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タグ:元寇

現在、中学校学習指導要領案(3月15日までパブリックコメントを受付中)で、日本とモンゴルに関する歴史の取り扱いが議論になっています。
従来の「元寇」ではなく、「モンゴルの襲来」と教育するという案です。

中学校学習指導要領案(2月14日公開)の35頁には、下記のように書かれています。

武家政治の成立とユーラシアの交流
鎌倉幕府の成立、モンゴルの襲来(元寇)などを基に、武士が台頭して主従の結び付きや武力を背景とした武家政権が成立し、その支配が広まったこと、モンゴルの襲来(元寇)がユーラシアの変化の中で起こったことを理解すること。

中学校の歴史教育において「元寇」から「モンゴルの襲来」へとスライドしようとしている背景と意図は、かなり複雑なので、それらをひとつひとつ見ていきましょう。

1.「元」であり「モンゴル」であった時代
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元寇当時のモンゴルの正式な国号は、モンゴル語で「ダイウォン(大元)・イェケ(大)・モンゴル・ウルス(国)」でした。これを当時の漢語に宛てたのが、「大元大蒙古国」です。
中国の王朝としての「元」と、モンゴルの国としての「モンゴル国」という、ふたつの国号が重なっています。
フビライ・ハーンの時代に築かれた大都が、後の北京となっています。

2.日本におけるモンゴル帝国再評価の時代
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1990年代頃より、岡田英弘氏や杉山正明氏ら歴史学者の活躍により、元寇当時のモンゴルの再評価が高まりました。従来の野蛮な遊牧民の侵略という誤ったイメージの脱却が行われ、洋の東西をつなぐユーラシア史におけるモンゴル帝国期における様々な歴史的功績が評価されていきました。
この時期、NHKは「大モンゴル」や、大河ドラマ「北条時宗」といったモンゴル帝国期を扱った特集を展開。また、作家・評論家の堺屋太一氏も、チンギス・ハーンを主人公とする小説「世界を創った男 チンギス・ハン」の連載や、モンゴル帝国期の再評価を通した日モ関係の再構築へとつないでいきました。

3.「蒙古襲来」から「モンゴル襲来」へ
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モンゴル(内モンゴルを含む)に対して歴史的に蔑意のある漢語である「蒙古」を、史料の引用などの例外を除き、できるだけ用いないようにするという働きかけも、より一般化していきました。NHKの番組や教材も、歴史的蔑称である「蒙古」ではなく、「モンゴル帝国」の表記を用いるようになり、この時に「蒙古襲来」に替わる「モンゴル襲来」という言葉が用いられるようになりました。

ここまで読めば、「モンゴル襲来」という言葉それ自体は、「ユーラシアの変化の中で起こったこと」と学習指導要領案にもある通り、一見とても良いことのように思えるかも知れません。
しかし、ここに落とし穴があります。
高校の「世界史」ではなく中学校の「社会」の授業で、ここまで当時のモンゴル帝国の詳細を教えることは、時間的にもきわめて困難です。(社会科は、歴史、地理、公民のすべてを含みます。)

むしろ、下記の背景が無視されるようになる懸念があります。

4.中国の歴代王朝としての「元」
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先述したとおり、中国の歴代王朝としての国号は「元」です。
「元」という当時の中国から日本が侵略の被害を受けたから、「元寇」と呼ばれるのです。


5.モンゴル人だけが日本を襲来したのではない。
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世界最大最強の帝国であったモンゴル帝国の最強の兵は、もちろんモンゴル人の騎馬隊(特に弓騎兵)でしたが、元寇において日本を侵略したのは、モンゴル人の騎馬隊が中心ではありませんでした。

6.元寇のきっかけは高麗から
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元寇は、
元朝の属国となった第25代高麗王の忠烈王が、フビライ・ハーンに日本侵攻を強く進言し、文永の役・弘安の役ともに大規模な戦艦と人員をあてたことで、始まっています。

7.対馬や壱岐の虐殺と略奪は高麗軍が中心

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元寇において、島民の男は惨殺し、女は手に穴をあけ縄を通して連行し吊るし上げるという、対馬・壱岐における日本人への虐殺と略奪を行ったのは、高麗の朝鮮兵でした。

更にいえば、フビライ・ハーンから日本の朝廷にあてられた国書(大蒙古国皇帝奉書 至元三年八月)は、中国の王朝の交代時に日本と使者と親書を交わす外交上の挨拶がまだ行われていないことを伝える内容でしたが、元からの親書と同時に、元の属国である高麗国が、日本も高麗と同じく元に服属するよう促す牒状を添付したため、後の元寇につながった経緯があります。

8.弘安の役は漢軍も加わった。

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高麗軍を撃退した文永の役の後、モンゴル帝国は南宋を完全に制圧。漢軍を編成し高麗軍とあわせ再度の攻撃を行いました。これを再度撃退したのが、弘安の役です。

こうして背景を整理すると、「元寇」から「モンゴル襲来」へと歴史用語をスライドすることは、
・「元」という中国の王朝による、日本への侵略(ゆえに「元寇」)
・「高麗」による始まりと、対馬・壱岐での日本人への残虐行為や漢軍による侵略行為(ゆえに「元寇」)

この二つの史実を中学校の歴史教育の段階から外し、
・あくまでモンゴルが日本を襲来した(中国も朝鮮も関係ない)
という誤ったイメージを増幅しかねず、かえって歴史教育を歪んだものにしかねません。

現在、「日本は歴史を直視せよ」という隣国の主張を多く聞きますが、元寇の話題は忌避されます。

以上のことから、中学校の学習指導要領においては、従来どおりの「元寇」を用いることが、日本の歴史を知るうえでも、大元大モンゴル国の歴史を知る上でも、より妥当であることが分かります。

文部科学省によるパブリック・コメントの募集は、3月15日まで行われています。
皆様一人一人の声が、大事になります。
「中学校学習指導要領案」についてという件名で、是非ともパブリック・コメントをお寄せください。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0
※「意見提出フォームへ」(ページの下)から。

2017年3月6日 みずばしょう

参考Web:

元寇の油絵 本仏寺
福岡県うきは市
http://www.city.ukiha.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.aspx?c_id=71&id=22

NHK高校講座 モンゴル襲来
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume012.html

中学校学習指導要領案(PDF)
http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000154962

モンゴルは「蒙古」にあらず。日本語の誇りをかけた静かな戦い
http://mongol.blog.jp/archives/51763500.html


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みんなの党の山内康一衆議院議員が2013年5月7日、自身のブログで、こう述べられました。
元寇は「中国」とは言えないと思います

一体どういう意図で語られたのか!?下記、記事より抜粋引用です。
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麻生副総理の歴史観

麻生副総理はインド訪問中に日中関係に関し、
次のような発言をしたと報道されています。
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少なくとも我々は1500年以上の長きに
わたって中国との関係が極めてスムーズに
いったという歴史は多分ない

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1500年の歴史の中には、第二次大戦、日清戦争、
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)、倭寇など、
日中で戦ってきた歴史もあります。

振り返ると日本が中国に攻め込む例ばかりです。
元寇は「中国」とは言えないと思いますので、
中国が日本に攻め込んだことはありません。


第三者的に見たら「日本は好戦的な国だ」と思い、
中国の被害者としての側面に目がいくでしょう。

国際的には、日本人自身が思っているほどには、
日本は平和愛好国とは見なされてないでしょう。

他方、遣隋使・遣唐使以来の交流の歴史もあり、
さまざまな文化を中国から日本は学びました。

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引用終わり。

「元寇は中国とは言えない」は、典型的な中国人の間違った言説です。
中国人は、モンゴルが漢民族の王朝である南宋を滅ぼしたこと、日本と戦争を行ったことは、あくまで野蛮なモンゴルの行為であり、中国のそれではないと語ります。
そして、野蛮なモンゴルには文化がなく、中国の文化に吸収され、同化されたのだと語ります。

チンギス・ハーンが建国した大モンゴル国(イェケ・モンゴル・ウルス)はその後、フビライ・ハーンによる大元大モンゴル国(ダイウォン・イェケ・モンゴル・ウルス)という、中国の王朝としての「元」の国号と、「モンゴル」という国号の二つを冠する国となりました。
※モンゴル語の「ハーン」は漢語では「皇帝」にあたり、玉璽にも「皇帝」とあります。

そして、大元大モンゴル国は、中国の次代の王朝として日本にこれまでの日中関係同様の対等な国交を樹立しようと国書を送り、複数回にわたり正式な使者を派遣しましたが、高麗(現在の朝鮮)や南宋出身の中国人の介在によって国交樹立が阻害され、ついには弓矢を交えることになりました。
また、モンゴル襲来の時のモンゴル軍の兵士は、いずれも朝鮮人、中国人が中心でした。

特に対馬を蹂躙したのは、モンゴル軍に配属された朝鮮人が中心です。
それゆえ、モンゴル襲来を記した石清水八幡宮の「八幡愚童記」には、「朝鮮は日本の犬なり。もし逆らえば必ずや天道の責を蒙るなり」という、異朝怨敵調伏の強烈な文言が書かれています。
その意味では、モンゴル襲来は、朝鮮との戦いという一面もありました。

元寇、つまりモンゴル襲来は、モンゴルでもあり、中国でもあるのです。

モンゴル襲来の後、日本は正式には元との国交を結ばなかったものの、日元貿易は日宋貿易を上回るものでしたし、その後の漢民族の王朝である明朝との日明貿易、満洲人の王朝である清朝との日清貿易も、物質と情報の文化を、相互に交換しあう内容のものでした。

さらに、ダイウォン・イェケ・モンゴル・ウルスは、漢字ではない独自のモンゴル文字を有し、社会制度や経済制度の国際化、各地方の文化や宗教を破壊・弾圧することなく奨励し、モンゴル独自の文化も向上させていくといった、世界史上きわめて先進的な国家でもありました。

また、遣隋使の時代の以前より、日中間の使節の派遣や貿易・外交は、どの時代をとっても決してスムーズなものではなく、海域や島嶼の実効支配をめぐる問題も、そこかしこで起こっています。
日中関係は古代・中世・近世・近代・現代を通して、必ずしも互いに平和な存在ではなかったのです。

結論です。

「元寇は中国とは言えない」
中国が日本に攻め込んだことはありません

これらは、

あまりにもモンゴルを軽視しすぎ、
中国史をないがしろにし、
中国人の言説に依存しすぎた意見です

まして、安倍晋三内閣総理大臣がモンゴル国を訪問してまだ間もない中でのこの記事は、モンゴルを愛する日本人として、看過できる内容ではありません。


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民主党の時の内閣総理大臣であった菅直人さんも、かつて、「清は蒙古族の王朝」と国会で答弁するなど、中国史とモンゴルに対する教養の低さを露呈したことがありました。

みんなの党の皆様には、日本の友国であるモンゴルと、日本の隣国であるモンゴルに、もっともっと関心と理解を深めて欲しいと切に願います。

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