ガラ
【写真説明】店長兼板前のガルバトラフさんと「粋彩」の名刺

 今年7月に開店した札幌・すすきのの日本料理店「旬味 粋彩」の板前は、モンゴル人のA・ガルバドラフ(愛称ガラ)さんだ。来日10年。大阪の名門料理店「味吉兆」で6年間修業し、別の割烹居酒屋に移ったところ、出張で訪れたノースアイランドビール(本社・北海道江別市)の坂口典正社長に見いだされ、同社直営店の店長として札幌に赴任した。

粋彩の名刺

 地下鉄すすきの駅近くのビルの6階に「旬味 粋彩」はある。カウンター8席にテーブル席6人の小さな店だ。ガラさんは、この店を一人で切り盛りしている。

 完全予約制。私は、おまかせ3コースのうちの一つを頼んだ。クルミのクリームチーズのせやアナゴずしなどを盛りつけた八寸、タイの酒蒸し、ハッカクの造り、ブリの照り煮、聖護院ダイコンのでんがく、レンコンまんじゅう、クリとムキタケの土鍋ご飯にナメコの赤だし、イチゴとカキのゼリー寄せの8品。しょうちゅうのお湯割りを飲みながら、全部おいしくいただいた。飲み物代を除き、これで5500円。材料を吟味した豪華な夕食にしては安いと思った。

 ガラさんは、フグの調理師免許(ふぐ処理登録者証)を持っており、ふぐのコース料理もメニューにある。ほかにスッポン、クエのコースも。日本人の板前で、これだけの対応能力を持つ人は、多くはないだろう。ましてや外国人では珍しいのではないか。

 ガラさんが日本料理に興味を持ったのは、子どものころ、金沢市に住んだときという。母親のボルさんが、金沢大学と北陸先端科学技術大学院に留学していた。あるとき、家族4人で食事にでかけた。茶わん蒸し、すしを初めて食べた。「すごくおいしくて、店を出るとき満足感に包まれた」という。

 モンゴルに戻ってからも日本料理に関心を持ち続けた。日本式教育で知られる新モンゴル高校(現在は新モンゴル小中高)に通っていたとき、ケンピンスキーホテルの日本料理店「さくら」の経営者、清水邦俊さんの講演会が開かれた。ガラさんは、一番前の席でしっかりと清水さんの話を聞き留めた。「もう日本に行くしかないと思った」という。

 ガラさんは2010年5月に高校を卒業し、10月に日本に行くまでの5カ月間、清水さんの下で修業を始めた。清水さんは、ガラさんに和包丁を買ってくれた。

 日本行きのビザ取得は難航した。日本は在留ビザを制限している。そこで日本人支援者のツテを頼りに探した結果、「味吉兆」のオーナーシェフ中谷隆亮さんが身元引受人になってくれた。1年更新の就労を目的としない文化活動を行うためのビザが、やっと認可された。

 ガラさんは現在、就労ビザを持っている。しかし、これは日本料理の技能者としてのビザではなく、和食店の経営者としてのビザなのだという。このあたりが、ややこしい。外国人が日本料理の技能者として就労するのは、日本人の権利を侵害するので認められないが、経営者ならOKということのようだ。

 ガラさんは、ふぐ調理の資格のほか、一般的な調理師の免許状も持っている。働きながら東大阪短大に通って、栄養士の資格と食品科学技術認定証を取得した。ビジネス日本語能力テストのJ1も取得した。「味吉兆」では「ぶんぶ庵」という予約制の懐石料理店で修業を続けた。その後、別の割烹居酒屋「旬味いやさか」の責任者も務めた。経営者としての就労ビザが取れたのは、こうした努力の成果なのかもしれない。

 札幌に来て、地元の美食、グルメ関係の雑誌に取り上げられるようになった。「10年たって、やっと先が見え始めた感じ」とガラさんは言う。これからの目標を尋ねたら「日本料理でモンゴル人では初めてのミシュランガイドの星を取りたい」との答えが返ってきた。

 ガラさんを見出した坂口さんは「今はコロナの関係で我慢のときだが、料理人としての実力はあると思う。人柄も含めて、おおいに期待している」と言う。

 ガラさんは28歳。建築士をしているモンゴル人の妻と6歳の子がいる。家族を思いながら、新天地の札幌で和食への挑戦は続く。




▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。