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カテゴリ: 歴史

みなさんこんにちは、ひでです。
中国の首都、北京に行かれた事のある方なら一度は行ったこと、或いは聞いたことがあるかも知れない下町情緒あふれる集合住宅の胡同(フートン)。

Hutong_1_(Snowyowls)

この胡同、語源は実はモンゴル語だった。というのは存知でしょうか?

モンゴル語の井戸・集落を表す(худаг)を漢風に音訳したものが現在の胡同の語源なのだそうです。(満州語由来など異説もあり)


初回でもお話した通り、現在の北京は元々フビライが中国を支配するために築いた冬の都「大都」です。その際、多くのモンゴル貴族、軍人達が城下町である「皇城」地域に住んだ(’駐屯’という表現のほうが正確かもしれませんが)のですが、当然モンゴル人は自分たちの呼び方で街を築いていったのです。

※丁度香港が英国人の影響で街の名前に英語で’セントラル’と命名する事に近いのかも知れません。
以前お騒がせした孔子一族の北京大学の先生は「香港は西欧の犬」と言う前に、自分が住んでいる北京の歴史をご存じだったのでしょうか?(笑)


因みに大都では細かい道路建設規則があり、

◎幅二十四歩(約37.2m)を大街
◎十二歩(約18.6m)を小街
六歩(約9.3m)を胡同

としていました。

明の永楽帝も都を北京に定めた際、道路に関してはほとんど大都のものを受け継いだそうです。それだけフビライが建設した大都が、都市計画に基づいて建設された立派な「城市」であったかが想像されます。


やはり北京は半分モンゴルなのです!

(寄稿者:ひで)

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geographcal_map_of_Inner_Mongolia
地図提供 
http://www.innermongolia.org/english/geomap.htm

日本でモンゴルと言っても実際内モンゴルのことを指していることが多いです。

そもそも内モンゴルとモンゴル、南モンゴルと北モンゴルってなに違うのでしょうか?
某旅行会社の社長もよく言いますが、内モンゴルツアーで行った人たちが到着してから初めて内モンゴルは国でいうと中国だったことに気が付いたとか。あと内モンゴル行く行くのにガイドブックがモンゴルだったりすることが多いです。
 
なので、最低でも内モンゴルとモンゴルの違いを覚えて欲しいです。

YAHOO知恵袋に分かりやすい解釈があったので転載させて頂きました。
引用元http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432448539

(erden_dさんの回答 2009/11/6 16:15:23)
内モンゴルと外モンゴルが分かれたのは、大清帝国設立したときです。満洲と一緒になったモンゴルの部分が内モンゴル、なっていないのが外モンゴルとなっています。これはこれでいいのですが、問題が大清帝国が崩壊した際に、外モンゴルは独立し、内モンゴルは日本の支持で蒙古聯合自治政府を作ります。外モンゴルと内モンゴル一緒になる動きはありましたが、外モンゴルはソ連、内モンゴルは日本の影響下に置かれていたため、できていません。日本が戦争に敗れたことで、なぜか内モンゴルは中国の一部となってしまいます!文化大革命までは、内モンゴルはモンゴルのままでしたが、文化大革命で漢族を内モンゴルへ移住させたため、今のように内モンゴル総人口の8割を漢族が占めるようになっています。内モンゴル人は、農業をやっていたからとか、中国に近かったため漢族が多く住んでいたとかは事実と違います。


(na_cochiさんの回答 2009/11/2 21:11:19)
モンゴルは、実際には4つにわかれています。

1.中国の内モンゴル自治区(モンゴル人400万)
2.モンゴル共和国(モンゴル人270万)
3.ロシアのブリヤート共和国とその周辺(アガブリヤートやウスチオルダブリヤート、トゥーバなど)(モンゴル人160万)
4.ロシアのカルムイキア共和国(モンゴル人40万)
になります。

内モンゴルは、農耕のために定住したモンゴル人で、農耕に適した地域が中国との境界ふきんだったため、中国の支配下に入った地域です。
モンゴル共和国(外モンゴル)は、遊牧を中心とした地域で、中国(明)に屈服せずに清朝の時に、清に従属していた地域です。
ブリヤート地区は、清朝に従属せずに、独立を保っており、後にロシアに併合された地域です。
カルムイキアは、モンゴルの西征の時にヨーロッパ地区(南ロシア)に移住し、キプチャクハン国を造った人達の末裔になります。
なおカルムイキア共和国は、最も西にある仏教国で、国旗には仏教のハスの花が使われています。(転載はここまで)

これで内モンゴルとモンゴルの違いを理解できましたかでしょうか?
実は内モンゴルのことを日本で一番詳しく書いてある本があります。



 

現代の日本語において、モンゴルは「蒙古」と表記せず、「モンゴル」とカタカナで表記する。

モンゴル国はもちろん、内モンゴル自治区や民族名にも適用される。


行政・学術・報道・一般。

すべての分野において、この常識をあまねく普及する戦いが、日本国内で現在も、静かに続いています。

mongol_mongol
「モンゴル」と表記することをPRする女子学生。

1.「モンゴル」表記の始まりは、明治時代から。
鎌倉時代、ダイウォン・イェケ・モンゴル・ウルス(大元大モンゴル国)のフビライ・ハーンからの国書が日本に届いたとき、国書は漢訳され、「モンゴル」も「蒙古」と書かれていました。
このことから、日本では長らく漢籍の「蒙古」を使用してきましたが、アブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン 男爵による著書チンギス・カンよりティムール・ベイすなわちタメルランに至るモンゴル族の歴史』(1834-1835)(邦題 ドーソン『蒙古史』)が日本でも研究されるようになってから、漢籍からでなく、モンゴル語の発音からの表記、すなわち「モンゴル」を用いられるようになっていきました。


2.「蒙古」表記の統一は、昭和の戦時中。
日本がすべての分野でモンゴルを「蒙古」と表記したのは、昭和の戦時中からです。
当時は、海外の国名や地名は基本的に漢字表記する時代でした。


3.「モンゴル」表記の再スタートは、終戦直後から。
1949年の磯野富士子の著書『冬のモンゴル』(北隆館)において、著者の磯野富士子は、モンゴル人たちとの会話を通して、こう述べています。

考えて見れば「蒙にして古い」のではこのインテリ青年たちは承服できかねるだろう。「匈奴」にしても「蒙古」にしても漢民族は北方の強敵の名称を写すのに、できる限り彼等の憎悪と侮蔑を表現する文字をあてたのだ。それをそのままに日本で「モーコ」と読んだのは音さえも原音から大分かけ離れてしまうわけだ。この愛すべきモンゴルの青年たちや子供たちに敬意を表して、これからはなるべく「蒙古」(モーコ)という言葉は使わないようにしようと思う。

日本の著名なモンゴル研究者の誰もが、もっぱら「蒙古」と表記した中での、磯野富士子の勇気ある意思表明が、後に大きな時代の転機を起こします。


4.共同通信社の「世界年鑑」、「蒙古」から「モンゴル」へ表記を改正。
共同通信社が毎年発行する「世界年鑑」は、日本の報道において、世界の国名、地名、民族名、人名、固有名詞の表記の基準となっています。
その「世界年鑑」も、磯野富士子の『冬のモンゴル』に呼応するかのように、1949年を境に「蒙古」から「モンゴル」に改正。少なくとも60年代には、モンゴル国(当時はモンゴル人民共和国)、内モンゴル自治区ともに、すべての「モンゴル」の表記がカタカナ表記になりました。


5.日本国外務省、「蒙古」を用いないことを常識化。
日本は1972年にモンゴル(当時のモンゴル人民共和国)との国交樹立以来、公文書においてモンゴルに対して「蒙古」あるいは「蒙」を使用したことはありません。


6.日本の大学、「蒙古」の表記を撤廃。
東京外国語大学では1961年、大阪外国語大学(現大阪大学)では1962年に、学科名かの「蒙古」が「モンゴル」に改められました。また、東京外国語大学は、内モンゴル大学との公式提携の文書においても、日本語の文書では「モンゴル」とカタカナ表記しています。

7.日本の25大学のモンゴル人留学生と日本人の合同の呼びかけ。
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2007年、モンゴル国大使館が後援する東京都内のモンゴルの祭り「ハワリンバヤル2007」の公式メッセージとして、モンゴルを「蒙古」と呼ばないことを、表記しないことを呼びかける広告が、公式パンフレットの中央見開きに掲載されました。日本国内の25大学のモンゴル人留学生をはじめとする、モンゴル人から日本人への初の公式な呼びかけになり、その後の産経新聞でも大きく掲載されました。

8.日本のモンゴル研究者、外務省に連名で請願書提出。
2011年、日本語の公文書においては国籍に関係なく、モンゴルを「モンゴル」とカタカナ表記することを、下記の各分野の著名な研究者らとの連名で提出しました。(五十音順)

市来弘志 (学習院大学非常勤講師)
今岡良子 (大阪大学世界言語研究センター准教授)
梅村坦   (中央大学総合政策学部教授)
及川俊信 (社団法人日本モンゴル協会個人会員) 請願書発案・文責
岡田和行 (東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)
岡田英弘 (東京外国語大学名誉教授)
岡洋樹   (東北大学東北アジア研究センター教授)
小澤重男 (東京外国語大学名誉教授)
加藤九祚 (国立民族学博物館名誉教授)
金澤英作 (日本大学松戸歯学部教授)
金岡秀郎 (国際教養大学特任教授)
窪田新一 (大正大学文学部歴史学科特命教授)
芝山豊   (清泉女学院大学人間学部教授)
杉山正明 (京都大学文学研究科教授)
田中克彦 (一橋大学名誉教授)
西村幹也 (NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ代表)
バー・ボルドー/和名:富川力道 (東京外国語大学・和光大学非常勤講師)
蓮見治雄 (東京外国語大学名誉教授)
二木博史 (東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)
宮脇淳子 (東京外国語大学・国士舘大学非常勤講師)
吉田順一 (早稲田大学文学学術院教授)
若松寛   (日本モンゴル学会)


外務省のアジア大洋州中国・モンゴル課からは、日本語でモンゴルを「モンゴル」とカタカナ表記することは中国も問題としておらず、請願があったことを各担当に通知した旨をご回答いただけました。
このことは、当時の東京新聞・東京新聞の友好紙にも大きく記事が掲載されましたが、「中国政府が変えて欲しいと言わない限り、現状で問題とは認識していない」と、解釈がねじれた報道がなされました。

9.石清水八幡宮、東大寺、「蒙古」と表記しないことを評価・決定。
京都の石清水八幡宮と奈良の東大寺は、モンゴル襲来(元寇)の際に日本の国防を祈願した自社仏閣で、モンゴルの国書の複写を管理していらっしゃいます。
東大寺は今年、全会一致で今後はモンゴルを「蒙古」と表記しないことを決定しました。
石清水八幡宮からも同様に、現代のモンゴルを「蒙古」と表記しないことに全面的な評価をいただきました。
詳細は、近日中に論文にて発表いたします。

モンゴルは「蒙古」にあらず。
実に770年以上もの時をかけた、日本とモンゴルの歴史的な共同作業が、今も静かに、確実に続いているのです。


2013年8月3日 みずばしょう

参照文献:
及川俊信, 2011, 「日本語の表記としての「モンゴル」と「蒙古」―― 外務省への請願書の提出報告と考察 ――」, 『日本とモンゴル』123.

及川俊信, 2008,  「報告 文化広告活動 私たちはこれからも、モンゴルを『蒙古』と呼びません」, 『日本とモンゴル』116.

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