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カテゴリ: 内モンゴル

 The Economistに内モンゴルのネタが書いてありましたので、以下、拙訳をしました。

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出典:Wikipediaより

https://www.economist.com/news/china/21726117-it-helps-if-tent-has-running-water-and-electricity-rich-chinese-try-camping-authorities?fsrc=scn%2Ffb%2Fte%2Fbl%2Fed%2Frichchinesetrycampingastheauthoritiessettlenomads

Love yurts(
ゲルを愛せ)

Rich Chinese try camping as the authorities settle nomads(中国政府の遊牧民定住政策により中国富裕層はキャンプ生活を試みる)

It helps if the tent has running water and electricity(そのおかげでゲルに水道や電気が通る)

 

30人ほどの赤い野球帽を被った団体が中国北部の内モンゴルのゲル・パークの「スワンレイク(天鹅湖)」で送迎バスからぞろぞろと出てくる。「私はあの草原をみたいのよ」と2,000キロ南部に離れた昆明からやってきた女性は言い、馬の背に跨った尖塔ヘルメットを被ったモンゴル人兵士の巨大な銅像の写真を撮るために立ち止まっていた。「真のモンゴル体験」ツアーは一泊で380(55米ドル、約6,250)である。しかし、持ち運びが可能な金属もしくは木製の骨組みに厚い羊の毛で覆われた伝統的なゲルと異なり、その構造はプラスチック板で覆われており、ベット、窓、Wi-Fi、エン・スィートバスルーム(寝室と続きになった浴室)を備え付けている。草原に点在するのではなく、一箇所に敷き詰められるように配置されている。「グランピング」と呼ばれる高級キャンプは、通例事前に設置され十分な設備のあるテント内の、キャンプから面倒さや汚さを省いたキャンプを意味し、中国全土中の綺麗な場所に住む都市住民への人気のある余暇となりつつある。


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河南仙源篷布制品有限公司より

 豪華なキャンプ場の増加は、過去数十年に比べ10-15%増加している国内観光旅行の全体的な底上げの結果を部分的に反映していると言える。その中でも、牧地観光業は重要な要素であった。 貧困を解消するキャンペーンとして支援をする見通しのもと、中国政府はこの牧地観光業を奨励してきた。牧地を通して、アグリツーリズムNongjiale(农家乐) = 「農家楽」、農村体験をすること)もしくは牧地のゲストハウスは、都会の生活から癒しを与える場所として奨励された。中国中心部の河南省では、透明な屋根をつけたポッド部分をテントに付けることにより、特別な空の風景を楽しむ機会をキャンプ客に与えることができた。その他グランピングでは、ジオデシック・ドーム(球に近い多面体)を提供するところもある。新しいキャンプやキャラバン・パークは中国全土で人々を引きつけている。中国政府は2020年までに新しいキャンプ場をさらに2,000箇所オープンさせる予定である。


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 金雨发篷布制品有限公司より

豪華なキャンプを楽しむ人々の大半は輝かしい孤独を求めているわけでない。群集の中で荒野を体験することで静かにいたいようである。チベット高原の東部の青海湖の南岸には、多様なヨット、休眠用ポッドなどの構造物が並んでいる。湖北省のあるキャンプ場では8,000人を収容することができる。キャンプ場の多くはエンターテインメントも提供している。スワン・レイクの観光客は、巨大なコンクリートでできたゲルにて、モンゴル式の饗宴やダンスを楽しむことができる。

 

豪華なキャンプが市民権を得ている一方で、中国国内の本当のキャンパー、すなわち遊牧民は、共有の土地を分断され、自由放牧を禁止され、世帯ごと強制的に移住させられる継続的な政策のもと、しばしば強制的に定住を強いられている。中国政府の200万人の遊牧民のうちおよそ半数が2010(データが存在するうちの最新の日付が2010)までに定住するようになった。チベット人、モンゴル人、カザフ人を含む中国国内の少数民族の一員が大半であった。反して、観光客およびキャンプサイトの所有者は、通常、中国の人口の約92%を占める漢民族である。

 

中国政府は、遊牧民の生活様式を放棄することは、「近代化への大きな進歩」を意味し、牧畜家の家畜の群れの毎年の移動を危険な「試練」として言及している。しかし、近年では、放牧地の強制移住、自由放牧地の割り当てや汚染、および不十分な補助金に対して、放牧民は繰り返し抗議を繰り広げている。多くの遊牧民は都市部で仕事を見つけるスキルが不足している。牧草地に残っている人々は、放牧が縮小されているために、生計を立てるのに苦慮している。また、遊牧民の中には、移住というは民族的アイデンティティの広範な侵害であるとみなす者もいる。スワン・レイやその他キャンプ場での幸せな高級キャンプ顧客は何も考慮していないと考えるのが無難であるようだ。


-----以上

「意見」

リベラルなイギリスの高級誌であるThe Economistは、中国共産党の少数民族の政策には、やや批判的な論調です。確かに、漢民族を進出させて少数民族を徐々に減らしていく、というのが彼らのやり方で、一党独裁の、強制的な時間をかけたやり方であると言えます(ある台湾人の方が「共産党の民族政策は非常にずるいが、やり方がうまい」と言っていました)。

参考:
The Economist記事「内モンゴルは中国政府の同化政策のモデルであった」http://mongol.blog.jp/2017/06/08/51941522

漢民族の方々が、観光客としてモンゴルのキャンプ地で観光を楽しむことは素晴らしいことなのですが、やはり、伝統的な生活をしている人々の生活様式は、守らせるべきであると考えます。

確かに、観光を活性化させることと、伝統を維持していくことは、共存が難しいころがあります。日本でも、栃木県の那須地方に、予約が常に満杯のモンゴル村があるのですが、エアコンがつけられており、ホテル形式のゲルとなっておりますが、モンゴルの伝統的なゲルの形式を守りつつも日本人観光客が楽しめるような仕様になっています。

那須モンゴリアビレッジ テンゲル
http://www.tenger.jp/

しかし、この中国でのジオデシック・ドームやプラスチックの板で空を全開にするというやり方は、伝統的なゲルから大きく外れてしまっており、せっかくのモンゴル人の知恵に触れる機会を奪うことになってしまっていると感じます。

Wikipediaのゲルのところを見ると、「頂点部は換気や採光に用いられるよう開閉可能な天窓になっており、ストーブの煙突を出すことが可能である」や「ドアがある正面を南向きにして立てられ、入って向かって左手の西側が男性の居住空間、向かって右手の東側が女性の居住空間である」とあり、これは、数千年のゲル生活を経て続けられている、自然を生きる知恵が詰まっているように思えます。そもそも、プラスチックの板で空を全開にしてしまったら、直射日光に晒されて虫眼鏡状態で危険な状態になるとも言えます(暑かったら閉めればいいかもしれませんが)。

また、遊牧を禁止されてしまっている記述がありますが、実は遊牧をするのも、オトルという知恵があるそうです。

人間や動物と共存しながら尚、手つかずの自然がある。豊かな草を求めて2、3日の遊牧をくり返す。これを、「オトル」という。もし一か所の草を食べさせていたら、草原はたちまち荒れ果てる。「オトル」は自然とともに生きる遊牧民の数千年来変わらぬ知恵である。

30年前の貴重なモンゴルを映像化した『開高健 モンゴル大紀行』http://mongol.blog.jp/2016/09/25/51909098

今後も、The Economistの内モンゴルの記事を見ていきたいと思います。

今回は、ここまで。

イギリスの高級紙 The Economistより、内モンゴルについて結構気合の入った記事が書かれていました。

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Herding mentality
Inner Mongolia has become China’s model of assimilation
But Chinese Mongolians are still asserting their identity

以下、日本語による拙訳となります。一部不快に思われる表現がありますが、直訳とさせていただきます。


遊牧の精神
内モンゴルは中国の同化モデルであった
しかし中国のモンゴル人は依然として彼らのアイデンティティを主張している

バイン(Bayin)は、内モンゴル東部の草原から数百万人の都市であるチフェン(赤峰市:中華人民共和国内モンゴル自治区東南部に位置する地級市)に移ったときに3歳であった。数十万人のモンゴル人の遊牧民が中国政府によって定住を強制されたのと同様に、彼の家族もまた地方のテント暮らしから去り、都市の一世代でアパートにやってきた。現在32歳となるバインは、断音のモンゴル語と声調の中国語(マンダリン)の間を絶え間なく行き来をしている。多くの点で、バヤンは中国政府による600万人のモンゴル族の同化政策を具現化しているといえ、中国北部にいる内モンゴル人のほとんどがそうである。

しかし、バインはモンゴルの世界で大半を過ごしている。彼は生活のためにモンゴルの衣装(デール)をデザインし、2012年での結婚時にそれを身に着けた。彼の300人ほどの結婚式の招待客のうち、中国の人口の90%以上を占める漢民族グループはほんの一握りであった。彼の娘はモンゴル語の幼稚園に通う。彼は1950年代のモンゴル人の生活のビデオを見るのを好む。

中国政府は国境地帯を支配する上で、長期に渡って苦慮してきた。1949年に中国共産党が(国共内戦後に)権力を取り戻した後に、南西部の雲南地区とチベットを支配するに数10年を要した。チベットおよび極西部の新疆ウイグル自治区での緊張関係は、時には暴力を引き起こした。どちらも残虐に抑圧された分離主義運動が起こっている。モンゴルでも常に難しい民族関係が続いている。モンゴル人は、1990年代初めまで頻繁に中国政府と頻繁に衝突した。

しかし、ここ20年ほどは、内モンゴル自治区の大部分が不活発な状態である。内モンゴル自治区では現在分離主義運動が起きておらず、同じ民族の300万人が住んでいる独立した民主国家であるモンゴル国がすぐ北に位置していることを考えると驚きであると言える。地方の不満は、民族的なものよりも経済的に表現されることが多い。ロンドン大学・東洋アフリカ研究院エンゼ・ハン氏は、これを理由に多くのモンゴル人が自分を漢民族と見分けがつかないようにしてしまっていると述べている。内モンゴル人は中国西部の少数民族よりもはるかに漢族と結婚する可能性が高い。より多くの若者が内モンゴル自治区を離れ、他の場所で仕事を見つけることができる。やや納得がいくのが、中国共産党が何十年もの間内モンゴルを征服するのに寄与した同化政策を、チベットと新疆でも同じ政策を短期間で再現しようしていることである。

「桃源郷」に浸かると「地獄に落ちる」

内モンゴルの統合は部分的に歴史的であるといえる。チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンは、1271年に中国と結びつける王朝を創設した。北京への地理的近接は、頻繁に交流が行われることを意味した。部族の区別と人口の分散は、中国権力に対する抵抗を妨げた。内モンゴルは中国の領土の12%を占めるが、その人口は全人口の2%未満しか占めていない。

中国政府による政策はモンゴル人のアイデンティティを抑制した。漢民族の移住は19世紀に始まった。モンゴル人ネイティブの人口はすでに1949年には少数となってしまった。現在では内モンゴル自治区で20%の人口がモンゴル人となっている。この地域は文化革命で特に深刻な暴力を受け、推計にして10万人にも及ぶ人々が殺害された。内モンゴルに強く根ざした仏教が粉砕され、ほとんどの寺院が破壊された。内モンゴル自治区の自治区首府であるフフホトにある巨大寺院の大召寺(ダ・ザオ)では観光客の方が、信者数を上回っている(それにもかかわらず、問題が発生した場合に備えSWAT(特殊警備)チームが隅々まで待機している)。

中国共産党がチベットと新疆でさもうまくいっているように進めている中国語(マンダリン)で子供達に教育を施す方針は、内モンゴルで早期から始められていた。すべての若いモンゴル人は中国語(マンダリン)を話す - モンゴル語を理解する人はずっと少なくなってしまっている。中国共産党は中国語で支配されることに満足しているため、それがモンゴル語教育の成長を促している。モンゴル語で教育を受ける小中学生の割合は、実際には2005年の10%から2015年の13%に増加した。

金はモンゴル民族が中国共産党と折り合いをつけることに貢献した。内モンゴル自治区での1人あたりのGDPは1万ドルである一方、モンゴル国の1人あたりのGDPは4,000ドルであった。このような富は、鉱山資源、特に石炭を搾取し、インフラストラクチャーを構築するための計画的な政府戦略の結果である(最近では中国西部で別の措置が再現されている)。

問題は、同化と融和のモデルが持続可能かどうかである。 経済的圧力が高まっている。 多くのモンゴル人は、自治州の全体的な繁栄から除外されているように感じている。 不釣り合いである都市民は、遊牧民の2倍の収入を得る。 農村部であっても、地域のブームを促すエネルギー集約型の汚染産業は、漢民族企業に大きな利益をもたらしている。 一方、鉱夫はモンゴル人である。

鉱業会社は、草や山羊にはほとんど関心がなく、多くの水を消費している。 NGO団体のグリーンピースによると、いくつかの場所で水面台が100メートルも下がったという。2011年に新しい鉱山開発が縮小されたのは、漢民族の運転手が意図的にモンゴル人遊牧民を車で轢き殺し、抗議を引き起こした時で会った。自治区政府は補助金で牧畜者をなだめた。

しかし、西ウジムチン旗近くの36歳遊牧民で、その殺害現場に近くに住むツェツェグは、ほとんどの補助金は今や形骸化しているとと語る。砂漠化と気候変動は、彼女のヤギが放牧する草が少ないことを意味するため、彼女はさらに多くのトウモロコシを購入しなければならない。飼料費の上昇と肉価格の下落に伴い、彼女の家族は借りた10万元(15,000ドル)を返済することはほとんど望めなくなっている。ツェツェグの経済的苦境は時には民族的な意味合いを前提としている。この地域は2011年の抗議の後、漢民族の警察でいっぱいになったと、彼女は言う。彼女は息子が漢民族の人と結婚することに「同意しないだろう」と言った。「今はモンゴル人が少なくなっている。モンゴル人が漢民族と結婚してしまうと、私たちはモンゴル人を失います。私たちは血統を守らなければなりません。」

65歳のボディは、フフホトから車で1時間、百霊廟鎮(バイリンミャオ)の定住放牧地のコミュニティに住んでいる。住んでいるアパートは快適だと彼は言う。しかし、彼は車の騒音、揚げられた(中国の)食べ物、そして誰かが育てた肉を食べることを嫌悪している。 30代の彼の隣人は、彼らが草原を恋しく思う一方で、彼らの12歳の娘は 「Wi-Fiがあるところならどこでもいい」と満足している。

中国政府はこの地域の平穏さにつけあがってきている。今年は内モンゴル創立70周年を「伝統的な」スポーツ、音楽、その他のイベントを数ヶ月持つ「自治地域」として特徴付けている。しかし、政府主催の祭典を超えて、モンゴルのアイデンティティの静かな復活の兆候が見られる。西ウジムチン旗にいるある20歳代のモンゴル人は教育が中国的であったため中国語名で通しているものの、最近になって地元のモンゴルのモニュメントと彼自身が読むことができないモンゴル文章で飾られた服の仕立てを始めた。ソーシャルメディアは、内モンゴル自治区の異なる地域のモンゴル人が連絡を取り合うのを促進した。モンゴル語のアプリケーションは、モンゴル語を学びたいと思っている大人を対象に、言語の復活を補助している。

モンゴル国との関係も深まっている。フフホトのレストランは、モンゴル人のシェフや歌手を募集している。多くの中国系モンゴル人と同様に、バイリンはモンゴルを訪れたことについて畏敬の念を表明している。「誰もがモンゴル人であり、指導者さえもそうである」


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コメント:2、3年前に内モンゴル自治区・エレンホトに行った時に、日本に留学したことがあるという内モンゴル人に出会ったことがあります。その方が強い眼差しで言っていたのが忘れられません。「このことは覚えておいてほしい。私は、決して中国人ではない。モンゴル人であるということを。」その方は、商売をしているのですが、ザミンウードを車で行って、ウランバートルに行くと行っていました。

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毎度、編集長のタケシです。
人生初蒙古タンメン中本に挑戦しました。

挑戦という言葉に注意を!
日本のラーメンは美味しくて、食べるのが好きです。
その中でも僕は家系のコッテリラーメンが大好きです。

昔、大阪の門真に住んでいた時に天下一品という店で半年間バイトしたことがあります。あの時はスープ全部飲み干してたけどね。明らかに太り始めたので、ラーメンをあまり食べないようにしました。今は月二回ほどかな。

ずっと前から、気になっていた蒙古タンメン中本へついに行ってきました。

辛(から)くて、辛(つら)くてマジ無理でした。
北方生まれなのに辛いのは苦手です。韓国料理とか、タイ料理とか基本辛いからあまり食べないのですが、蒙古タンメン中本の辛さは恐らくそれらの数十倍です。

日本に数多く「モンゴルに関係ないモンゴル」が存在しています。
蒙古タンメン中本のどこがモンゴルかよ?!
無理やりにモンゴルというキーワードを探しても見つからなかったです。(汗→ハンではなくあせの方w)

今後、ゆっくり時間をかけて全て挑戦していきたいと思います。
あなたの周りにも、これがモンゴル?へんじゃない?という情報あったらぜひコメントしてくださいね。 

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▲蒙古タンメン中本はインスタントラーメンも発売しているよ!



モンゴルに関係ないモンゴル!?

ベビースターラーメン

モンゴ流シャンプーとモンゴルの関係とは?

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