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タグ:モンゴル人

遊歩道
【写真】ダンバダルジャー寺院北側の山に今年夏に完成した遊歩道=2019年10月6日

 ウランバートルは発展中だ。街の風景の変化が激しい。今回の訪モで驚いたのは、日本大使館そばにあるゲンデン元首相の旧宅が取り壊し中だったのと、ダンバダルジャー寺院の裏手の山に階段状の遊歩道が出来ていたことだ。
 階段状の遊歩道を見たのは、日本人慰霊碑に行くときだった。車で寺のそばを走ったら、見えた。派手だなあと思った。お寺の静穏な雰囲気を壊しているのではないかとも感じた。たとえて言えば、奈良・東大寺や京都・清水寺の隣に遊園地が出来たような、そんな感じにも思えた。
 この山の名前は何ていうのだろう。遊歩道は、慰霊碑の方からも見えたので、慰霊碑管理人の奥さんに聞いてみた。しかし、奥さんは答えてくれなかった。
 このとき、通訳は、仙台在住のエルデネダライさんにお願いした。彼は、中古車の輸出などで仙台とウランバートルを何度も往復している。
 その彼によると、モンゴルでは、聖なる山の名前を、その場で言うことをはばかる習慣があるそうだ。直接、名前を呼ばずに「あの山」とか「ながめのいい山」とか婉曲に表現するのがマナーなんだという。なるほど、それで管理人の奥さんは答えなかったのか。
 慰霊碑を訪問した後、ダンバダルジャーの寺に寄った。ちょうど坊さんが通りかかったので、山の名前を尋ねてみた。人の好さそうな坊さんだった。「遠い日本からおいでになったのだから、教えてさしあげましょう」と言いながら「ゾンホブ山(オール)」と言った。エルデネダライさんは、私が日本人であることを説明しながら通訳したようで、特別に教えてくれたようだ。ん? ということは、普通は、ただでは教えないということなのか―。
 坊さんは、遊歩道は今年の夏にできたこと、山の上にはオボー(石塚)があって、市民に親しまれていること、山頂からのながめがいいことなどを説明してくれた。
 後日、私は再び日本人慰霊碑を訪ねた。このときは運良く管理人に会うことができた。早速、山の名前を聞いた。管理人は「タヒラグト山(ハイルハン)」と言った。
 モンゴル語で、山は「オール」だが、特別な山は「ハイルハン」と言うそうだ。寺の坊さんは「オール」と言ったが、管理人は「ハイルハン」と区別している。しかし、「ゾンホブ」と「タヒラグト」はどう違うのか。山といっても、丘の連続のようなものなので、細かいことを言えば、ピークがいろいろあるということなのか。
 このとき通訳を頼んだ元留学生のTは、「聖なる山だから、ゾンホブという正式な呼び名は、口にしないということではないですか」と言う。
 難しいなあ、でも面白いと思っていたところ、フェイスブックに、山の遊歩道の周りに人々が植樹している映像が出た。元留学生のGに聞いたら、UBSという放送局の「CityNews」という報道番組だった。
 Gは「市民に親しまれている山に、住民が木を植えるなんて、すばらしいじゃないですか」と言う。
 なるほどな。私は当初、聖なる山の静穏な雰囲気を壊す派手な遊歩道―だなんて言ったけれど、それは、よそ者の余計なおせっかいだったか。


▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
 
チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み (フェニックスシリーズ)
ジャック・ウェザーフォード
パンローリング 株式会社
2019-10-12

名古屋大
【写真】左からガルバドラッハさん、3女のスウリさん、夫のオトゴンプレブさん=2019年9月23日、名古屋大学中央図書館前

 ウランバートルで、新モンゴル学園の理事長と日馬富士学校の校長を務めるJ・ガルバドラッハ(愛称ガラ)さんは、今春、名古屋大学大学院の教育発達科学研究科博士課程に入学した。3女のスウリさんと夫のオトゴンプレブさんも博士課程で学んでおり、親子3人そろって名大の博士課程だ。
 ガラさんは、山形大で教育学の修士号を取得した後、東北大の博士課程に移り、カリキュラム論を専攻して4年間在籍したが、博士号取得までは至らなかった。東北大に在籍していた2000年、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高」を創設した。年に何回か、モンゴルと仙台を往復する生活を続けたが、学校を軌道に乗せることに没頭していたため、博士論文を完成することはできなかった。
 新モンゴル高は、その後、中学校と小学校を併設し、モンゴルでは一般的な小中高一貫教育の学校になった。
 ガラさんは、さらに2014年、新モンゴル工科大と日本式の新モンゴル高専(工業高等専門学校)を創設した。2016年には、日本の幼稚園と保育園をモデルにした新モンゴル子ども園もつくった。2018年には、元横綱・日馬富士(本名D・ビャンバスレン)さんが出資して理事長を務める新モンゴル日馬富士学校を創設し校長を務めている。
 ガラさんは、2016年、モンゴル国立教育大の博士号を取得している。しかし「日本の大学の博士号を取りたい」と考え、名古屋大入学となった。本業の新モンゴル学園は、長女のトゴスさんが専務理事に就任しており、学校経営の負担がいくらか減ったことが背景にある。ちょうど名古屋大には、3女のスウリさんが大学院教育発達科学研究科の修士課程から在籍しており、来日したとき、通いやすいこともあった。
 スウリさんは、新モンゴル高の一期生で、横浜国大教育学部を卒業して帰国、母校の日本語教員をしていたが、2016年4月、名大の修士課程に入学し、今春、博士課程に移った。夫のオトゴンプレブさんは工学研究科博士課程でコンピューターのセキュリティー関係を専攻している。
 名古屋大は、2006年、モンゴル国立大法学部に日本法教育研究センターを開設しており、日本語による日本法教育を行うとともに、モンゴルでの研究拠点にしている。
 名古屋大はまた、モンゴル国立教育大との交流にも力を入れており、発達科学の分野で共同研究も行っている。
 ガラさんは、名古屋大では教育経営の分野で研究を行う。今年9月には、北海道の宗谷地区の小中学校で現地調査を行った。名大は1992年から宗谷地区で地域教育経営の事例研究を続けている。ガラさんは、今後、モンゴルで教育経営の事例研究などを重ね、自らの学校創設の経験も踏まえた博士論文を仕上げるという。





▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


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毎度、編集長のタケシです。
一ヶ月ぶりの記事です。一昨日内モンゴルから帰ってきました。

今回の内モンゴルでの旅の出来事を複数回にわけて、写真たっぷりで紹介して行きたいと思います。当サイトの写真や映像をテレビ局、新聞社もよく使ってくれるので必要な方は事前に連絡下さい。

チョトハサン・ゲドス(血腸)

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いきなりですが、日本ではまず見ないだろうと思います。モンゴル人にとって羊は財産です。羊の肉を食べ、毛を売り、食べ終わった肉の骨も売ります。内臓も血も無駄なく美味しいご馳走の一つです。

チョトハサン・ゲドス言わば羊の血のソーセージです。作り方は簡単です。
新鮮な腸をきれいに洗って、血と小麦粉と塩、長ネギを切って混ぜます。そして腸に入れ茹でたり焼いたりして食べます。

内臓系が苦手な人でも焼いたときは食べやすいかと思います。

ホニン・トロガイ(羊の頭)

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ホニン・トロガイは見たの通り羊の頭です。頭だけではなく足も一緒に。
頭は作りが複雑のためまず毛を短く切ったあとに焼いて、その後何回も洗ってから茹でます。
味付けは基本塩のみです。

チャナサン・マハ(煮た肉)

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チャナサン・マハは日本のモンゴル レストラン行けばすぐ食べれます。ようは、骨付き肉を塩で煮て作ります。

カターサン・フールサン・マハ(干した肉の炒め)

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同じ肉でも、時間をかけて干した肉のため噛みごたえがあって本当にうまいです。炒めというより肉汁が染み込むゆっくり茹でて出来上がります。季節的には春の時のご馳走です。

ゲドス・トトル(内臓)

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内臓を茹で、味付けはもちろん塩のみです。

今回は内モンゴルの料理編について短く書きました。
内モンゴルのことをもっと知り合い方は次には下記の2冊がおすすめです。

内モンゴルを知るための60章 (エリア・スタディーズ)
ボルジギン ブレンサイン
明石書店
2015-08-01




取手市の鯉のぼり祭り

毎度、編集長のタケシです。
天気もやっと暖かくなってきてアウトドア派に嬉しい季節です。

取手市の鯉のぼり祭り今年も4月29日から5月5日まで開催されるそうです。

そして、初日の4月29日13:00〜モンゴル相撲やモンゴル音楽イベントがあります。取手から近い方はぜひ行ってみてはいかがでしょうか。



昨年の鯉のぼり祭りモンゴル相撲編の様子をアップしてあるのでご覧ください。



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 ユーチューブでモンゴルの音楽を聴いている。「モンゴルの美空ひばり」アリウナが歌ってヒットした「Taliin mongol ail(タリーン・モンゴル・アイル)」がいい。

この作品は、中国の内モンゴルでも人気なようで「草原蒙古人家」と漢字のタイトルのものもある。しかし、モンゴル人留学生Aは「モンゴル語のアイルは家庭、家族の意味です。家ではありません。モンゴル語で家はゲルです」と言う。なるほど、何でも漢字で表現すればいいというわけではない。

中国版「草原蒙古人家」はTsetsegmaという女性歌手が歌っている。ナレーションは中国語だ。画面にも漢字の説明が出る。しかし、歌はモンゴル語だ。のどかな雰囲気が伝わってくる。だまし合い、ののしり合う社会で生きる人々にとって、大草原の遊牧民の生活は、心安らぐ癒しの世界と映るのかもしれない。

このTsetsegmaと顔や声がそっくりなSesegmaaという歌手も登場する。彼女の歌に「Minii Buryad(私のブリヤー)」という作品あるので、ブリヤートに間違いないと思う。モンゴル人の元留学生Bによると、モンゴル人の名前のTsetsegmaはブリヤーではSesegmaaになるという。表記は異なるが、二人は同一人物なのか。

Sesegmaaが男性歌手と二人で歌う「Nartiin zamiidavmar baina」もいい。元留学生Cによると「旅に出たい」意味だという。しかし留学生Dは「直訳ると、日の当たる道を越えたい」だから「何か深い意味がありそう」と言う。

映像を見ると、舞台は「青、赤、青」の帯状になっている。モンゴルの国旗は「赤、青、赤」ソヨンボこそないけれど、この国旗を連想してしまう。国旗を踏みつけなが歌うのは失礼だ。なので、わざと帯の配置を入れ替えて、しかし何かのメッセージを込めたのではないか―と勝手に想像してしまう。

私はモンゴル語は分からない。どんな歌なのか。でも、切々とした何かを訴えるような響きが感じられる。留学生Aは「恋の歌じゃないですか」と言う。

ブリヤーといえば、司馬遼太郎の「草原の記」(新潮文庫)を思い浮かべるが多いのではないか。司馬の通訳を務めたツェベクマさんの悲しい物語だ。ロシアから中国のフルンボイル(ホロンバイル)平原、そしてモンゴル国へ、苦難の道を歩むブリヤート

鯉渕信一さんがツェベクマさんに聞き書きした「星の草原に帰らん」(NHKブックス)はフルンボイルでの少女時代が生き生きと描かれている。裸足で草原を駆け回る少女は、凍えた足を湯気が立つような牛の排せつ物に突っ込んで暖を取る…。野性味あふれるモンゴルの子どもだ。

ツェベクマさんは、その後、同じブリヤートの男性と結婚するが、文化大革命の騒動に巻き込まれ、夫と別れて娘を連れてモンゴル国に避難する。後々、夫とは再開を果たすものの、夫は騒動の後遺症を引きずったまま死んでしまう。この本は絶版になっている。文庫本で復刻できないものか。

「内モンゴルを知るための60章」(明石書店)には、フルンボイルの「シェネヘン・ブリヤート人」の「アルタルガナ祭り」について紹介している。アルタガナは草原の花だという。ユーチューブで公開されているSesegmaaの「Nartiin zamii davmar baina」は、画面を見る限り、このアルタルガナ祭りで歌っているようだ。ブリヤートの移住離散の苦難の道を表現している歌なのか、それとも単なる恋の歌なのだろうか


▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


内モンゴルを知るための60章 (エリア・スタディーズ)
ボルジギン ブレンサイン
明石書店
2015-08-01


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