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カテゴリ: モンゴル旅行体験談

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【写真 曠丱筌鵐曠鵐乾觚の大ゴビ特別自然保護区の近くで家畜に水を飲ませる遊牧民の男の子

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【写真◆枡段娘然保護区にあるシャルフスの避難小屋付近から見た風景。何もないような大平原動物が躍動する世界だ。保護区の外では遊牧民も生活している

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【写真】バヤンホンゴル県の大ゴビ特別自然保護区を示す看板。車止めや柵などはな

 

 

 ゴビ砂漠のクマ「マザーライ」の調査は、ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがる大ゴビ特別自然保護区(A地区)の避難小屋に4泊して終わった。

ウランバートルに戻るため、シャルフス山ろくの小屋を出発し、2時間ぐらい車を走らせると、保護区であることを示す看板が立っていた。車止めや柵などはない。その気になれば、勝手に出入りできそうだ。しかし、保護区に立ち入るには許可が必要だ道なき道を進むため、現地の事情に詳しい管理事務所の職員に案内してもらわなければ危険だからだ

 保護区の外に出ると、間もなくラクダの群れに出会った。冬毛を刈り取ったばかりのようで、ラクダ色というよりは、グレーとピンクの混じったような色をしていた。モンゴル語でラクダは、家畜の場合は「テーメー」、野生のものは「ハブトガイ」と区別している。裸にされたラクダは家畜の方だ。

 さらに車を走らせると、ヒツジとヤギの群れに出会った。丘の上の方から群れが現れ、道をふさぐように横断し、やがて動きが止まった。何をしているのかと思い、車を降りて近づいてみると、10歳ぐらいの男の子が二人、家畜に水を飲ませていた。深さ2メートルもないぐらいの井戸があり、男の子は、棒の先に細長い袋状の容器を付けた道具で水をくみ上げる。重労働に見える。しかし元気だ。家畜の群れは、水を飲むと、また丘の上に戻って行った。

 井戸からさらに車を走らせると、ゲルを撤去したような跡が現れた。円形の石積みの囲いがあり、足跡がいっぱい付いていた。遊牧民は季節ごとに移動するが、放浪の旅をするわけでなく、季節ごとにゲルを組み立てる場所は決まっているという。ここは冬季で、先ほどの家畜の群れが戻って行った方向にゲルてる場所があるのかもしれない。

 東京・光が丘公園で開かれるハワリンバヤル(春祭り)は今年、「モンゴルの宝物マザーライ」をテーマにしている。チラシには「守ろうモンゴルにしかいない動物たち」と書いてある。マザーライは確かに貴重な動物だ。守らなければならない。しかし、モンゴルの宝物は、ほかにもあるのではないか

 野生のラクダ・ハブトガイだって宝物だと思う。家畜のラクダ・テーメーは珍しくはない。世界中の動物園にラクダはいる。しかし、ハブトガイを飼育している動物園はあるのだろうか。ハブトガイはテーメーが野生化したのではない。もともとの野生種だと言われる。犬と狼の違いに似ているのかもしれないしかし、モンゴル人でも、ハブトガイを知らない人は結構いる。ハブトガイについて、もっと理解を深めたい。

 昨年11月、NHKBS「ワイルドライフ」はスフバートル県のマヌルネコを特集した。この野生ネコは、昨年4月の総合テレビ「ターウィンが来た」でも取り上げられた猫は珍しくはないが、野生となると話は別なのではないか

 モンゴルには大型猫ユキヒョウ(イルベス)もいる。NHKは2015年8月、ホブド県のユキヒョウを特集していた。ユキヒョウやマヌルネコを取り上げるなら、マザーライやハブトガイも取材してほしい。

 私は、ハリネズミ「ザラー」に興味があり、ウランバートルのペットショップで売られているのを見たこともある。ガンダン寺の参道にある土産物店でザラーの毛皮が売られている。モンゴルでは厄除けとしてゲルの入口に飾ったりするそうだわが家では、ガラス容器に入れ、本棚に飾っている。ザラーの毛皮を土産物として販売することについては議論があるかもしれない。それを一つ置いて、野生のザラーについて、もっと知りたい

植物も珍しいものある。マザーライが生息するゴビには、トーロイという木ある。トーロイもモンゴルの宝物ではないのかもちろん私が知らない宝物もあると思う。

(マザーライについて詳しくは拙著「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」第5章「ゴビ砂漠のクマ」をご覧ください)

 

▽森修 もり・しゅう


1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。


モンゴル大草原800年 (福音館の単行本)
イチンノロブ・ガンバートル
福音館書店
2018-07-04


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【写真 何もないような大平原の真っただ中にあるボクツの水場。飲めるので早速、ポリタンクに入れる

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【写真◆岩山の水が流れるマザーライシャンド。塩分があるというが、貴重な水場だ

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【写真】保護区内で最も水量があるシャルフスの水場。ヨコエビとみられる生物もいるトーロイなど周辺の植物も勢いが感じられる

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【写真ぁ曠張.ーンボルガスの水場のトーロイの木。砂漠の中のオアシス

 

 ヒグマの仲間「マザーライが出没する大ゴビ特別自然保護区(A地区)は、四国4県よりも広い4万4000平方キロメートル。このA地区の水場は16カ所あるという。私たちは、このうち、バロントーロイ、ボクツ、マザーライシャンド、シャルフス、ツァガーンボルガスの5カ所を廻った。

 バロントーロイの水場では、マザーライと野生ラクダ「ハブトガイ」の死体を相次いで見つけた。ハブトガイは、わずかばかりの水たまりを覆うように横たわり、ハゲワシなどの動物に食われた無残な姿をさらしていた。死体で見つかったマザーライも、この死肉を食べていたかもしれない。

 ボクツの水場は、何もないような荒野の中の深い水たまりだった。周囲にはヨシが茂っている。ここの水は飲んでも大丈夫ということで、早速ポリタンクに入れた。

 池のそばに水路が築かれていた。動物たちが水を飲みやすいようにするためだが、水量が足りないせいか、それとも砂漠での施工技術上の問題なのか、使われないまま壊れた状態だった。

 マザーライシャンドは、岩山の谷を流れる滑床の沢だ。ここの水は、塩分が含まれているということで、沢筋に白い帯が続いていた。周辺にはマザーライやオオカミの足跡があった。アイベックス(野生ヤギ)が岩山を駆け上る様子が見えた。遠くでハブトガイとみられるラクダが草か何かを食べている姿も見ることができた。

 シャルフスの水場は、保護区内で最も植物に勢いがある。岩山から流れを形成しており、水量が結構ある。体長1〜2センチのヨコエビとみられる生物もいた。ここの水も飲めるので、ポリタンクに入れた。

シャルフスの沢は、ヨシ原を抜け、道路の上を流れ、緩斜面を下ると、いつの間にか消えていた。伏流水になっているようだ。山ろくのどこかで井戸を掘れば、利用できるに違いない。

 ツァガーンボルガスの水場は、小さな谷状の所で、わき水が小川になっているが、水量は少なめだ。トーロイの木は、シャルフスに比べると、まばらで、葉の勢いも感じられない。しかし、痛々しいというより健気というか、大丈夫私は生きています」とでも言っているかのように思えた

(マザーライについて詳しくは拙著「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」第5章「ゴビ砂漠のクマ」をご覧ください)

▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。



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【写真 大ゴビ特別自然保護区内、バロントーロイの水場で見つけたマザーライの死体=2011年5月21日、筆者撮影


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【写真◆曠張.ーンボルガスのオアシスにあるトーロイの木。手前の地面のくぼみはマザーライが昼寝した跡

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【写真】シャルフス山ろく水場近くに設置されているマザーライ用の給餌場

 

 毎年5月、東京都練馬区光が丘公園で開かれる「ハワリンバヤル(春祭り)」の今年のテーマは「マザーライ」だという。

マザーライは、日本語ではゴビヒグマまたはゴビグマと呼ばれ、中国との国境付近のゴビアルタイ県とバヤホンゴル県にまたがる地域に生息している。20〜30頭ぐらいに生息数を減らし、絶滅の危機にあることから、モンゴル政府が一帯を特別自然保護区にして、狩猟や遊牧を禁止するなどの保護策を講じている。

私は、2011年5月、日本ツキノワグマ研究所(広島県廿日市市)を主宰するクマ研究家の米田一彦さんの調査に同行して特別保護区を廻った

特別保護区に立ち入るには、ゴビアルタイ県バヤントーロイ(豊かなトーロイ)の管理事務所(環境観光省の出先)で手続きが必要だ。ここまでウランバートルから車で2日かかる。事務所の敷地内にある来客用ゲルに泊まり、翌朝、事務所職員の案内で保護区に入った。

保護区には、必ず車2台で立ち入る。道なき道を進むので、万が一を考えてのことだ。ガソリンは満タンにするのはもちろん、予備タンクは外付けのもののほかに座席の後部にも携行する。車内はガソリンの臭いで頭が痛くなるほどだった。保護区内は場所によっては無線も通じない。立ち入るのは命懸けだ。

管理事務所を出発し、8時間ほど車を走らせて夕方、バロントーロイ(西のトーロイ)の水場に着いたところで、いきなりマザーライの死体を見つけた。病死とみられるが、死後それほど時間が経過していないようで、眼は深緑色をしていた。

生きている野生のクマを見るのは簡単ではない。しかし、米田さんによると、自然したクマを見るのは、もっと難しいという。

付近を警戒しながら歩いていたら、今度は野生のラクダ「ハブトガイ」の死体を見つけた。過酷な自然の現状を目の当たりにした思いだった。これから何が起きるのか。そんな不安もよぎった。死んだマザーライに遭遇したのは幸運だったかもしれない。しかし、私は複雑な気分だった。

(マザーライについて詳しくは拙著「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」第5章「ゴビ砂漠のクマ」をご覧ください)

▽森修 もり・しゅう 


1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。







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【写真 曠Ε屮襯魯鵐イ県バヤンテグの町外れにあるゴアンズ(食堂)
 
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【写真◆杰堂の客を世話する女将さん犬
 
 
 モンゴルの犬は働き者だ。惰眠をむさぼる?平和な日本の犬とは違うと思う。
 ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがる特別自然保護区にマザーライ(ヒグマの仲間)の調査に行ったとき、行きと帰りに、ウブルハンガイ県西部のバヤンテグという炭鉱の町に泊まった。
 ウランバートルを車で出発し、9時間ほど走った後、薄暗くなったころ、バヤンテグに着いた。しかし予定していたホテルは、だれもいない。近くの食料品店で聞いたところ「ホテルの経営者はニンジャ(金探し)をやっている。いつ帰るかわからない。とりあえず食堂に行って待っていたら」と言われた。
 5月だったので、日が落ちると寒さがこたえた。食堂は暖かく、居心地は良かった。ツァイワン(焼きうどん)を注文し、食べながら経営者の女性にホテルの件を話し、「ここに泊まれるかな」と聞いたら、OKの返事。
 そこで、食事の後、テーブルを入り口の方に寄せ、持参していた工事用シートを床に敷き、寝袋を並べた。私と米田一彦さん(クマ研究家)の日本人2人は、長椅子に寝袋を広げた。
 食堂の建物は、厨房に煮炊き用のかまどがあり、煙突は客用区画との間の壁の中を通っている。床ではなく壁のオンドルのような構造になっている。
 寝る準備をした後は、厨房でモンゴル・ウオッカ「アルヒ」を酌み交わす宴会になった。経営者の7歳の女の子が、自ら歌いながら踊りを披露するサービスまであって盛り上がった。
 宴会が終わり、皆が寝静まったころ、私は気分が悪くなった。駄目だこれはと思い、外に出た。このとき、出入り口の外に丸くなっていた黒い犬を踏んずけてしまった。「キャーン」と悲鳴が上がった。暗がりに黒犬なので気づかなかった。ごめん。
 私は吐きそうだった。なるべく食堂から離れようと思い、歩き出したら、黒犬がついてくる。雌犬で、私たちが到着したとき、「いらっしゃいませ」とでも言っているかのように、ぶりぶりと、しっぽを振って歓迎してくれていた。食堂の女将さん犬は、私の具合の悪さを察知したのか、ついてくる。
 懐中電灯を頼りに100メートルぐらい歩いたところで、吐いた。そのとき犬は、下から待ち受けていたかのように口を開き、受け止める。酔っぱらいの扱いに慣れているような感じだった。翌朝、見たら、黒犬の耳の辺りが白くなっていた。うまくキャッチできなかった跡だった。
 吐くと気分は良くなる。しかし、今度は便意を催した。ここはモンゴルだ。用を足すのは、どこでもいい。食堂の建物からは離れている。夜中だし、だれもいない。よし、いいなと思って、ズボンを下ろしたら、犬がいた。犬は、尻をなめるかのように近づき、排せつすると、パクっと食べる。見事な早業と言いたいところだが、ヒヤヒヤしながらの用便だった。
 ということで、後始末は全部、女将さん犬がやってくれた。私はティッシュペーパーに砂をかけて埋めるだけだった。
 食堂には大将犬もいた。食堂の勝手口を出ると物置やゲルがあり、この辺りを大将犬が守っていた。大将犬は後ろ脚が不自由だった。女将さん犬は、客が出入りする道路側を守る。2匹で役割分担していた。
 ウランバートルの東、ナライハの手前の山に天文台がある。天文台に隣接するホテルにも女将さん犬がいた。犬は、客が来ると駐車場に出て、しっぽを振って迎える。帰るときも、しっぽを振って見送ってくれた。ホテルの玄関わきの囲いの中に犬小屋があり、生まれて間もない子犬が見えた。ここの女将さん犬は、子育てしながら働いていた。
 モンゴルの犬というと、遊牧民の番犬を思い浮かべる人が多いかもしれない。でも、客をもてなす女将さん犬にも注目してもらいたい。


▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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【写真説明】山奥のぽつんと一軒家のようなゲル。清浄、静寂

 

 

 冬のテレルジはいい。昼の気温はマイナス18度ぐらいか。顔が痛くなるほど寒い。しかし、空気は澄んで、すがすがしい。日差しる。空が青い。観光客はほとんどいない。汚れのない静寂さがある。

 UB2ホテル、テレルジホテルを過ぎ、奥の方に車を進めると、広葉樹林の中、ぽつんと一軒家のようなゲルがあった。煙突から煙が出ている。

 これは絵になる。そう思った私は、車を降り、写真を撮った。すると、ゲルの中から男性が出てきて、何か叫んでいる。「こら、何してる。写真撮るなら、金払え」とでも言っているのかと思い、一瞬、緊張した。

 しかし、違っていた。ガイドのツェルムーンによると「中に入れって言ってますよ」という。あら、まあ。では、お言葉に甘えてみますか。

 ゲルの中に入ると、ヤギの解体中だった。といっても、内臓や毛皮は既に冬の前に取り除かれ、自然冷凍した枝肉を小屋から出してきて、切り分けているところだった。生臭い感じはない。

 「ちょうど一服したいと思っていた。温まっていってください」。そう主は言うと、お茶(ミルクなし)とボールツォグ(揚げ菓子)を出してくれた。しばし歓談。

 主の男性は、ゴビアルタイ出身の元軍人だった。「ウランバートルは住みたくないね」と言う。それで、テレルジの奥にゲルを建て、家畜を世話しながら暮らしているということだった。

 30分ほど話した。時計を見ると、間もなく12時これ以上いたら、仕事の邪魔になる帰ることにした。ゲル出るとき、主は「サヨウナラ」と言った(ように聞こえた)。

 車に向かって歩きながらサヨウナラだって。あの人、日本語わかるんだね」とつぶやいたら、ツェルムーンは「違いますよ。サインヤワーライです。道中、気をつけてという意味です」と言う。ははは。なんだサインヤワーライか。一つモンゴル語を覚えた。

 後日、日本に帰るため空港に行ったら、モンゴル国立大のバトフー教授に会った。教授は東北大で博士号を取得した薬草の研究者。旧知なので、出発前、待合室で世間話。私は奥テレルジの出来事話した

 教授は「それは、いい体験でしたね。ところで、そのヤギ肉食べました」と言う。「いえ、長居しては悪いと思ったので…。お昼ご飯はUB2ホテルで食べました」と私。

 「それは、もったいないことをした。お昼の時間だったんでしょ。そのまま粘っていれば、ヤギ肉のスープぐらいは、出してくれたと思いますよ」と教授。

 なるほど。私は遠慮しすぎか。いや、お昼どきに居座り続けるなんて、思ってもみなかった。

バトフー教授はオブス県の出身。日ごろ「ウランバートルはモンゴルではありません」と言っている。モンゴルを知るには、田舎に行かないと駄目だという意味だ。それは、わかる。でも、なあ。「お茶をもう一杯」ぐらいは言えても、「スープを食べたい」なんて、言えないなあ。


▽森修 もり・しゅう 


1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。

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