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カテゴリ: モンゴル・政治

イギリスの高級紙 The Economistより、内モンゴルについて結構気合の入った記事が書かれていました。

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Herding mentality
Inner Mongolia has become China’s model of assimilation
But Chinese Mongolians are still asserting their identity

以下、日本語による拙訳となります。一部不快に思われる表現がありますが、直訳とさせていただきます。


遊牧の精神
内モンゴルは中国の同化モデルであった
しかし中国のモンゴル人は依然として彼らのアイデンティティを主張している

バイン(Bayin)は、内モンゴル東部の草原から数百万人の都市であるチフェン(赤峰市:中華人民共和国内モンゴル自治区東南部に位置する地級市)に移ったときに3歳であった。数十万人のモンゴル人の遊牧民が中国政府によって定住を強制されたのと同様に、彼の家族もまた地方のテント暮らしから去り、都市の一世代でアパートにやってきた。現在32歳となるバインは、断音のモンゴル語と声調の中国語(マンダリン)の間を絶え間なく行き来をしている。多くの点で、バヤンは中国政府による600万人のモンゴル族の同化政策を具現化しているといえ、中国北部にいる内モンゴル人のほとんどがそうである。

しかし、バインはモンゴルの世界で大半を過ごしている。彼は生活のためにモンゴルの衣装(デール)をデザインし、2012年での結婚時にそれを身に着けた。彼の300人ほどの結婚式の招待客のうち、中国の人口の90%以上を占める漢民族グループはほんの一握りであった。彼の娘はモンゴル語の幼稚園に通う。彼は1950年代のモンゴル人の生活のビデオを見るのを好む。

中国政府は国境地帯を支配する上で、長期に渡って苦慮してきた。1949年に中国共産党が(国共内戦後に)権力を取り戻した後に、南西部の雲南地区とチベットを支配するに数10年を要した。チベットおよび極西部の新疆ウイグル自治区での緊張関係は、時には暴力を引き起こした。どちらも残虐に抑圧された分離主義運動が起こっている。モンゴルでも常に難しい民族関係が続いている。モンゴル人は、1990年代初めまで頻繁に中国政府と頻繁に衝突した。

しかし、ここ20年ほどは、内モンゴル自治区の大部分が不活発な状態である。内モンゴル自治区では現在分離主義運動が起きておらず、同じ民族の300万人が住んでいる独立した民主国家であるモンゴル国がすぐ北に位置していることを考えると驚きであると言える。地方の不満は、民族的なものよりも経済的に表現されることが多い。ロンドン大学・東洋アフリカ研究院エンゼ・ハン氏は、これを理由に多くのモンゴル人が自分を漢民族と見分けがつかないようにしてしまっていると述べている。内モンゴル人は中国西部の少数民族よりもはるかに漢族と結婚する可能性が高い。より多くの若者が内モンゴル自治区を離れ、他の場所で仕事を見つけることができる。やや納得がいくのが、中国共産党が何十年もの間内モンゴルを征服するのに寄与した同化政策を、チベットと新疆でも同じ政策を短期間で再現しようしていることである。

「桃源郷」に浸かると「地獄に落ちる」

内モンゴルの統合は部分的に歴史的であるといえる。チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンは、1271年に中国と結びつける王朝を創設した。北京への地理的近接は、頻繁に交流が行われることを意味した。部族の区別と人口の分散は、中国権力に対する抵抗を妨げた。内モンゴルは中国の領土の12%を占めるが、その人口は全人口の2%未満しか占めていない。

中国政府による政策はモンゴル人のアイデンティティを抑制した。漢民族の移住は19世紀に始まった。モンゴル人ネイティブの人口はすでに1949年には少数となってしまった。現在では内モンゴル自治区で20%の人口がモンゴル人となっている。この地域は文化革命で特に深刻な暴力を受け、推計にして10万人にも及ぶ人々が殺害された。内モンゴルに強く根ざした仏教が粉砕され、ほとんどの寺院が破壊された。内モンゴル自治区の自治区首府であるフフホトにある巨大寺院の大召寺(ダ・ザオ)では観光客の方が、信者数を上回っている(それにもかかわらず、問題が発生した場合に備えSWAT(特殊警備)チームが隅々まで待機している)。

中国共産党がチベットと新疆でさもうまくいっているように進めている中国語(マンダリン)で子供達に教育を施す方針は、内モンゴルで早期から始められていた。すべての若いモンゴル人は中国語(マンダリン)を話す - モンゴル語を理解する人はずっと少なくなってしまっている。中国共産党は中国語で支配されることに満足しているため、それがモンゴル語教育の成長を促している。モンゴル語で教育を受ける小中学生の割合は、実際には2005年の10%から2015年の13%に増加した。

金はモンゴル民族が中国共産党と折り合いをつけることに貢献した。内モンゴル自治区での1人あたりのGDPは1万ドルである一方、モンゴル国の1人あたりのGDPは4,000ドルであった。このような富は、鉱山資源、特に石炭を搾取し、インフラストラクチャーを構築するための計画的な政府戦略の結果である(最近では中国西部で別の措置が再現されている)。

問題は、同化と融和のモデルが持続可能かどうかである。 経済的圧力が高まっている。 多くのモンゴル人は、自治州の全体的な繁栄から除外されているように感じている。 不釣り合いである都市民は、遊牧民の2倍の収入を得る。 農村部であっても、地域のブームを促すエネルギー集約型の汚染産業は、漢民族企業に大きな利益をもたらしている。 一方、鉱夫はモンゴル人である。

鉱業会社は、草や山羊にはほとんど関心がなく、多くの水を消費している。 NGO団体のグリーンピースによると、いくつかの場所で水面台が100メートルも下がったという。2011年に新しい鉱山開発が縮小されたのは、漢民族の運転手が意図的にモンゴル人遊牧民を車で轢き殺し、抗議を引き起こした時で会った。自治区政府は補助金で牧畜者をなだめた。

しかし、西ウジムチン旗近くの36歳遊牧民で、その殺害現場に近くに住むツェツェグは、ほとんどの補助金は今や形骸化しているとと語る。砂漠化と気候変動は、彼女のヤギが放牧する草が少ないことを意味するため、彼女はさらに多くのトウモロコシを購入しなければならない。飼料費の上昇と肉価格の下落に伴い、彼女の家族は借りた10万元(15,000ドル)を返済することはほとんど望めなくなっている。ツェツェグの経済的苦境は時には民族的な意味合いを前提としている。この地域は2011年の抗議の後、漢民族の警察でいっぱいになったと、彼女は言う。彼女は息子が漢民族の人と結婚することに「同意しないだろう」と言った。「今はモンゴル人が少なくなっている。モンゴル人が漢民族と結婚してしまうと、私たちはモンゴル人を失います。私たちは血統を守らなければなりません。」

65歳のボディは、フフホトから車で1時間、百霊廟鎮(バイリンミャオ)の定住放牧地のコミュニティに住んでいる。住んでいるアパートは快適だと彼は言う。しかし、彼は車の騒音、揚げられた(中国の)食べ物、そして誰かが育てた肉を食べることを嫌悪している。 30代の彼の隣人は、彼らが草原を恋しく思う一方で、彼らの12歳の娘は 「Wi-Fiがあるところならどこでもいい」と満足している。

中国政府はこの地域の平穏さにつけあがってきている。今年は内モンゴル創立70周年を「伝統的な」スポーツ、音楽、その他のイベントを数ヶ月持つ「自治地域」として特徴付けている。しかし、政府主催の祭典を超えて、モンゴルのアイデンティティの静かな復活の兆候が見られる。西ウジムチン旗にいるある20歳代のモンゴル人は教育が中国的であったため中国語名で通しているものの、最近になって地元のモンゴルのモニュメントと彼自身が読むことができないモンゴル文章で飾られた服の仕立てを始めた。ソーシャルメディアは、内モンゴル自治区の異なる地域のモンゴル人が連絡を取り合うのを促進した。モンゴル語のアプリケーションは、モンゴル語を学びたいと思っている大人を対象に、言語の復活を補助している。

モンゴル国との関係も深まっている。フフホトのレストランは、モンゴル人のシェフや歌手を募集している。多くの中国系モンゴル人と同様に、バイリンはモンゴルを訪れたことについて畏敬の念を表明している。「誰もがモンゴル人であり、指導者さえもそうである」


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コメント:2、3年前に内モンゴル自治区・エレンホトに行った時に、日本に留学したことがあるという内モンゴル人に出会ったことがあります。その方が強い眼差しで言っていたのが忘れられません。「このことは覚えておいてほしい。私は、決して中国人ではない。モンゴル人であるということを。」その方は、商売をしているのですが、ザミンウードを車で行って、ウランバートルに行くと行っていました。

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2月23日(木)にて、イギリス誌"The Economist"のAsia欄にてモンゴルのIMF(国際通貨基金、モンゴル語ではОУВС)の支援に関して記事が上がっていました。

モンゴルビジネスに関わる日本人もこの動向が気になっているかと思いますが、とうとうIMF介入が決定したようです。2月28日からツァガーンサルという旧正月のシーズンですが、色々な意味で「大きなお年玉」となったと思われます。

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↑過去1年のモンゴル・トゥグルクと米国ドルの為替動向(Currency exchange rate over the past 1 year)

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↑過去5年のモンゴル・トゥグルクと米国ドルの為替動向(Currency exchange rate over the past 5 years)

もともと、上の為替動向なんかで、「1ドルが2,000トゥグルクを上回ったら、モンゴルやばい」なんて何度も言われていたのですが、2016年からすごい上昇を遂げており、ようやく介入に動いた、という結果になりました。

The Wall Street Journalによるとモンゴルでは過去5回IMF介入があったのですが("Mongolia, which issued its maiden sovereign dollar bond in 2012, has had five IMF programs since 1991, the latest winding down in 2010.")、今回のは6回目になるのではないかと思われまます。

ちなみに、モンゴル語でIMFのことをОлон Улсын Валютын Санというらしいです。
Олон Улсын Валютын Сан

以下、拙訳です。

The IMF bails Mongolia out—again
 
また、モンゴルへのIMF支援
あらゆるコモディディの破綻は国家収支危機を引き起こす

ジム・アンダーソンは1993年に初めてモンゴルに居住したときに、現地語の"байхгүй(バイフグイ※)"を習わざるを得なかった。それは、「不在」もしくは「利用できない(入手できない)」という意味である。それはパン?米?電気?しばしば、それらは"байхгүй(バイフグイ)"であった、とジム・アンダーソンはカントリー・ダイレクターとしてモンゴルに戻った世界銀行のブログポストで詳細を記載した。「ドルショップ」でドル通貨を両替するだけ十分な運を持ち合わせている人々は、この為替変動にて「板ガム」のような些細な恩恵を受けることとなる。

モンゴルは、この日ははるかに後に起こると考えていた。鉱業ブーム(銅、石炭、金)が国を変え、商品に埋め尽くされた商店、クレーンで満たれた町にした。 2009年から2014年にかけて、経済は70%もの成長を遂げた。 2012年に関しては、GDPの約54%に相当する外国資本の流入を引き出した。
しかし、2014年のコモディティ価格が下落して以来、外国直接投資は逆転しており、巨額の厄介な債務支払いの履行が近づいている。モンゴルの外貨準備高は、2012年の40億ドルを上回っていたものが、2016年9月末には4か月分の輸入負担分に相当する約10億ドル強ににまで減少している。外国の債権者は、"байхгүй(バイフグイ)"という言葉を学びつつある。

IMFを介入させる。今月、モンゴルは、債務不履行を回避し、準備金を再建するために、3年間で約4億4,000万ドルを融資することに合意した。合意書が国際通貨基金の承認を得ているとすれば、アジア開発銀行、世界銀行、日本、韓国等からさらに30億ドルの資金調達が解除されるであろう。

中国もまたモンゴルへ援助をするであろう。 11月のダライ・ラマの訪問により中国政府は遺憾の意を示し、モンゴル商品に新たな課税を負わせ、国境で貨車が遅れた。モンゴル人の50%強がチベット仏教徒と認識している。しかし、モンゴルの輸出先のほとんどは(84%)は中国であり、世界で最も中国に依存する輸出国となっている(図参照)。モンゴル政府は、ダライ・ラマ訪問に起因する「誤解」を謝罪し、ダライ・ラマの再訪問を許可しないと述べた。モンゴル政府は今、中国が150億元(22億ドル)のスワップラインを拡大することを望んでいる。
IMFのローンに付随する条件は規定通りの内容である。この内容は、中央銀行を「準財政(quasi-fiscal)」活動から守ることを含んでいる。1.95兆トゥグルク(7億8700万ドル)の安価な住宅ローンを購入し、遊牧民として知られている国で住宅バブルを支援している。 IMFの主張によれば、政府は、同国の信用取引の2割を占める国営貸し手であるモンゴル開発銀行の管理から離れている。

モンゴルの見通しは改善されるであろう。銅と石炭の価格は幾分回復した。リオ・ティントが運営する銅鉱山のオユ・トルゴイ(Oyu Tolgoi)への多額の投資により経済は恩恵を受ける。しかし、モンゴルは8年間に2度もIMFの援助の方を向いた。もしモンゴルは次の商品サイクルをよりうまく管理しなければ、その恩人であるIMFの我慢は"байхгүй(バイフグイ)であると言える。

※(訳者注:"байхгүй(バイフグイ)は実際はバッコッイと聞こえます)
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(以上拙訳)

「コメント」
モンゴル人には、公的機関からお金を借りるからにはそれなりの見返りを示す必要があると思います。政治家や役人は働いているのか?と思います。それぐらい、厳しい言葉を国民からだけでなく外国からも投げかけないと、変われないと思います。

気になるのが、国民の負担が大きくなることと、明らかに供給過多となっているマンション建設に対する対応策です。

あと、もう一つ気になるのが、これだけ重要なニュースなのに、モンゴル語でGoogle検索しても最新の情報があんまり出てこないということです・・・。おそらく、旧正月のツァガーンサルでみんなお休みなのでしょうか・ ・・。

モンゴル語でのニュース
(2月19日)
ОУВС: Монгол Улсад нийтдээ 5.5 тэрбум ам.долларын санхүүжилт хийгдэх боломжийг үүсгэлээ
http://www.medee.mn/main.php?eid=89303%E2%80%AC


今回は、ここまで。

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▲個人的に好きなキューバの写真

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▲キューバと言えば歌ったり、踊ったりというイメージ。

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▲キューバと言えば、やっぱり1960年代のままの景色。

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▲実は、エルベグドルジ大統領も革命家です。写真は、1989年10月の青年会議の組織化に参加された時の様子、モンゴル民主運動の始まりです。

キューバ
▲1960年首都ハバナを行進するカストロ(左端)と、チェゲバラ(中央)

1960 mongolia
▲1960年モンゴルはというと、ナーダムでしょうか、平和な感じです。

キューバ モンゴル
▲写真 モンゴル外務省

毎度、編集長のタケシです。
キューバのカストロ前国家評議会議長がなくなったことに関して、オバマ大統領とトランプ氏 対照的な反応がネットで話題となっています。

以外みんなに注目されないモンゴルですが、実はオバマ大統領よりもずっと先、昨年7月(2015年7月22日)時点でプレブスレン外務大臣がキューバを公式訪問されています。そして、今年9月(2016年9月15日〜18日)にエルベグドルジ大統領もキューバを公式訪問されました。

エルベグドルジ大統領は、「キューバは中南米地域からモンゴルとの国交確立のための最初の国家であり、過去50年間に渡って両国の友好関係が強化されていると指摘」しました。

PRESIDENT OF MONGOLIA TS.ELBEGDORJ PAID AN OFFICIAL VISIT TO THE REPUBLIC OF CUBA

キューバ革命勝利への道――フィデル・カストロ自伝
フィデル・カストロ・ルス
明石書店
2014-10-31

 


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