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新潟県弥彦村・弥彦の丘美術館で10月23日(土)から11月24日(水)まで企画展「モンゴル現代絵画展−高原を彩る風物詩−」が開かれる。

催期間
2021年10月23日(土)〜2021年11月24日(水)

開催時間
9時〜16時30分

会場
弥彦の丘美術館(西蒲原郡弥彦村弥彦2502-1)

料金
高校生以上300円、小中学生150円

問い合わせ先
弥彦村教育委員会(0256-94-4311)

チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み
ジャック・ウェザーフォード
パンローリング株式会社
2019-10-12


アムラルト病院

【写真】山辺さんの著書。名前は山辺も慎吾も旧字体が使われている
 
   アムラルト病院。モンゴル語で休養、休息を意味する病院だ。ウランバートルの東部、ダンバダルジャー(ダンバドルジ)寺院の隣にあった。山辺慎吾さんの著書「ウランバートル捕虜収容病院」(草思社)は、このアムラルト病院での体験記だ。

 1945年8月、日本の降伏後、旧満洲にいた日本兵ら60万人がソ連軍の捕虜となり、強制連行、強制労働させられた。いわゆるシベリア抑留だ。このうち1万2300人がモンゴルに抑留され、羊毛やレンガの工場、岩山からの石の切り出し、道路や建物の建設、樹木伐採など過酷な労働を強いられた。

 著者は、羊毛工場に駆り出された後、アムラルト病院で、捕虜ながらソ連・モンゴル側の下働きをさせられた。病院には、栄養失調、赤痢、結核などの患者や凍傷、作業事故で負傷した日本人が収容された。治療は、捕虜の日本人医師、衛生兵らが当たった。山辺さんは、モンゴル語を独学したことから、事務連絡などの業務に当たった。

 山辺さんは、患者が死亡すると、遺体の内ももに硝酸を使って番号を書いたり、死者を荷車に載せ、寺院と病院の北、山の斜面に運び、埋葬したりもした。遺体は、日本とモンゴルが国交を結んだ後、掘り返され、火葬して祖国に帰った。墓所の跡は、日本人慰霊碑が立つ公園となっている。

 この本には、ロシア人の女性院長が情夫を自宅に連れ込む様子や、モンゴル兵士が包茎の手術を頼み込んできたり、精神に異常を来した日本人が桶の汚物を頭からかぶる様子なども赤裸々につづられている。

 この本は、仙台市内の古本屋で見つけた。私は、春日行雄著「ウランバートルの灯みつめて五十年」(モンゴル会)を探していたのだが、なかった。そのかわり、山辺さんの本を購入した。山辺さんの著書には、春日さんが、モンゴル語ができる医師として、日本人捕虜の権利を守るために、ソ連・モンゴル側と交渉に当たったことが書かれている。

 ネットで調べると、春日さんは、抑留から解放された後、モンゴルの子どもたちを支援する「テムジンの友塾」を開き、日モ交流に尽くしたことがわかる。

 春日さんと「モンゴル会」の仲間である友弘正雄さんは、凍傷のためアムラルト病院で両足切断の手術を受けた。抑留から帰国後、友弘さんは春日さんと同じように、モンゴルの子どもたちのために活動した。このことは、中京テレビのモンゴル人記者が「バヤルタイ〜モンゴル抑留72年越しのさようなら」という番組でレポートした。私はネットで番組を見た。
 
  強制連行、強制労働で多数の犠牲者を出したことは、日本人としては憎悪の対象にもなる負の遺産だと思う。それでも、春日さんや友弘さんが日モ交流に尽力してきたのは、どんな思いだったのか。

 私は、2012年10月、アムラルト病院跡を訪ねた。今にも崩れそうな無残な姿をさらしているのを見て、なんとかならないものかと思った。それが、2018年9月に行ったときは、元の姿に建て替えられていた。診療は再開していなかった。だれが、なんのために、新しく建て替えたのか。何かの記念碑にするつもりなのか。

 2019年10月に訪れたときは、病院と寺院の北側の山に遊歩道が整備されていた。周辺を公園にする計画があることも知った。

 このときは、ダンバダルジャーの西のゲル地区にできた「ノゴーンノール(緑湖)公園」を取材した。日本人捕虜が、スフバートル広場周辺の道路整備などのため、岩山の石を切り出した跡にできた大きな穴に雨水がたまり、ゴミ捨て場になっていたのを、地元民のウルジートクトフさんが、ボランティアで公園に整備していた。彼は「日本人捕虜のことがわかる資料館をつくりたい」と話していた。

 ダンバダルジャーの日本人慰霊碑、アムラルト病院、ノゴーンノールの3カ所は、モンゴル抑留を後世に伝えるためにワンセットでとらえたい。日本人にとっては負の遺産かもしれない。しかし、現在は公園として整備が進んでいる。もしも、ウランバートル市民の憩いの場となったら、モンゴルと日本の交流を示す未来志向の記念碑になるのではないか。山辺さんの本を読んで、そんなことを思った。

【関連記事】

モンゴル抑留の日本人を思い合掌(仙台市・森修)

ノモンハン戦争が結ぶモンゴルと日本(仙台市・森修)

ごみ捨て場を公園に変えたゲル地区の住民(仙台市・森修)

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


鯉渕さんの本

【写真 杆驀漆一さんの著書「騎馬民族の心」

 亜細亜大学の教授や学長を務めた鯉渕信一さんの著書「騎馬民族の心 モンゴルの草原から」(NHKブックス)を読んだ。モンゴルの慣用句、ことわざ、民話、「モンゴル秘史」などを例に引きながら、モンゴルの国柄、国民性を解説している。「なるほど」と思いながら読んだ。
 
 男の喜び、無人の大平原―。モンゴル人の自由な精神を象徴する言葉だ。広漠とした大平原にただひとり、孤独に耐えて家畜を追って生きることは生易しいことではない。危険と隣り合わせだ。しかし、孤高に生きるからこそ、何ものにも頼らない不羈独立の精神を養い、自由を誇りとする遊牧民の気質を生んだようだ―という。
 
 モンゴル国の首都ウランバートル市は人口150万の大都会だ。モンゴルは遊牧文化の国だが、ウランバートルにいて、そんな伝統を感じることはほとんどない。しかし、ちょっと郊外に足を延ばせば、無人の大平原、自分を支配する者のいない大地が広がっている。土地にしがみついて暮らす農耕民族とは違う自由な生活が繰り広げられてきたんだろうなあと、想像できる。
 
 遊牧生活による自給自足の経済は、資本主義経済とは対極にある。究極のシンプルライフとも言われたりしている。この本でも、モノに執着しない、簡素に生きるモンゴル人の価値観を紹介している。
 
 もちろん、時代は変化している。現代の遊牧民は、オートバイにまたがり、ゲルの中でテレビを見て、スマホを操る。しかし、モンゴルの魅力は何かと問われれば、私はやっぱり、孤高に生き、自由を尊ぶ遊牧民が暮らす無人の大平原なのではないかと思う。
 
 モンゴルは、最盛期には世界の五分の三におよぶ広大な版図を持っていた。これは単に馬を駆って、刀を振りかざす勇猛さだけではなし得なかった。合理主義の精神があったからだと鯉渕さんは書いている。遊牧生活で培われた情報力、機動力を駆使し、敵が弱ければ攻め、強ければためらわずに退く柔軟性。兵士10人で組織する「十人長」を基本に、百人長、千人長、万人長と大きくなる軍制もしっかりしていた。
 
 チンギス汗はじめ歴代の汗たちの優れた資質の一つに、異文化に対する寛容さと、高い文化に対する謙虚な尊敬の心をあげることができる(84ページ)。「習俗に従って治めよ」の方針が貫かれたという。武力で制圧してみたものの、あまりにも少数のモンゴル人が、広大な地に広がる圧倒的多数の異民族を統治し続けるのは難しい。宗教が異なるからといって弾圧したりせず、外国人を積極的に登用したりする合理性を持っていた。
 
 モンゴル語は、家畜および牧畜用語に関する語彙の豊かさを誇る言語であることも書かれている。馬の毛色にしても、基本の毛色に、斑紋による違い、頭や鼻、たてがみ、尻尾など部位による分類、年齢や性別による違いもあり、モンゴル人はこれらを詳細に識別しているそうだ。モンゴル人の色彩感にも関係するが、馬に関する言葉はかなり奥が深い。

騎馬民族の心―モンゴルの草原から (NHKブックス)
鯉渕 信一
日本放送出版協会
1992-03T






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星の草原
鯉渕さんの著書には、司馬遼太郎の通訳を務めたブリヤート・モンゴル人のツェベクマさんに聞き書きした「星の草原に帰らん」(NHK出版)もある。ツェベクマさんは、司馬遼太郎の「草原の記」(新潮文庫)のヒロインだが、ロシアに生まれ、中国の内モンゴルからモンゴル国へと移り住む波乱の人生を送ったことが記されており、味わい深い。「草原の記」には鯉渕さんも登場する。「星の草原に帰らん」と合わせて読むと、「草原の記」は、鯉渕さんがいたからこそ世に出たのではないかと思えてくる。

星の草原に帰らん
バルダンギン ツェベクマ
日本放送出版協会
1999-08T



寄稿者ご紹介

森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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まいど、編集長のタケシです。
たいへんご無沙汰しております。

もう秋ですね。
  • 読書の秋
  • 食欲の秋
  • 芸術の秋
あなたにとってはどんな秋でしょうか?

私にとってはキャンプの秋です。(笑)
昨年からキャンプにはまり、YouToube↓↓↓でたくさんキャンプの映像をアップしています。



そういえば、まだ私のチャンネル↑↑↑を登録してない人はぜひポチっとしていただければ嬉しいです。


岐阜のミニモンゴルキャンプ場とは?

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なんと、こちらのキャンプ場は先月オープンしたばかりです。
出来立てほやほやです。

中に入ると、モンゴルから仕入れたベットとテーブル、そして民族衣装もありました。

ミニモンゴルキャンプ場

所在地
〒501-5301 岐阜県郡上市高鷲町ひるがの4671番地15

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ゲルは天井が開けれるから風通しがよいです。
昔の人はココから入ってくる太陽の光の位置で何時になったか判断していました。




私はバイクで富山の金沢から、白川郷集落に向かっていたら急にゲルが現れ、驚いたのと嬉しかったです。ゲルは一つだけじゃない、たくさんあります。

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ゲルの隣、受付のところは立派なレストランになっています。

モンゴル文字で「ミノ モンゴル」と書いてあります。
意味は、「私のモンゴル」です。

しかし、それをミニーモンゴルにしたはナイスだと思います。
ミノよりもミニの方が日本人に呼ばれやすいし、ある意味スモールのニュアンスもあっていいキャッチコピーだと思っています。

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私は、ゲルをみてまずどんな人がやっているのか、挨拶しに入りました。
なんと、奥さんがモンゴル人でした。
びっくり!!!

この食器を見れば一目瞭然、南モンゴルから仕入れたモノです。
久々にスーティチャイを飲みました。
美味しかったです。



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大好きなボーズを2人前注文しました。
本当はホーシュールも食べたかったのですが、きっと作るのはたいへんだと思ってやめました。





岐阜、名古屋、富山、山梨、長野県の在住の方はこちらへ行きやすかと思いますので、良かったらぜひ体験してみて下さい。


全国のモンゴル村・ゲルキャンプ・ゲルホテル一覧


せっかくモンゴルスポットを紹介したので、他にどんなところあるのか、一気にまとめて紹介したいと思います。


福寿の里 モンゴル村

所在地
〒509-7501
岐阜県恵那市上矢作町木ノ実3587-1

利用期間
【モンゴル村】4月25日〜10月14日

公式サイト
https://www.fukujyunosato.com/mongolia.html



鷹島モンゴル村

所在地
長崎県松浦市鷹島町阿翁免1646−1

開門時間
午前9時15分〜午後4時45分
(注意)12月29日〜1月3日は終日閉門


旭川 モンゴル村

所在地
〒078-8204
旭川市東旭川町桜岡35-3


営業時間
10:00〜18:00

木曜日 休業 
水洗トイレ完備
風呂・シャワー有り(五右衛門風呂) 
入場無料/駐車場無料

公式サイト
https://www.mongoru-mura.com/




モンゴリアビレッジ テンゲル

所在地
栃木県那須郡那須町大字高久丙1577-9

電車で行く場合
東北新幹線「那須塩原駅」下車
東北本線「黒磯駅」下車

公式サイト
https://www.tenger.jp/index.html




丹波篠山モンゴルの里

所在地
〒669-2704
兵庫県丹波篠山市遠方41-1

公式サイト
https://www.mongolnosato.jp/




直島 ふるさと海の家 つつじ荘

所在地
〒761-3110
香川県香川郡直島町352-1

公式サイト
https://www.tsutsujiso.com/



象潟モンゴルヴィレッジバイガル

所在地
〒018-0109 秋田県にかほ市象潟町冠石下63-3

公式サイト
https://kisakata-baigal.com/



その他にも、モンゴルを体験できる場所あったらぜひコメントで教えて下さい。
随時、追記します。



セレンゲ写真
【写真】バッグのデザインについて型紙担当のゾルタイさんと打ち合わせをするセレンゲさん

 東京・渋谷のバッグ製造販売会社「ジェノバ・ジヤパン」で新商品の企画開発を担当するモンゴル人、ルブサンチメド・セレンゲさんは、とても意欲的な女性だ。先日、NHKの海外向け番組「ワールド・ジャパン」で、日本で働く外国人の一人として紹介されたので、ご覧になった方も多いと思う。

彼女は、ウランバートルの新モンゴル高校から富山大学芸術文化学部に入学、卒業している。大学入学前の2008年3月、弘前大、岩手大、山形大、東北大、千葉大、信州大などに合格した受験生仲間と一緒に、仙台で3週間合宿していて旧知なので、あらためて近況を聞いた。

セレンゲさんの会社で販売しているバッグのブランド名は「OSAM」(オサム)。会社は1978年に創業しているが、ブランド名は梶谷修社長の名前による。「遊ぶ、働く、旅をする」のキャチフレーズで、そのときどきに使う個性的なバッグを提供することを基本方針にしている。
 
セレンゲさんは、2013年に入社して、バッグのデザイン、商品企画、販売戦略、工場での生産管理などを担当している。最近はオンラインショップにも力を入れており、自らバッグの写真を撮って、ウエブサイトに載せたりもしているという。
 
ブランドを維持するためのデザインは生命線だ。ということで、電車に乗ったときなど、人々の持ち物の形や色使いを常に観察している。「世の中の流行は、いち早く感じないといけない」と説明する。
 
彼女の会社では、アルバイトも含めて外国人がいっぱい働いている。昨年7月、モンゴル人女性、プンツァグ・ゾルタイさんを型紙職人として雇った。ゾルタイさんは、もともと服飾関係の仕事をしていたが、日本にいる娘さんが出産するので来日した際、たまたま梶谷社長の目にとまり、採用が決まったそうだ。センスが良く、仕事もはやいということだが、日本語ができないので、セレンゲさんが通訳しなければならないのが悩みだという。 

セレンゲさんは、富山大の芸術文化学部で初めての外国人留学生だった。マブチ国際育英財団の奨学金を受けて卒業したが、3年生のとき1年間、フィンランドの大学に留学し、北欧のデザインを勉強した。
 
セレンゲさんは、これまで学生時代に手掛けた作品の写真集を見せてくれた。木製おもちゃ、年配者向け杖の取って、銅鍋など、いろいろな写真が載っている。自分で製本し、革製の表紙を付けてある。ちょっとおしゃれな手作り商品カタログだ。これを梶谷社長の面接試験のときに見せて自分を売り込んだそうだ。
 
モンゴルの若者で日本留学を希望する人は多い。大体は東京や大阪など大都市の有名大学を目指す。そんな中、セレンゲさんは、富山県高岡市にある、モンゴルではあまり知られていない大学を選んだ。富山大芸術文化学部には、プロダクトデザイン専攻があり、生産実習の機械設備が整っていたことが第一の理由だという。

「面接のとき遠くに立山連峰が見え、ウランバートルの風景を思い出し、親しみを感じたこともあります」と言う。「モンゴル人はもちろん、ほかの留学生がいなくて孤独でしたが、交換留学でフィンランドに行けたし、富山でなければ今の私はなかったと思います」とも。
 
自分は将来、何をしたいのか。日本留学で何を勉強するか。セレンゲさんの話を聞いていて、しっかりとした目標を持つことが大切であると、あらためて思った。
 
セレンゲさんには、高校同期で東京の外資系コンサルタント会社で働く夫のオリギルバヤルさんとの間に、5歳と3歳の子がいる。子どもの教育を考えると「そろそろモンゴルに帰らなければ」とセレンゲさん。
 
帰国後、自分のブランド「LUUGAR」(ルーガル)で勝負すべく準備中だそうだ。ブランド名はセレンゲさんの苗字(一族名)から取った。モンゴルでは通常、名前に苗字は使わないが、戸籍には記載されるということで、これをブランド名にした。
 
「LUUGAR」は将来、カシミヤ製品の「GOBI」(ゴビ)のようなモンゴルを代表するブランドになるか。そのとき、現在の「OSAM」はライバルになるのだろうか。

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

震災を乗り越え、国際交流で活躍する福島のモンゴル人(仙台市・森修)

岩手県でモンゴル人が羊の多頭飼育に挑戦(仙台市・森修)


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