育研究センターを開設しており、日本語による日本法教育を行うとともに、モンゴルでの研究拠点にしている。
 名古屋大はまた、モンゴル国立教育大との交流にも力を入れており、発達科学の分野で共同研究も行っている。
 ガラさんは、名古屋大では教育経営の分野で研究を行う。今年9月には、北海道の宗谷地区の小中学校で現地調査を行った。名大は1992年から宗谷地区で地域教育経営の事例研究を続けている。ガラさんは、今後、モンゴルで教育経営の事例研究などを重ね、自らの学校創設の経験も踏まえた博士論文を仕上げるという。





▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


旋盤
【写真 杙碍阻魅蹇璽織蝓璽ラブから贈られた旋盤のテスト=2019年10月1日、新モンゴル高専
橋のデザイン
【写真◆曚いつかのグループに分かれて、橋のデザインを検討する新モンゴル高専の土木建築工学科の学生(右は国際交流担当のスヘーさん)

 ウランバートルの新モンゴル高専は、機械、土木建築、物質、電気電子の4工学科があり、400人の学生が学んでいる。教職員は51人。
 この学校の特徴について、国際交流担当職員のスヘーさんは「新モンゴル文化」と説明した。新時代に適応した技術者を育てるために「まず人間力を上げることを努力目標にしている」と言う。
 健康であること、知識を深めること、多様性を認識すること、夢を持つこと…。そして何よりも、あいさつすること。当たり前のことだが、「とても大事なことです」とスヘーさん。
 ツェンドスレン校長は「日本ブランドの教育」と表現した。同校長は、2000年に開校した日本式の高校「新モンゴル高」と信州大工学部を卒業している。モンゴル高専の技術移転センター長を務めるガンオドさんとは高校同期だ。
 新モンゴル高は、後に小中高一貫教育の学校になった。さらに2014年、新モンゴル工科大と新モンゴル高専を開校し、「新モンゴル学園」となる。2016年には、日本の幼稚園や保育園にならった新モンゴル子ども園、2018年には姉妹校「日馬富士学校」も開校させた。
 これらの学校は、創設の際、多くの日本人が協力し、金銭的な支援も行った。新モンゴル高専は、佐世保高専と千葉大を卒業した前校長のボヤンジャルガルさんが開校に奔走した。当時の教育相、ガントゥムルさんは、仙台電波高専(現在の仙台高専)と長岡技科大を卒業しており、日本の教育制度に理解があって、計画が大きく進んだ。
 山形北ロータリークラブは、昨年4月、創立50周年を迎えた。これを記念して新モンゴル学園に300万円を贈った。新モンゴル高専は、この資金で、旋盤、プラズマ切断機、フライス盤、誘導電気炉、圧縮機など実習用機材をそろえた。
 山形北ロータリークラブは、新モンゴル学園理事長で日馬富士学校の校長も務めるガルバドラッハさんが、山形大留学生のとき、さまざまな支援を行い、その縁が今も続いている。
 ツェンドスレン校長が言う日本ブランドとは、高専創設の経緯はもちろん、学園としての日本との深いつながりを表している。
 新モンゴル高専の一期生は53人。このうち14人は日本の大学や高専(専攻科)に進学した。2人は中国などに進学。13人が日本企業から内定をもらった。残る24人はモンゴル国内の大学に進学または企業に就職したという。
 新モンゴル高専では、日本の教科書を使うことが多いそうだ。卒業研究も日本の事例を参考にしている。ということで日本語の勉強は欠かせない。
 今年の日本語能力試験には、123人が受験し、45人が合格した。このうちレベルが二番目に高い「N2」は4人という。
 また、日本留学試験に対応した夏休み特訓講座「サマースクール」も実施している。この講座は、もともと新モンゴル高校が2004年から実施しているが、高専も昨年から独自に始めた。日馬富士学校も来年から開講を予定している。
 最後に余談を一つ。10月4日、新モンゴル工科大と新モンゴル高専の開校5周年を祝う合同式典がウランバートル市内で開かれた。来賓祝辞で、モンゴル国立科技大付属高専の副校長を務める久留須誠・佐世保高専名誉教授は、モンゴルに高専ができたいきさつについて話した。その中で、久留須さんは、私が2005年に出版した「モンゴルの日本式高校」を紹介しながら「モンゴルに日本式高校があるのなら、今度は日本式の高専をつくりたいと思った」と話した。
 拙著の紹介は予想外の出来事であり、光栄の至りだった。ただし、久留須さんは、私のことを「山形日日新聞の記者」と説明したのには、まいってしまった。
 私は、式典が終わってから、久留須さんを探し、お礼を申し上げるとともに、「私は、山形日日新聞ではなく、仙台に本社がある河北新報の記者をしておりました」と説明したのだった。




▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
全身全霊 第70代横綱、18年間のけじめ 日馬富士公平
日馬富士 公平
ベースボール・マガジン社
2018-09-27


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