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カテゴリ: 内モンゴル

フビライハン


毎度、編集長のタケシです。
Netflix配信の「マルコ・ポーロ」を見て非常に興味深く思ったのは、フビライハーンはちょうがつく程「親中派」だった?ドラマの話だと、自分の息子にチンキム(真金)という中国名を付け、さらに漢人の弟子入りさせた。

結論から言うと、親中派ではない。
孫子の兵法に書いてある言葉「彼を知り己を知れば百戦殆からず」ということではないでしょうか?

調べれば調べるほど面白い。
個人的にはYahoo知恵袋のとある方の回答が一番適格だと思います。

「モンゴル人は中国文明を尊敬尊重し、敬い、愛していた」とするのは中国人(漢族)とその手による歴史書の捏造です。
例えば、チンギス・ハーン、オゴタイ・ハーン時代に両ハーンに重用され、「野蛮人に文明の素晴らしさを教えた文明的な中国人」と中国の歴史書に残る耶律楚材は、ペルシャ語、アラビア語、ラテン語などの資料には一切登場しません。本人が“中書”(漢民族の官製では大臣になります)と自称していたのですが、実際にはモンゴル語の書記局の書記でしかなかったんですね。ちなみに書記局の長はチンハイと言うウィグル人です。耶律楚材はその下の通訳に過ぎませんでした。
中国の『元史』では、「優遇されてフビライの厚い信頼を勝ち取っていた」はずの史天沢や厳実は一度も大規模な遠征軍等の司令官にはなっていません。なったのはモンゴル人のバヤンやアジュなどモンゴル人です。

そして、元王朝の自称の正式名称はイエケ・モンゴル・ウルス(大モンゴル帝国)です。“大元”はあくまで、中国人に対する自身の名称です。

引用元
元王朝の皇帝フビライ・ハンは中華文化をこよなく愛したモンゴル人であったといえますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1098381880

ちなみに、モンゴルの王様の名称のハーンは皇帝で、ハンは王にあたるそうです。
なので、フビライハーンというのは正しいです。

2016-06-04-13-27-52
毎度、編集長のタケシです。
今日は半蔵門にて開いている「赤羽末吉スケッチ写真 モンゴル・1943年」を見てきました。今から73年前の内モンゴルの様子、生活スタイルなどがそのまま記録された歴史的にも非常に貴重な材料となる展示でした。

そもそも内モンゴルではこれらを見る機会なんかありません。
文化大革命ですべてが壊されたわけです。
写真をみてて、今とはかなり変化があったもの、私が子供の時とはそれほど変わりがなかったです。私にとっては勉強のいい機会でした。赤羽末吉さんまだこの世にいらっしゃってたら昔の内モンゴルのことをたくさん聞きたかった。

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王府の料理人
腰に鍵や火打石を下げる。


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王府の従者
服装でなんしている人か分かる。

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子供も帽子をかぶらないといけなかった時代だったのかな?!

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チャムを見るのは一般人
壁影に座っているのは漢人。
→銀座あたり中国人観光客がよくこうやって座るのを目撃するよね。
古風な帽子をかぶっているのは役人。 

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チャムというのは、チベット仏教の寺院でラマたち仮面をつけた踊る行事の事です。
私も人生では2回くらい見たことがあります。私の地元の寺院では毎年九月が行います。地元の寺院も文化大革命で壊されてて、2000年ころに昔の資料を参考に再現で作られています。非常にきれいです。

ということで、「赤羽末吉スケッチ写真 モンゴル・1943年」ぜひ行ってみてください。

会場:JCIIフォトサロン
住所:千代田区一番町25番地JCIIビル1階
会期:2016年5月31日(火)〜6月26日(日)
時間:10時〜17時
休館:月曜日
入場:無料

そら、にげろ
赤羽 末吉
偕成社
1978-11



すーほーの白い馬
毎度、編集長のタケシです。
「スーホの白い馬」を描いた絵本作家の写真「赤羽末吉スケッチ写真 モンゴル・1943年」が東京のJCIIフォトサロンで展示されています。

会場:JCIIフォトサロン
住所:千代田区一番町25番地JCIIビル1階
会期:2016年5月31日(火)〜6月26日(日)
時間:10時〜17時
休館:月曜日
入場:無料
 
アバガ大王
アパガ大王府 (写真:赤羽末吉)


出典 JCIIフォトサロン

後に『かさじぞう』『スーホの白い馬』などの絵本作家として名をはせる赤羽末吉(1910−1990)は、22歳で満洲国(中国東北部)へ渡り、絵画の腕を見込まれて満洲電信電話株式会社で広報の仕事に就きました。1943年には興安に新設される成吉思汗廟内の壁画制作グループの一員として内蒙古(内モンゴル自治区)を取材し、スケッチ画と写真を残しています。本展ではこの時に撮影された写真約90点を初公開いたします。 



文化大革命よりも前の内モンゴルの記録ということですね。個人的には非常に興味がありますし、行きます。昔の内モンゴルを知るための貴重な材料になります。

ちなみに、「スーホの白い馬」は内モンゴルの民話で、モンゴル国では「フフーナムジル」(翼の馬)が有名です。これについては下記の記事で紹介しています。
 


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