Erwin_Baelz
エルヴィン・フォン・ベルツ(写真:Wikipediaより)

Хөх толботой юу?

日本語で、「けつが青い」という表現があります。その意味は、「経験が足りない」とか「未熟である」という意味で使われています。

確かに、筆者も小さい頃、お尻が青いアザがあったのをよく覚えています。親と一緒にお風呂に入っていた時、これの青いの何?と尋ねると、大人になると消える物だから心配しなくていい、って言われたことをよく覚えています。

ところで、この青いあざのことを、日本では「蒙古斑」と言われており、東アジアの子供にあるという見方がされています。モンゴル語ではХөх толбоもしくはМонгол толбоと言われています。

日本皮膚科学会のウェブページによると、以下のように説明されています。




青アザにはどのようなものがあるのですか?

「真皮にはメラノサイトが存在しないのが普通ですが、日本人など黄色人種では、大部分の赤ちゃんで、お尻から背中にかけて、真皮にメラノサイトがみられます。そのため、日本人の赤ちゃんのお尻から背中にかけて、青アザがあり、これを蒙古斑といいます。蒙古斑は生後2歳頃までには青色調が強くなりますが、その後徐々に薄くなり、10歳前後までには大部分が消失します。しかし約3%が成人になっても残り、その多くは直径2cm程度の円形の青色斑で、持続性蒙古斑(資料3)と呼ばれます。また稀に腕や足、お腹や胸などに蒙古斑が生ずることがあります。このような場所にできる蒙古斑は、異所性蒙古斑(資料4)と呼ばれ、年をとっても完全に消失しません。また顔面に生ずる青アザは太田母斑(資料5)、肩から肩甲骨にかけて生ずる青アザは伊藤母斑(資料6)と呼ばれ、これも自然に消失することはありません。」

出典:日本皮膚科学会 皮膚科Q&A アザとホクロ

実は、この青いあざが医学的に初めて定義したとされている人物は、明治時代に日本政府に招かれたドイツ人医師でした。そのドイツ人医師の名は、エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Balz)でした。

このベルツ先生は草津温泉の効能を広めた人物だとされ、医学の発展に尽くした人物だとされています。

しかし、この蒙古斑、日本人・韓国人・中国人・モンゴル人などのモンゴロイドによく見られると思いきや、だいぶ昔の1938年の『家事と衛生』という雑誌に、蒙古斑という名称は不適切であると説明がされています。

「ベルツ」氏は始め蒙古人種特有のものと思つて蒙古斑と呼びました。然し其の後我國国學者の研究によつて蒙古人種のみならず白人種にもあることが判り、蒙古斑と云う名称が不適切であることが明らかになりました。

しかしながら、ベルツ先生が日本の医学に貢献したことは評価されており、さらに日本人女性と結婚して子供ももうけています。

ベルツ先生が誕生したビーティーグハイム・ビッシンゲン市は日本の群馬県にある草津町と姉妹都市提携を結び、今でも交流を深めているそうです。



草津町にもドイツ的なスポットがたくさんあるようです。



ビーティーグハイム・ビッシンゲン市の旧市街地には、立派な日本庭園があり、日本語での説明がたくさんあります。

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ベルツ先生記念碑

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「君によりて日本医学の花ひらく」

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筆者は草津温泉に行ったことがありますが、滅茶苦茶の熱湯で、熱いというよりも熱すぎて「痛い」でした。これは、病気に効くよなぁと感じました。

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↑草津温泉

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筆者は、モンゴルの奥テレルジでも温泉に入ったことがあります。モンゴルのお坊さんが発見して秘境の中の秘境の幻の温泉で、どんな病気も治るとされているところでしたが、滅茶苦茶ぬるかったです。冷たくはないですが、全く温かくない。湯から上がると、とにかく寒い。でも、腰の痛みや傷が翌日に治ってビビりました。


今回は、ここまで。

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