現代の大横綱であるモンゴル出身の白鵬関には、江戸時代の大横綱の谷風が重なります。
それはあたかも、英雄の魂が時空を超えて乗り移ったかのようです。

1.谷風〜江戸時代の二人の大横綱〜

谷風- 谷風梶之助 - には、初代と二代目がいます。

初代谷風(1693-1736)
宮城県蔵王町宮の刈田嶺神社(別名白鳥大明神)の門前に生まれました。
その後、白石城の城主である片倉家がうしろだてとなり、江戸の大相撲で大活躍しています。
当時の相撲の最高位は、横綱でなく大関でした。
初代谷風は、9年間無敗という現在も破られていない大記録を打ちたてました。
そのため、二代目谷風とともに、「横綱の中の横綱」と讃えられています。

二代目谷風(1750-1795)
初代と同じ宮城県の、仙台市若林区霞目に生まれました。
霞目には、二代目谷風が生まれる時代より少し前に建立された、浪分神社があります。
(このことは後述します。)
江戸の大相撲では63連勝、一敗した後、43連勝。
江戸・京都・大阪の相撲でいえば、実に98連勝という、前人未到の記録を成し遂げています。
優しくおごらず誠実な人柄と、当時の江戸相撲に横行していた八百長の悪習を、自らの無双の力をもって駆逐し、江戸相撲の黄金期を築き上げました。
しかし、「二代目谷風の1敗は八百長に乗ったから」という実も蓋もないような説話が、なぜか人情話として流布しています。
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二代目谷風の銅像は最高の敬意をもって、宮城県仙台市の勾当台公園に立てられています。

2.白鵬と谷風をむすぶ共通点
白鵬関と2人の谷風関には、偶然にしてはあまりにも多い共通点がいくつもあります。

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初代谷風が生まれたのは、刈田嶺神社、別名、白鳥大明神の門前です。
さらに、勝田峰神社は白鳳年間に、山岳信仰の流れを組む蔵王大権現と呼ばれています。
初代谷風の実力を評価しうしろだてとなったのは、白石城の城主である片倉家でした。

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初代谷風、二代目谷風ともに、出身は宮城でした。
白鵬関の所属する相撲部屋は、宮城野部屋です。

「八百長の時代」の偶然
二代目谷風関が取り組んだのは、相撲界の一新、わけても八百長の撲滅でした。
おりしも、白鵬関が横綱になってから、大相撲の世界では八百長問題が噴出しました。
このとき、特に深刻な被害を受けたのはモンゴル国出身の力士たちでした。
南モンゴルの蒼国来関は身の潔白を裁判で証明し、大相撲の土俵に復帰できましたが、濡れ衣を着せられたまま引退していったモンゴル人力士達は、少なくはありません。

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東日本大震災発生時、大相撲の世界で1日でも早く被災地を見舞い炊き出しを行いたいと懇願されたのは、他ならぬ白鵬関でした。
二代目谷風の出身地に建立されていた浪分神社は、歴史上の大津波の到達点を示し、ここより下に民家を建ててはならないという警告し、民衆を護ってきた神社でした。

テ本の公(おおやけ)が認める大横綱
大相撲で賭博の横行が発覚した際、日本相撲協会は、無実の白鵬関も花札をやっていたことにし、その年の天皇賜杯を中止しました。
この時、優勝した白鵬関は、大粒の涙を流し、天皇賜杯が手に出来ない辛さを口にすることで、自らの身の潔白を、全身全霊で訴えました。
今上天皇陛下は白鵬関に、優勝を讃え、苦境に耐えたことへのねぎらいのお手紙を届けました。
このことは、日本が公に、白鵬関を大横綱として認めたことを意味する、非常に大きな意味を有しています。

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東日本大震災からの復興を祈願し、横綱土俵入りをご披露される白鵬関。
2013年8月5日。
(日馬富士関は、同日に南相馬市で横綱土俵入りをご披露くださいました。)

平成の大横綱、モンゴルの白鵬関。
江戸の大横綱、宮城の谷風関。
時空を超越して、英雄たちが重なり合っています。


参照Web:
上を向いて笑顔で…福島で復興願い横綱土俵入り
読売新聞(2013.08.05)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130805-OYT1T00597.htm

白鵬が26度目優勝 歴代単独3位、外国出身で最多

日本経済新聞(2013.07.19)
http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKF0597_Z10C13A7000000/

初代谷風の郷愁
傑山寺
http://www.kessanji.jp/history/tanikaze.html

谷風梶之助(二代)
Wikipedia日本語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E9%A2%A8%E6%A2%B6%E4%B9%8B%E5%8A%A9_%282%E4%BB%A3%29