Cайн байна уу? Bună ziua.
今回は、ルーマニアのとある教会がモンゴルと関係があった、あとルーマニアの自然が結構モンゴルっぽい、というお話をします。
ルーマニアの中央部に位置するトランシルヴァニア地方のクルツァ(Carța)という小さな町に、クルツァ教会(Abația Carța/Kloster Kerz/)があります。
ルーマニアに移住してきたドイツ人が建設したプロテスタント教会です。
以下のサイトに詳しい日本語による解説があります。有り難いです。
しかし、この教会、かなり廃墟っぽい形になっています。何でも、1241年のモンゴル軍の侵攻、さらに1421年のトルコ・オスマン帝国軍に侵攻により、かなり破壊されてしまったらしいです。破壊された形がそのまま残されているようです。
しかしながら、クルツァ教会の中はそのまま残っており、オルガンもあります。現在でも地元の人が通う現役の教会となっています。
場所はルーマニアですが、ここに住む人たちの多くはドイツ語を話すトランスシルバニア民族の人たちです。「トランスシルバニア」というと、ブラム・ストーカーによるホラー小説の『吸血鬼ドラキュラ』を指す人が多いです(特に英語圏の方々)。日本だと、コナミ社のゲームの『悪魔城ドラキュラ』の方が有名ですね。
ドラキュラというと、筆者個人的には、ファミコンゲームの『悪魔城すぺしゃる ぼくドラキュラくん』を思い出します。
Wikipediaによると、「1241年から1242年にかけてのモンゴル人のヨーロッパ侵攻で、ハンガリー王国の大半が荒廃した。ザクセン人は最善を尽くして抵抗したものの、多くの定住地が破壊された。侵攻の結果、多くのトランシルヴァニア定住地が石造の城で強化され、この強調が町を経済的に発展させた。」と書いてあります。
778年も前の昔に、ここでモンゴル軍に抵抗した、というのが想像できません。
そのモンゴル軍やオスマン帝国の侵攻から守るため、城を築き上げて、次第に7つの要塞都市を形成して行きました。それから、トランスシルバニア人は自分たちのことを「7つの城の人(ジーベンビュルガー、Siebenburger)」と呼ぶようになりました。モンゴルがきっかけのようです。
↑七つの城を表したシンボルマーク(ワッペン)(出典:Wikipedia Siebenburger Sachsenより)
ルーマニアとドイツでトランスシルバニア人向けの新聞も発行されているようです(ドイツ語)。
ちなみに、トランスシルバニア地方、かなりのどかな原生の自然が残る地域です。モンゴルで馬に乗った時見た風景を思い出しました。
途中、羊の群れを見ました。羊の大群は、かなりモンゴルの風景っぽいです。
この地域で最も規模が大きいシビウ(ドイツ語名:ヘルマンシュタッド(Hermannstadt))という街があるのですが、雰囲気が漫画・アニメの『進撃の巨人』っぽい感じの街です。1241年ごろに馬に乗ってモンゴルからここまでやってきたのが信じられないと思えました。
シビウ駅の作りが、何となくウランバートル駅に似ていいます。やはり、旧社会主義国だった名残があるのかもしれません。
そのシビウで、何とモンゴル名物のチャツャルガン(Чацаргана)のジュースを発見しました!これはかなり興奮して、買ってしまいました。
味はというと・・・砂糖が一切入っていない生のチャツャルガンの味で、非常に渋いものでした(笑)。
さらに、ナショナルジオグラフィックでも特集があります。非常にのどかで牧歌的な地域ですが、若い人は豊かな場所であるドイツ、オランダ、フランス、ノルウェー などへ働きに出てしまい、高齢化が進み、家畜の数が急激が減ってきているようです。
あと、街中に普通に馬が走っていました。流石に、今のウランバートルで馬を見るのは、ナーダムの時だけですね。トランスシルバニアでは、馬車はまだ現役バリバリだそうです。
今回はここまで。
Баяарлалаа、Mulțumesc.
今回は、ルーマニアのとある教会がモンゴルと関係があった、あとルーマニアの自然が結構モンゴルっぽい、というお話をします。
ルーマニアの中央部に位置するトランシルヴァニア地方のクルツァ(Carța)という小さな町に、クルツァ教会(Abația Carța/Kloster Kerz/)があります。
ルーマニアに移住してきたドイツ人が建設したプロテスタント教会です。
以下のサイトに詳しい日本語による解説があります。有り難いです。
しかし、この教会、かなり廃墟っぽい形になっています。何でも、1241年のモンゴル軍の侵攻、さらに1421年のトルコ・オスマン帝国軍に侵攻により、かなり破壊されてしまったらしいです。破壊された形がそのまま残されているようです。
しかしながら、クルツァ教会の中はそのまま残っており、オルガンもあります。現在でも地元の人が通う現役の教会となっています。
場所はルーマニアですが、ここに住む人たちの多くはドイツ語を話すトランスシルバニア民族の人たちです。「トランスシルバニア」というと、ブラム・ストーカーによるホラー小説の『吸血鬼ドラキュラ』を指す人が多いです(特に英語圏の方々)。日本だと、コナミ社のゲームの『悪魔城ドラキュラ』の方が有名ですね。
ドラキュラというと、筆者個人的には、ファミコンゲームの『悪魔城すぺしゃる ぼくドラキュラくん』を思い出します。
Wikipediaによると、「1241年から1242年にかけてのモンゴル人のヨーロッパ侵攻で、ハンガリー王国の大半が荒廃した。ザクセン人は最善を尽くして抵抗したものの、多くの定住地が破壊された。侵攻の結果、多くのトランシルヴァニア定住地が石造の城で強化され、この強調が町を経済的に発展させた。」と書いてあります。
778年も前の昔に、ここでモンゴル軍に抵抗した、というのが想像できません。
そのモンゴル軍やオスマン帝国の侵攻から守るため、城を築き上げて、次第に7つの要塞都市を形成して行きました。それから、トランスシルバニア人は自分たちのことを「7つの城の人(ジーベンビュルガー、Siebenburger)」と呼ぶようになりました。モンゴルがきっかけのようです。
↑七つの城を表したシンボルマーク(ワッペン)(出典:Wikipedia Siebenburger Sachsenより)
ルーマニアとドイツでトランスシルバニア人向けの新聞も発行されているようです(ドイツ語)。
ちなみに、トランスシルバニア地方、かなりのどかな原生の自然が残る地域です。モンゴルで馬に乗った時見た風景を思い出しました。
途中、羊の群れを見ました。羊の大群は、かなりモンゴルの風景っぽいです。
この地域で最も規模が大きいシビウ(ドイツ語名:ヘルマンシュタッド(Hermannstadt))という街があるのですが、雰囲気が漫画・アニメの『進撃の巨人』っぽい感じの街です。1241年ごろに馬に乗ってモンゴルからここまでやってきたのが信じられないと思えました。
シビウ駅の作りが、何となくウランバートル駅に似ていいます。やはり、旧社会主義国だった名残があるのかもしれません。
そのシビウで、何とモンゴル名物のチャツャルガン(Чацаргана)のジュースを発見しました!これはかなり興奮して、買ってしまいました。
味はというと・・・砂糖が一切入っていない生のチャツャルガンの味で、非常に渋いものでした(笑)。
さらに、ナショナルジオグラフィックでも特集があります。非常にのどかで牧歌的な地域ですが、若い人は豊かな場所であるドイツ、オランダ、フランス、ノルウェー などへ働きに出てしまい、高齢化が進み、家畜の数が急激が減ってきているようです。
あと、街中に普通に馬が走っていました。流石に、今のウランバートルで馬を見るのは、ナーダムの時だけですね。トランスシルバニアでは、馬車はまだ現役バリバリだそうです。
今回はここまで。
Баяарлалаа、Mulțumesc.
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