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日本語で化学
【写真】日本語で化学の授業を行うエルデネボロルさん=2019年10月2日、モンゴル国立科学技術大学の高専留学プログラム教室

 モンゴルでは、日本の大学に留学を希望する若者が多い。入試が難しいと言われるモンゴル国立の医科大に入学しても、途中でやめて、日本政府が奨学金を支給する国費留学で、日本の高専に入学したり、私費留学で日本の大学の工学部や農学部に入学する人は多い。
 JICA(国際協力機構)は、モンゴルで工学系高等教育支援事業(1000人のエンジニア)を行っている。その柱の一つに「高専留学プログラム」があり、国立科技大の教室を使って行われている予備教育プログラムを見せてもらった。
 化学の授業を見た。日本留学試験の問題を示し、短時間で回答できるようにする授業だった。凝固点降下、沸点上昇の計算、コロイド分類…。日本人でもなかなか理解できない専門用語を日本語とモンゴル語でたたきこむ。これらの知識は、もちろん、試験対策にとどまらず、日本に留学した後も役に立つ。
 講師のエルデネボロルさんは、新モンゴル高、千葉大工学部共生応用化学科、同大学院修士課程を卒業している。
 エルデネボロルさんと高校同期で、日本政府による国費留学で長野高専と東京電機大を卒業したエルデネジャルガルさんは、物理の授業を担当している。
 二人の話を聞いた。エルデネボロルさんによると、化学の知識ゼロの学生がいるという。「本人の能力というよりも(高卒までの)学校によって化学教育のレベルに差がある」ということのようだ。
 エルデネジャルガルさんも「本当は文系に進みたかったけれど、親に言われてエンジニアを目指しているとか、物理を学ぶ意欲に差がありすぎる」と言う。教員として、二人の悩みは尽きないようだ。
 しかし、それでも、科技大主催の日本語コンテストに優勝する学生もいるそうだ。ここは粘り強く、日本留学の夢をかなえさせるよう、がんばっていくしかない。
 モンゴルは9月が新学期、日本は4月だ。日本留学試験は6月と11月。日本に留学するとなると、2年生の途中になるので、このプログラムは「1年半」の制約がある。高専留学の予備教育プログラムに参加しているのは、1年生が38人、2年生が45人。科技大の学生ではないが、学生と同様の扱いで学んでいる。ほとんどの学生は、日本語を初めて学ぶという。
 日本の高専には3年生からの編入になる。「1年半の教育で、高専の3年間で学ぶ専門の日本語を覚えるのは、学生の負担が大きい」とエルデネジャルガルさんは言う。しかし、エルデネボロルさんは「1年半で、かなりの日本語能力が身につきます」と言う。
 このプログラムで日本に留学した学生の渡航費、授業料、生活費は、モンゴル政府の奨学金で賄われる。半面、モンゴルに帰国して5年間就労しないと、奨学金の返済義務が生じる。制約はある。しかし、日本留学に金銭面の不安はない。
 高専留学プログラムには、予備教育を経ずに留学する「ファストトラック」という制度もある。二人の教員の高校の後輩、ハンガイさんは、「日本語の能力がある」として、直接、鹿児島高専に留学し、都市環境デザイン学科で3年間学んで帰国、ウランバートルの建設会社で構造計算などの仕事に当たっている。
 高校の段階で日本語をしっかりと学ぶ意味は大きいのではないか。取材を進めると、新モンゴル高(新モンゴル小中高)の日本語教育は、モンゴル人自らが、JICAの施策を先取りしたもののように思えてくる。

▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み (フェニックスシリーズ)
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2019-10-12


記念写真に納まるツェツェグジャルガル校長(前列中央)と柳澤学長
記念写真に納まるツェツェグジャルガル校長(前列中央)と柳澤学長(前列左から2人目)ら

岡山理科大学(岡山市北区理大町)は、モンゴルの首都・ウランバートルにある小中高一貫の「ナラン外国語学校」と教育・研究交流協定を締結することとなり、2019年10月17日、来日したゴンボ・ツェツェグジャルガル校長らと柳澤康信学長らが打ち合わせを行いました。協定は年内に締結され、教職員や学生・生徒の交流が本格的にスタートする見通しです。

一行は校長のほか同校のサンジ・デムベレルアドバイザー、北川雅弘・加計学園モンゴル支局長ら。岡山キャンパスで双方が協定書案の内容を確認しました。一行はA1号館にあるコンピューター実習室、化学実験室、音楽室・ピアノレッスン室などを見て回り、音楽の授業を見学。留学生入試についての説明を受けました。

岡山理科大学を初めて訪れたツェツェグジャルガル校長は「施設が充実していて、素晴らしい大学という印象です」と感想を述べ、「まずは教員の交流を進めていきたい」と強い期待感を表明しました。

ナラン外国語学校は2004年に設立され、生徒数約490人。教育内容はモンゴル語、英語、日本語、理科、地理、図形、体育などで、日本語は小学1年から教えています。

協定が締結されれば、モンゴルでは科学アカデミー古生物学地質学研究所(2013年)、国立教育大学(2017年)、生命科学大学(2018年)に続いて4件目となります。こうした交流の拠点として2019年9月、ウランバートルに「岡山理科大学モンゴル・サテライトオフィス」を開設しています。


【岡山理科大学について】
http://www.ous.ac.jp/
1964年、西日本初の理学部単科大学として応用数学科、化学科の2学科で開学。 2018年には愛媛県今治市に第2キャンパスを設け、西日本の私学で初の獣医学部を開設。7学部21学科1コースとなりました。「好奇心全開、探究心無限大」をキャッチフレーズに多彩な研究に取り組んでいます。

【本リリースに関するお問い合わせ先】
岡山理科大学 入試広報部
TEL:086-256-8412(内線1226)

旋盤
【写真 杙碍阻魅蹇璽織蝓璽ラブから贈られた旋盤のテスト=2019年10月1日、新モンゴル高専
橋のデザイン
【写真◆曚いつかのグループに分かれて、橋のデザインを検討する新モンゴル高専の土木建築工学科の学生(右は国際交流担当のスヘーさん)

 ウランバートルの新モンゴル高専は、機械、土木建築、物質、電気電子の4工学科があり、400人の学生が学んでいる。教職員は51人。
 この学校の特徴について、国際交流担当職員のスヘーさんは「新モンゴル文化」と説明した。新時代に適応した技術者を育てるために「まず人間力を上げることを努力目標にしている」と言う。
 健康であること、知識を深めること、多様性を認識すること、夢を持つこと…。そして何よりも、あいさつすること。当たり前のことだが、「とても大事なことです」とスヘーさん。
 ツェンドスレン校長は「日本ブランドの教育」と表現した。同校長は、2000年に開校した日本式の高校「新モンゴル高」と信州大工学部を卒業している。モンゴル高専の技術移転センター長を務めるガンオドさんとは高校同期だ。
 新モンゴル高は、後に小中高一貫教育の学校になった。さらに2014年、新モンゴル工科大と新モンゴル高専を開校し、「新モンゴル学園」となる。2016年には、日本の幼稚園や保育園にならった新モンゴル子ども園、2018年には姉妹校「日馬富士学校」も開校させた。
 これらの学校は、創設の際、多くの日本人が協力し、金銭的な支援も行った。新モンゴル高専は、佐世保高専と千葉大を卒業した前校長のボヤンジャルガルさんが開校に奔走した。当時の教育相、ガントゥムルさんは、仙台電波高専(現在の仙台高専)と長岡技科大を卒業しており、日本の教育制度に理解があって、計画が大きく進んだ。
 山形北ロータリークラブは、昨年4月、創立50周年を迎えた。これを記念して新モンゴル学園に300万円を贈った。新モンゴル高専は、この資金で、旋盤、プラズマ切断機、フライス盤、誘導電気炉、圧縮機など実習用機材をそろえた。
 山形北ロータリークラブは、新モンゴル学園理事長で日馬富士学校の校長も務めるガルバドラッハさんが、山形大留学生のとき、さまざまな支援を行い、その縁が今も続いている。
 ツェンドスレン校長が言う日本ブランドとは、高専創設の経緯はもちろん、学園としての日本との深いつながりを表している。
 新モンゴル高専の一期生は53人。このうち14人は日本の大学や高専(専攻科)に進学した。2人は中国などに進学。13人が日本企業から内定をもらった。残る24人はモンゴル国内の大学に進学または企業に就職したという。
 新モンゴル高専では、日本の教科書を使うことが多いそうだ。卒業研究も日本の事例を参考にしている。ということで日本語の勉強は欠かせない。
 今年の日本語能力試験には、123人が受験し、45人が合格した。このうちレベルが二番目に高い「N2」は4人という。
 また、日本留学試験に対応した夏休み特訓講座「サマースクール」も実施している。この講座は、もともと新モンゴル高校が2004年から実施しているが、高専も昨年から独自に始めた。日馬富士学校も来年から開講を予定している。
 最後に余談を一つ。10月4日、新モンゴル工科大と新モンゴル高専の開校5周年を祝う合同式典がウランバートル市内で開かれた。来賓祝辞で、モンゴル国立科技大付属高専の副校長を務める久留須誠・佐世保高専名誉教授は、モンゴルに高専ができたいきさつについて話した。その中で、久留須さんは、私が2005年に出版した「モンゴルの日本式高校」を紹介しながら「モンゴルに日本式高校があるのなら、今度は日本式の高専をつくりたいと思った」と話した。
 拙著の紹介は予想外の出来事であり、光栄の至りだった。ただし、久留須さんは、私のことを「山形日日新聞の記者」と説明したのには、まいってしまった。
 私は、式典が終わってから、久留須さんを探し、お礼を申し上げるとともに、「私は、山形日日新聞ではなく、仙台に本社がある河北新報の記者をしておりました」と説明したのだった。




▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
全身全霊 第70代横綱、18年間のけじめ 日馬富士公平
日馬富士 公平
ベースボール・マガジン社
2018-09-27


電気回路
【写真 枩昌殻隻Г気(左から2人目)が見守る中、自分で作った電気回路の実験=2019年10月2日、モンゴル高専

溶接
【写真◆曠ス溶接の実習。モンゴル高専には、学生17人が同時に実習できる設備がそろっている

 「ものづくり重視の教育を行っています」。モンゴル高専で技術移転センター長を務めるガンオドさんは、力強く語り説明した。
 モンゴルには、日本の高専(工業高等専門学校)にならった学校が3校ある。私立のモンゴル高専と新モンゴル高専、国立科学技術大学の付属高専の3校。いずれも2014年9月に開校し、今年、初めての卒業生を送り出した。日本の高専を卒業したモンゴル人が、日本と同じ学校をつくりたいと奔走し、日本の高専関係者も支援して誕生した経緯がある。
 モンゴル高専は、もともと建設関係の専門学校だったが、モンゴル技術工科大となり、さらに高専を併設した。高専は、建設、機械、電気電子、生物の4工学科があり、学生数は270人。教職員は60人。このうち日本人の常勤教員は4人。ほかに日本人の短期間の講師は多数に及ぶ。
 モンゴル高専の設備は、日本から移設したものが多いそうだ。東京都立高専で使われた製図用具や旋盤、閉鎖された三井化学鹿島工場から譲られたガス・水質分析機器、三菱電機名古屋工場のインバータなど。モンゴルでは、山形市などの学校で使われた中古の机や椅子が多数、再利用されているが、ものづくりのための道具もいっぱい活躍している。
 ガンオドさんは、日本式の高校「新モンゴル高」(現在は小中高)と宇都宮大工学部の建築学科を卒業している。彼が担当する技術移転センターには、旋盤12台、溶接機17セット、フライス盤などがそろっており、ちょっとした町工場のよう。
 「日本には、専門技術を持った中小企業がいっぱいあり、技術大国を支えている。モンゴルも日本を見習って、何でも自分で造れる職人を育て、中小企業を育成しなければならない」とガンオドさんは言う。
 実際に取り組んでいる事例として、ガンオドさんは、気球の実験を挙げた。3万メートルの成層圏に気球を上げ、ちりを集めて微生物を探しているという。モンゴルは海がなく、森林も少ないので、日本と違ってサンプルを集めやすい。
 ウランバートルは、冬の大気汚染が深刻な社会問題になっている。気球の実験は、その現状把握にも役立つ。気球で汚染データを集めるのだが、リアルタイムで調べるには、情報をやり取りする空中の中継通信基地が必要なのだという。そこで、情報を中継するためのドローンを自前で製作しているそうだ。
 生物工学科では農業の研究も行っている。黒ニンニクをモンゴルの気候風土の中で効率良く栽培する方法、トマトやレタスの水耕栽培、家畜の排せつ物からメタンガスを取り出し利用する方法などなど。
 モンゴルは学歴社会である。私は、留学生と話す機会が多いが、大体は「大学院に進学したい」と言う。しかし、ガンオドさんは「頭で考えるだけでなく、実際に、ものづくりをしないと駄目だと思う。ものづくりを通して、チャレンジ精神や達成感を醸成したい」と言う。
 モンゴル高専では、入学試験にも、「ものづくり」があるそうだ。ゴムひも、紙、粘土、わりばしなどを用意し、受験生に何かを作らせる。「いろいろな作品が出てきます。面白いですよ」とガンオドさんは言う。
 日本人教員の話も聞いた。西山明彦さん、78歳は、2013年秋、モンゴル高専が正式に開校する1年前、試行的に開校したときから電気工学を教えている。「モンゴルの若者を見ていると、日本の昭和30年代の若者と似ているように感じる。ものごとに敏感で、何でも関心を持ち、努力している」と西山さん。
 モンゴル高専は、「ディレクトフォース」の遠隔授業も取り入れている。日本の経済成長を支えた企業戦士のOBたちが、ボランティアで、長年培った所見を、光ファイバーの高速ネットワークを使って行う授業だ。西山さんは「実際に、ものづくりを行った技術者が、実験をしながら進めるところがすばらしい」と説明する。

▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み (フェニックスシリーズ)
ジャック・ウェザーフォード
パンローリング 株式会社
2019-10-12


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【写真 枦傾鎚轍爾皇太子時代に訪れた写真が飾ってある祈念館の内部。窓ガラスが抜け落ち、窓枠の木材が露出して無残な姿をさらしている。外壁にもひびが入っている=2019年10月2日
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【写真◆枡本人慰霊碑(左手奥)のある一帯は、公園にする計画があるが、進んでいるようには見えない=2019年10月6日

 かなり深刻な状況に思えてならなかった。ウランバートル郊外、ダンバダルジャーの日本人慰霊碑。広い敷地の一角にある祈念館は、明り取りの窓ガラスがなく、窓枠の木材が飛び出している。外壁にひびも入っていた。
 管理人のガントクトフさんの話では、今年夏、強風が吹き荒れ、壊れたという。祈念館は慰霊碑とともに2001年に完成した。酷寒の地であり、老朽化が進んでいたところに、強風が追い打ちをかけたようだ。
 ガントクトフさんによると、被害後、日本大使館の職員が調査に訪れ、修復すると話したという。慰霊碑周辺のコンクリート路面も劣化が激しいので、これも直すという。しかし、いつ着工し、どのように修復するか「詳しいことは知らされていない」ということだった。
 祈念館には、天皇陛下が皇太子時代の2007年に訪れた写真が飾ってあった。秋篠宮さまも2002年に訪問された写真があった。安倍首相が2013年に訪問した写真もあった。その他、日本の政治家や県知事、市長ら要人が大勢訪れたことがわかる。そんな祈念館の惨状は異様に思えた。
 私が祈念館の惨状を知ったのは10月2日。4回目の慰霊碑訪問だった。昨年9月に訪れたときは、私の「モンゴル仲間」が般若心経を唱え、皆で線香をあげて手を合わせた。今回は10月6日に再び訪れた。
 ちょうど日本人観光客がバスで来ていた。私は感想を聞いた。「政治家の写真、あんなの要らん」「それよりも早く直すべきだ。日本政府は何をやってるんだ」…。予想した通りの答えが返ってきた。あの惨状を見て、何も思わない日本人は、いないのではないか。
 建物は修復されるだろう。問題は、どのように修復するかだと私は思う。VIPの写真や花輪を飾るだけの祈念館なら要らないのではないか。それよりも「モンゴル抑留」の歴史を、わかりやすく解説した展示がほしい。
 多くの日本人が強制連行され、亡くなった人は、この場所に埋められた。遺骨は後に掘り返され、祖国に戻った。悲しい不幸な歴史を忘れないようにすることは必要だ。しかし、同時に、前向きに、モンゴルと日本の友好親善を祈念する場所ととらえることはできないものか。
例えば、日本人捕虜は、スフバートル広場周辺の街並みを造ったと言われる。モンゴル人に広く知られたことだが、それは具体的に、どの建物なのか道路なのか。それも、全部なのか一部だけなのか。留学生と話すと、モンゴルに木がないのは、「日本人の捕虜がまじめに切ったから」と説明する人もいる。こんな話は本当なのか。整理して解説してもらいたい。
 歴史の事実を伝えることは、モンゴル人に理解してもらえるのではないか。むしろ、そのことは、モンゴルと日本の友好親善に寄与するものと私は考える。
 慰霊碑周辺の公園化も進めてほしい。祈念館には、公園計画を示すパネルが展示されている。しかし、私には、計画が進んでいるようには見えない。関係者の努力で、少しずつ植樹されていることには敬意を表するけれど。
 周辺は、宅地化の波が押し寄せている。乱開発を防ぐためにも、市民に親しまれる公園にしてほしい。子どもたちが遠足やピクニックで訪れる場所になってほしい。
 ノゴーンノールでは、住民のウルジートクトフさんが、個人で公園化を進めている。彼は、日本人の足跡がわかる資料館をつくりたいと話している。
 ダンバダルジャーの慰霊碑は、日本政府とモンゴル赤十字が管理する場所だ。それ相応の施設、展示内容にしないと、ノゴーンノールとのバランスが取れないのではないか。





▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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