モンゴル情報クローズアップ!

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タグ:モンゴル

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正面

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△他の教室に比べて結構シンプルですね。

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△私が大嫌いな中国語の看板がありますね。

掲示板

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△私たちの”誇り”と書いてあります。表彰状。

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△何歳時の写真?みんな同じ人にしか見えない。w

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△教室というより誰かのお家みたいな感じです。

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△以外と自由に飾り付けしているんだね。日本はどんな感じかな?


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△このクラスの公式歌だって。昔もありました。大体、担任の先生が作ったりします。

正面の様子

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△真中の二文字は”ニュースターたち”と書いてあります。

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△黒板の左側に注目、恐らくPCから投影&コピーも可能だと思います。

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△先生たちの制服はウェイトレスみたいな感じですね。w


掲示板

IMG_3001△先生、じゃまです。
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△何点くれたのかな?

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△教室に防犯カメラなんかあるんですね、今の子どもたち授業中寝れないね、かわいそう。w

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△小学校三年生が描いた絵なので上手に出来ましたと褒めたい。



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△教室名まで綺麗に飾り付けてあります。

正面の様子

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△オルドスでは一家に必ずと言ってもいいくらいチンギスハン像を置いてあります。最近では学校でもこう風に掛けてあります。例の小学館の落書き事件を思い出すわ。

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△教室の飾りなどをチェックする審査員たち。

掲示板、飾り

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△昔は黒板に色付きのチョークで書いていました。うちのクラスではずっと私が担当していました。

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△クラス全員の名前と写真。1クラスで19人は少ないなぁ。私の時は36人でした。

内モンゴルを知るための60章 (エリア・スタディーズ)
ボルジギン ブレンサイン
明石書店
2015-08-01


毎度、編集長のタケシです。
昨日横綱白鵬の父、ジジド・ムンフバトさん(享年76)のお別れの会がモンゴル国スポースセントラルセンターで行われました。

ムンフバトさんはこれまでオリンピックに5大会で出場しており、モンゴル相撲の大横綱でもあります。まさに、真のモンゴルの国民的英雄です。そのため、お別れ会の様子をモンゴルのメディアから中継で放送されました。



Ум сайн амгалан болтугай.
御冥福をお祈り致します。

白鵬、父他界のため帰国「整理してまた巡業に」

日本の「宮型霊柩車」がモンゴルで「走る寺だ」という謎に迫る。


白鵬伝
朝田 武藏
文藝春秋
2018-01-25



毎度、編集長のタケシです。
先ほど、Twitterでいろいろ書いたので、ついでにブログにも載せちゃいました。

実は、今の内モンゴルを作ったのは日本と言っても過言ではない。当時、徳王が内モンゴルの完全独立を目指してたが蒋介石が認めなかった。それで、満洲事変後関東軍の支援でカタチだけの自治権のモンゴル連盟自治政府を作りました。

大日本帝国は、これを機に内モンゴルへの進出を本格化しようとしていた。その1年後徳王が準国賓待遇として訪日し、天皇陛下にも会った。大日本帝国は、英米から支援を受ける蒋介石の抵抗に手こずり、安易に内モンゴルを独立させなかった。

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↑↑↑徳王

そして、徳王は1941年に2度目に大日本帝国を訪問し、天皇陛下に会い、内モンゴルを国として認めてもらいたかったが結局だめでした。

その後、大東亜戦争が日本の敗北に終わり、徳王が外モンゴル(今のモンゴル国)に亡命したものの、モンゴル政府は徳王を逮捕して中国に渡してしまった。

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個人的に思うには、当時の天皇陛下が内モンゴルの独立を認めてなかった原因は:
徳王の野心に警戒してた。徳王内モンゴルだけではなく、本当はモンゴルと内モンゴル、そしてブリヤート(今のロシアの一部)を統一して大モンゴル国を作る夢があった。
もう一つは、大日本帝国も当時の中国と対立した力を使ってカタチだけの国にして、後には大日本帝国の配下にしようという予算だったから。

こうして、内モンゴルは今だに残されたままである。


内モンゴルを知るための60章 (エリア・スタディーズ)
ボルジギン ブレンサイン
明石書店
2015-08-01

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