モンゴル情報クローズアップ!

モンゴルの文化、ビジネス、投資、観光、最新話題など幅広い情報をお届けします。(通称:モンゴルなう)

カテゴリ: ニュース

IMG_9844

【写真説明】新モンゴル高専の機械工学研究室でロボットの実験について説明する鈴木新一さん=新モンゴル高専提供

 

 

 モンゴルには日本式の高専(工業高等専門学校)が3校ある。私立のモンゴル高専と新モンゴル高専、そして国立科学技術大の付属高専だ。いずれも2014年に開校した。今年、初めての卒業生を送り出す。

 モンゴルの高専は、日本の高専を卒業したモンゴル人が創設を呼び掛けてできた。日本の高専関係者が「モンゴルに日本式高専を創る支援の会」を組織して協力した。当時の教育相ガントゥムルさんは仙台電波高専(現在の仙台高専)と長岡技科大を卒業しており、日本の教育制度に理解があって計画が進んだ経緯がある。

 新モンゴル高専のボヤンジャルガル校長は、佐世保高専、千葉大工学部と大学院を卒業し東芝の府中事業所に勤務していたとき、新モンゴル学園のガルバドラッハ理事長にスカウトされた。モンゴル高専をつくったガンバヤルさん(故人)も東京高専を卒業している。

 新モンゴル高専に、昨年5月、豊橋技科大の機械工学科教授を定年退職した鈴木新一さんが赴任した。鈴木さんは新モンゴル工科大教授と兼任で学生の教育に当たっている。

ウランバートルで今年8月、アジア太平洋ロボットコンテスト(ロボコン)が開かれる。鈴木さんは、特にこのロボコンに向けた指導者として、ガルバドラッハ理事長に招かれた。

 ロボコンの今年のテーマは「四つ足で歩くロボット」だという。鈴木さんに、ロボコンへの抱負を聞いたら、「ものすごいプレッシャーです」と苦笑した。モンゴルはモノづくりの伝統がない。ロボコンは、設計はもちろん、部品を探し組み合わせる総合力が試される。ほとんどゼロからの出発だ。時間がない。ベトナムなど新興国の追い上げもある。入賞を目指すには、大きなプレッシャーに違いない。

 新モンゴル高専には、鈴木さんのほかに、もう一人、土木建築工学の日本人教員、綿貫久さんがいる。近く、さらに日本人一人が化学工学科に増員予定という。

 一方、モンゴル高専には、電気電子工学の西山明彦さんら日本人教員が6人いる。このうち2人は日本語の教員だ。日本語教員は近く4人に増やす予定だとう。日本語教育に力を入れているのは、卒業研究と並行して日本の高専や大学に入学する準備をさせるためだという。もちろん、日本企業への就職も視野に入れている。

 モンゴル高専の技術移転センター長を務めるガンオドさんは新モンゴル高宇都宮大工学部を卒業した。ガンオドさんによると、モンゴル高専は「モノづくり重視」を掲げている。技術移転センターは、その中核であり、溶接、旋盤、プレス加工などの基礎技術をたたき込む。また野菜の水耕栽培や家畜の排せつ物からメタンガスをつくって利用する技術開発も行っている。

 国立科技大の付属高専で化学を教えるエルデネボロルさんは、新モンゴル高千葉大工学部・大学院を卒業している彼女は、化学の授業は日本語で行っている。付属高専には日本留学準備教育プログラムがあり、その一環だという同校では、日本留学を目指す学生、モンゴルの自然や風俗を日本語の壁新聞に仕立て発表したりもしている

 今年はモンゴルの高専初めての卒業生を送り出すことから、提携・交流先の仙台高専など日本の幾つかの高専は、日本企業にモンゴルの高専卒業生の採用・受け入れを働きかけている


▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


FullSizeRender

【写真説明 曠瀬鵐丱瀬襯献磧爾瞭本人慰霊碑公園の資料館で読経の中、合掌する「柱一本の会」会員=2018年9月2日


FullSizeRender

【写真説明◆曠好侫弌璽肇觜場に隣接するオペラハウス。強制連行された日本人捕虜が建設に当たった。今や観光名所の一つになっている

 

 

 日馬富士学校の開校式でテープカットした山形県上山市の長瀬洋子さんの夫、恒夫さんは山形県警の刑事部長や山形署長を務めた元警察官だ。長瀬恒夫さんは、県警を退職後、仏門に入り、新潟県や岩手県の古刹で修業を積んだ。いつもスキンヘッドで作務衣姿なので、一見すると寺の住職だ。

 昨年9月1日の開校式には私と長瀬さん夫妻ら新モンゴル高ができるときに支援した「柱一本の会」の会員6人が出席した。6人は翌日、ダンバダルジャーの日本人慰霊碑公園に行った。まず、資料館に入り、長瀬『住職』が般若心経を唱える、線香を供えて手を合わせた。

 その後、さらにを上り、慰霊碑に参拝した。このとき、八戸高専(青森県)の先生と生徒の皆さんに出会った。同校はモンゴルで自主探求の授業を行っていた。翌日、私たちは新モンゴル高専の入学式に出席したが、ここで再び八戸高専の皆さんと一緒になった。

 慰霊碑を訪れた後、ダンバダルジャー寺院に行った。真新しい病院の建物ができていた。病気になったり負傷した日本人捕虜が収容されたアムラルト病院だ。私が以前見たときは、今にも崩れそう朽ちていて、気になっていたが、生まれ変わっていた。ただし診療はまだ行っていないということだった。

 ボルジギン・フスレ編「日本人のモンゴル抑留とその背景」(三元社)によると、ソ連は対日戦で60万人の日本軍捕虜を獲得した。いわゆるシベリア抑留だ。このうち1万2318人がソ連からモンゴルに引き渡され、ウランバートルなど16カ所に分けられ、都市建設やトーラ川沿いの樹木伐採などに駆り立てた。日本兵の死亡は1615に上り(行方不明を含む)このうち1597人が埋葬された。

 ダンバダルジャーの丘に埋葬されたのは835人。厳しい自然環境の中、過酷な労働で病気になったり負傷した人はダンバダルジャー寺院の敷地内にあるアムラルト病院に収容されたが、力尽きると、寺院奥の丘に埋められた。一帯は長らく「日本人墓地」とされていた日本とモンゴルの国交が結ばれると、遺骨は掘り返され祖国に戻った。

 墓地跡に慰霊碑ができ、周辺は公園に整備中だ。しかし、植栽などまだまだのように見える。慰霊碑の近くまで宅地化が迫っている。乱開発を防ぐためにも、公園整備は実現してほしい。慰霊碑公園がウランバートル市民の憩いの場になることを私は願っている。

 モンゴル抑留の日本兵は、スフバートル広場周辺のオペラハウス、中央政庁舎(現在の国会、大統領府、首相府)、国立大学などの建設労働に従事した。これらの建物は、なお周辺の景観を構成する威容を誇っている。「日本人は勤勉だ。捕虜でもいい加減な仕事はしない」と評価する声にもなっている。


▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


FullSizeRender


【写真説明】なぜ日本の大学を目指したのか、「アンドグローバル」で何をしたいか、若者たちに語りかけるホスエルディンさん=2018年9月3日、新モンゴル高専の入学式

 

 

 日本人のように時間を守り、誠実な人になりなさい―。一橋大商学部と大学院で計6年間学んだホスエルデンさんは、幼いころ、曾祖母曾祖母の薫陶を受けた祖母から、このように言われて育った。

 2012年に108歳で亡くなった曾祖母は若いころ看護師をしており、ノモンハン事件(モンゴルではハルハ川戦争と呼ばれる)で負傷した日本兵を看護した経験があるという。

 おばあちゃん子で幼いころから日本に親しみを感じていたホスエルディンさんは、母親が九州大に留学したとき一緒に日本で暮らし、ますます日本が好きになった。帰国後、日本式教育で知られる新モンゴル高校で学び、日本政府が奨学金を支給する国費留学生として来日一橋大生となった。

 ホスエルディンさんは現在、モンゴルの金融ベンチャー企業「アンドグローバル」で働いている。彼は自らの経験をさまざまな機会をとらえて話している。私が冒頭の体験談を最初に聞いたのは、2011年10月、山形北ロータリークラブの国際交流フォーラムでのことだ。

昨年暮れ、彼の体験談は、ユーチューブでも公開された。こちらは日本留学経験者の勉強会「モンニチ・トゥデー」でのスピーチだ。興味のある方は探してみてください。アンドグローバルに入社したのは「モンゴルができることを世界中の人々に示したいと思った」からだという。こんなことを、流ちょうな日本語で理路整然と話している。

 ノモンハン事件については、田中克彦著「ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国」(岩波新書)に詳しく書かれている。私の今回のタイトルは同書にならった。

 この戦争についてモンゴルではどのように受け止められているか、何人かのモンゴル人に聞いたことがある。あるモンゴル陸軍の元少将は、私の質問に対して「当時のモンゴルがソ連の支援を受けて日本側の侵略行為を阻止した戦争」と言った。これがモンゴル側の公式見解だと思う。

 しかし、普通の市民レベルでは「ハルハ川戦争?うちの親せきのじいさんも参加したよ。でも本当は日本と戦争なんかしたくなかったそうだ」といった軽めの話になる。

 ホスエルディンさんの曾祖母は、看護師として戦争に参加した。もし、日本に恨みを持っていたら、冒頭のような話にはならないのではないか。

 「ノモンハン戦争」の本によると、モンゴル側の死者は237人、行方不明は32人決して少なくはない犠牲者数だ。しかし同書は、現代史家S・バートル氏の言葉を引用しながら、「戦争直前に「国家反逆罪を理由に1万9895人が処刑されたノモンハンの戦場で失った全将兵をはるかに上回る数のモンゴル人が平和な日に殺された」と紹介している

 の質問に答えた元少将は、私や私のモンゴル仲間を何度か食事に招待してくれた人である。いつも柔和穏やかな態度で私たちと接してくれている。私は深酔いして泊めてもらったこともある。私がノモンハン戦争についての見解を聞いたとき、将軍の顔の表情が少しきつくなった。しかし、事実関係を淡々と述べただけで、日本を非難したわけではない。モンゴルは日本との戦争で大きな犠牲を払った。しかし、それでも、日本の悪口を言うモンゴル人に私は出会ったことはない。

これは、韓国が日本と戦争したわけではないのに「旭日旗は戦犯旗だ」中傷繰り返しているのとは大きな違いだと私は思う。

「ノモンハン戦争」の本では、あのとき日本が勝っていたら、どうなったかについても書いている。もしかして日本が勝ち取った領土は、日本がアメリカとの戦争に負けたことで、中国の領土にされたかもしれない。「日本軍は2万を超える、あっぱれな兵士たちの生命を捧げて、中国のためにモンゴルから領土を奪ってあげたということになる」と田中さんは書いた。モンゴルにしてみれば日本が勝たなくてよかったということ

 

▽森修 もり・しゅう 
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

 

DSC_2461

【写真説明】子どもを暴力から守る「魔法の城」。ウランバートル市の北部、ゲル地区にある。本来、行政が行うべき施策を民間のボランティアがカバーしていると評価されている

  

 ウランバートルのゲル地区に「魔法の城」という家庭内暴力や児童虐待の被害に遭った子どもを預かって守る民間施設がある。私は、新モンゴル高と高知大を卒業して同施設の運営に当たるテルメンさんに案内してもらい見てきた。

 魔法の城は、モンゴルの若者4人が2013年に「金づちのアラーム」というNGOを設立したことに始まる。テルメンさんは2015年に高知大を卒業して帰国し、ウランバートルでケーキ店を経営しながら、このNGOに加わり、ボランティアとして活動している。

 魔法の城は2017年春に完成した。約2200平方メートルの敷地を国から買い取り、保護施設、コミュニティー施設、ゲル付きの遊び場、家庭菜園用のビニールハウス、運動場などを備えている。施設内では有料の保育園(定員50)も併設している。

 建設費は民間の募金や寄附でまかなった。国の補助金などはない。保育園の月謝は2万トゥグルグ。ほかの一般施設は10万トゥグルグぐらいなので「安く設定している」とテルメンさんは説明する。全体の運営費は、ほとんど寄付金でまかなっている。

 私が知り合いのモンゴル人に「魔法の城をどう思うか」を聞いたところ「本来、行政がやるべき仕事を民間が行っているところがすごい」と評価する声が多かった。

 魔法の城は2カ所目を開設する予定で、この春にも着工の予定という。

 テルメンさんの高校の後輩で名古屋大法学部4年のソドチメグさんは、このほど卒業論文「モンゴルにおける暴力被害者シェルターの現状と課題―日本との比較の視点から」を仕上げた。

 論文によると、モンゴルでは、2004年に家庭内暴力防止法が制定されたが、被害者への支援はまだまだで、シェルター不足が問題になっている。そもそも実態調査が始まったのは2008年からであり、警察白書に家庭内暴力の件数が登場するのは2018年からだ。

 論文によると、暴力に対して3日間の滞在が認められるワンストップ・サービスの施設はウランバートルに4カ所、地方に4カ所ある。一時的な保護先となるシェルターはウランバートルに民間団体・暴力防止センターが運営するものが1カ所、警察署に付属するものが2カ所、地方にも民間施設が3カ所ある。

 しかし、ソドチメグさんは、.轡Д襯拭爾亮詑屬楼貉避難であり自立に向けたサービスまでは受けられない¬唄屬鵬疆戮飽預犬靴討り外国からの支援にも頼りすぎている―と指摘する。

 論文で扱っているのは大人の女性への暴力だ。母親が子連れで避難する事例は含まれるものの、魔法の城のような、子どもへの暴力問題は触れていない。ソドチメグさんは「次は、魔法の城のような、子どもへの暴力に対応している実態を調べたい」と私へのメールで話している。

 魔法の城の屋上には、ソーラーフロンティア(本社東京)の太陽光パネルが設置してある。テルメンさんによると、電気代が高いので、維持費を節約するため設置したという。魔法の城は、ボランティアで運営されている民間の福祉施設なのに、電気料金は営利を目的とした施設と同じなのだという。

 そこでテルメンさんは、高校の先輩でソーラーフロンティアの日本人社員と結婚した女性(岩手大卒)に相談した。同社は、魔法の城の実情に理解を示し、太陽光発電の設備を無償提供してくれた。

  

▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

 



モンゴルの休日

毎度、編集長のタケシです。
今年のモンゴルの休日をピックアップしました。在モンゴル日本大使館またはモンゴルでのビザ申請、その他公的機関に用事がある方は以下の日程に行かないよう注意しましょう。

1月 1日(火)元日・休日
2月 5日(火)ツァガンーサル(旧正月)
2月 6日(水ツァガンーサル(旧正月)
2月 7日(木)ツァガンーサル(旧正月)
3月 8日(金)国際婦人デー
6月1日(土)こどもの日
7月11日(木)国家記念日(ナーダム祭り)
7月12日(金)国家記念日(ナーダム祭り)
7月15日(月)国家記念日(ナーダム祭り)
11月26日(火)建国記念日
11月27日(水)チンギスハーンの誕生日

思ったのは、アベノミクスの成長戦略としてあれだけ女性の社会進出を重点にしているのも関わらず日本って国際婦人デーは休日じゃないんだよね。

11月26日はモンゴルの建国記念日です。独立記念日という呼ぶ人もいます。

11月27日はチンギスハーンの誕生日となっていますが、内モンゴルでは確かに4生まれと言われています。そのため、毎年4月に大阪でチンギスハーンの祭典が開催されています。

果たして、チンギスハーンの誕生日本当はいつなの?


チンギス紀 一 火眼
北方 謙三
集英社
2018-05-25


↑このページのトップヘ