教員の日
【写真】生い立ちや教員になった理由などを話すラオグドラムさん(中央)。茲魯淵薀鵐丱筌觜残后2019年10月5日

 新モンゴル小中高の創立19周年の記念式典が10月5日、姉妹校・日馬富士学校の体育館で開かれた。この日は「教員の日」。式典では、校長式辞や来賓祝辞など型通りの行事もあったが、「ゲストティーチャー」として登壇した生徒指導のラオグドラム(LD)さんが、ナランバヤル校長や生徒との間で、なごやかな会話を繰り広げた。
 LDさんは、馬乳酒で有名なブルガン県サイハン村の遊牧民の家庭に生まれた。檀上のスクリーンには、乳しぼりの手伝いをするLDさんの写真が映し出される。大草原を走るトラックの荷台に人がいっぱい乗っている写真もある。「昔はバスなんてなかったんですよ」とLDさんは説明した。
 子どものころから成績が優秀だったLDさんは、会計士を目指してモンゴル国立大の経済学部を受験した。しかし合格できなかった。1年間、遊牧民の生活に戻った後、今度は教育学部に合格できた。その後、「先生になって良かった」という体験談が続く。 LDさんは、教員生活をするうちに、自分の学校を持ちたいと思い、実際に開校した。しかし、資金が足りず、1年で挫折したという。「学校の経営者よりも、教員のままで生きようと思った」と反省の弁を語った。
 なぜ新モンゴル小中高の先生になったのか―。学校経営に失敗し、教育改革のNGOで活動していたとき、当時のガルバドラッハ校長に誘われたからだという。しかし、気が進まず、採用試験の面接の日は、「ノー」と言おうと思って出かけたという。ところが、実際に学校を見せてもらううち、気持ちは「イエス」に変わった。「外国人(日本人)が、親と同ように支援している学校であることを知って、ここで働いてみようと思った」という。
 生徒との質疑応答では、人生相談のような質問も出た。7年生(中2、日本では中1)の女子生徒からの質問だった。
 「最近、母が出産しました。私は3人の弟や妹の面倒をみなければなりません。私は、ほかにやりたいことがいっぱいあるんです。先生、私はどうしたらいいでしょうか」
 LDさんは答えた。「私は子供のころ、いろいろと家の手伝いをしました。あなたも、きょうだいで、できることを分担すれば、きっとできますよ。がんばりましょう」
 LDさんへの感謝の言葉を述べる生徒もいた。「私は、父が交通事故で亡くなったとき、とても悲しかった。収入がなくなり、学校に行けなくなった。そのとき、先生は、奨学金を見つけて、励ましてくれました。先生、あのときは、ありがとうございました」
 LDさんは「私も25歳のとき、父親を亡くしました。あなたの気持ちは、よくわかります。あなたは、よくがんばりましたね」と応じた。
 生徒会の役員をしている生徒も感謝の言葉を述べた。「先生は、生徒指導の文書を、ガラ先生(ガルバドラッハ校長)に出したら、赤い字でいっぱい直されたと言いました。私も、生徒会の文書を先生に見せると、いっぱい直されます。先生、いつも私の文章を直してくれて、ありがとうございます」
 式典の会場は、完成したばかりの姉妹校の体育館。バスケットボールのコート2面が使える立派な施設だ。そこに生徒、教職員、来賓合わせて1000人以上が詰めかけた。新しい施設のこけら落としのような式典だった。
 こんな中、生徒と先生による会話が続いた。私は、そばで聞いていて、ほのぼのとしたアットホームな空気を感じた。すばらしい学校だと思った。
 




▽森修 もり・しゅう
1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。
全身全霊 第70代横綱、18年間のけじめ 日馬富士公平
日馬富士 公平
ベースボール・マガジン社
2018-09-27