ウルジートクトフさん
【写真 杣蟶遒蠅靴織離粥璽鵐痢璽觚園について説明するウルジートクトフさん=2019年10月3日
上から見た公園
【写真◆朶篁海両紊ら見たノゴーンノール公園。住宅地の中のため池が公園になった
 
 ウランバートルの北に「ゲル地区」と呼ばれる住宅地が広がっている。ここに「ノゴーンノール」と呼ばれる公園ができ、市民の間で話題になっている。住民が、ごみ捨て場になっていた場所を公園に変えたのだという。もともと「モンゴル抑留」の日本人が、強制労働で採石した場所でもあり、その歴史を踏まえた、日モ交流の新しい名所になると、私は期待している。

 ノゴーンノールは、直訳すると「緑湖」。岩山の穴に雨水がたまった池だ。ため池の所有者は、近くに住むウルジートクトフさん。エルデネット出身の43歳。ため池の面積は約1400平方メートル。池を囲む山の斜面は国有地だそうだが、それも含めると9000平方メートルぐらいになるという。さらに岩山の上、ウランバートルの市街地を望む場所にも、ウルジートクトフさんが所有する土地があり、植樹をしているそうだ。

 ウルジートクトフさんは、消防署員、演劇監督の助手、韓国出稼ぎなどを経て、現在はアパート経営に当たっている。

 2009年9月、山の上からウランバートルの市街地を見て「すばらしい眺めだと思った」ことが、そもそもの始まりだ。同時に、足元のそばに大きな穴があり、水がたまって、ごみが捨てられていた。「これではだめだ。公園にできないか」と思ったという。

 2010年、ため池の土地を購入し、2012年、ごみの撤去を始めた。家族からは反対されたが、大工をしている父親は協力してくれた。親子で公園造りが始まった。池の周りに木道を作り、池に下りる階段などを整備した。休憩する小屋や長いすもできた。

 この場所は、もともと採石場だった。採石作業に日本人が関係していることを知ったのは、2016年、モンゴル抑留の事情を知っているモンゴル人の話を聞いてからだという。

 私は、ウルジートクトフさんから、1950年に撮影されたというスフバートル広場の写真を見せてもらった。現在の中央政庁舎(国会、大統領府、首相府)の右手奥にモンゴル国立大の建物が見える。国立図書館から撮影されたという。左手奥に赤い矢印が付けられている。そこがノゴーンノールだが、全くの山の斜面に見える。

 1945年、当時のソ連は、対日戦で60万人の日本軍捕虜を獲得した。いわゆるシベリア抑留だ。このうち1万2000人がソ連からモンゴルに引き渡され、ウランバートルなど16カ所に分けられ、都市建設やトーラ川沿いの樹木伐採などに駆り立てた。

 ノゴーンノールの採石場でも多くの日本人が働かされた。掘り出した石は、主にスフバートル広場周辺の道路の敷石になったという。

 公園は、夏は貸しボート、冬は貸しスケートの営業もしているが、入場料はなく、市民は自由に散策できる。ゲル地区には、半径5キロの範囲に16カ所の学校があり、子どもたちが遊びに訪れる場所になっているそうだ。

 私がノゴーンノールを知ったのは、2017年2月、東北大の東北アジア研究センターで開かれたゲル地区のシンポジウムを傍聴したときだった。東大大学院生のG・ロブサンジャムツさんが、まちの話題として公園を紹介した。以来、私は「いつか行ってみたい」と思うようになり、今年10月、ようやく実現した。

 ウルジートクトフさんは、昔の写真や映像を集めており、「ゆくゆくは資料館をつくりたい」と話している。

 ウルジートクトフさんは、日本に興味があり、日本センターの日本語講座を受講したこともあるそうだ。「ノゴーンノールを日本人に知ってもらい、モンゴルと日本の交流に役立てることができれば」と静かに力強く話した。

▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。