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【写真説明】山形大学のユウ・ミンホァン教授(基盤教育)の授業でモンゴル渡航について後輩たちに話す花屋莉保さん=2019年7月3日
 

 山形大学を今春卒業した花屋莉保さん(山形県上山市)はウランバートル市の新モンゴル小中高の教員になるため近く出発する。花屋さんは、山形大の地域教育文化学部で児童教育を専攻しており、新モンゴル小中高の小学校課程の教員を目指している。同校では、高校課程で日本語を教えた日本人は多い。しかし、小学校の日本人教員は初めてのケースとなる。
 花屋さんとモンゴルとの出会いは、2017年12月、新モンゴル学園の理事長で日馬富士学校の校長も務めるJ・ガルバドラッハ(愛称ガラ)さんが山形大で講演したことに始まる。ガラさんは、山形大で修士号を取得しており、2000年10月、モンゴル初の3年制の高校「新モンゴル高校」を創設した。同高は後に小中高一貫教育の学校になった。ガラさんは、2014年に大学と日本式の高専、2016年に「子ども園」、2019年には姉妹校となる日馬富士学校も開校した。
 講演会でガラさんは、モンゴルの教育事情や日本とのつながりについて話した。日馬富士学校の創設計画も披露した。会場には、山形大の学生だけでなく、ガラさんの長女トゴスさん(新モンゴル学園専務理事)が卒業した山形西高の生徒も大勢詰めかけた。
 講演の後、質疑応答で花屋さんはマイクを握った。「私は将来、小学校の先生を目指しています。もし新モンゴル学園で教えたいと言ったら、雇っていただけますか」
 ガラさんは「ああ、いいですよ。どうぞ来てください」と答えた。花屋さんにとっては想像を超える回答だった。私は、会場の隅でやり取りを聞いていた。ガラさんが、大事なことを安請け合いしているようにも思えて、心配になった。
 花屋さんは早速、翌年2月、自費で新モンゴル小中高を見に行った。ナランバヤル校長に会って、いきさつを話した。校長は「うちの学校で教えたいなら勉強しなくちゃね」と言ったという。同時に「8月のサマースクールで講師をやってみませんか」と誘った。
 サマースクールは、日本留学を希望する新モンゴル高の卒業生や生徒を対象にした日本語の特訓講座で、毎年7月末から8月末まで開講している。講師は、新モンゴル高のモンゴル人教員はもちろん、毎年、日本の大学生もボランティアで務めている。昨年は、日本から11人の若者が参加した。花屋さんは初めて体験したが、インターンシップ(職場体験)という側面もあった。
 花屋さんは、今年2月から3月にかけて3回目のモンゴル訪問を行い、学校側と勤務条件など詳細を詰めた。今のところ、今年9月の新学期から2年間、教員として働く契約になっている。午前中は高校クラスで日本語を教え、午後は小学校で子どもたちと一緒に学び、将来、理科と体育の授業を受け持つことになっている。高校で日本語を教えながら小学校の副担任を務めるということのようだ。
 新モンゴル高が2000年10月に開校したとき、山形大の大学院生、佐藤綾さんが日本語の教員になり、1年間務めた。佐藤さんは、同校の日本人教員第一号だ。花屋さんが小学校の教員となれば、新たなパイオニアとなる。
 小学校で教えるとなると、モンゴル語が欠かせない。高校の日本語教員ならば、モンゴル語ができなくても、なんとかなる。これまでの事例では、そうだった。しかし、小学校となると話は異なる。
 花屋さんは目下、モンゴル語を特訓中だ。今年のサマースクールで2回目の講師を務め、モンゴル語にみがきをかける予定だ。
 花屋さんにとっては、「学習指導要領」も不安材料だ。私が、新モンゴル小中高の教員と元教員に聞いたところでは、モンゴルにも日本の学習指導要領のようなものはある。2015年に教育省が「コアカリキュラム」を策定したという。
 しかし、花屋さんは「どのように教えるか、詳しいものはない」と言う。例えば、日本では、とび箱の授業のときは、まず恐怖心を取り除くために、遊びから始めるという。少しずつ状況に応じて、箱の段数を上げ、箱を飛び越えるまでの指導方法が、細かく決められている。花屋さんにしてみれば、何を教えるかだけでなく、同時に、どのように教えるかの手引書、虎の巻がほしいということか。
 昨年6月末から28日間、新モンゴル小中高の教員(現在は日馬富士学校教員)のウルジーさんが山形大で短期研修した。私が彼女に感想を聞いたところ、山形大学付属小学校の算数の授業が一番印象に残ったということだった。
「40マイナス18」の問題を解く授業だった。彼女は、そのことに5日もかける丁寧さに驚いた。1クラス32人の全員が正解を導くまで時間をかけるのだという。できた子も、できない子と先生のやり取りを、しっかり聞いている。モンゴルでは「40マイナス12イコール28」の答えができたら次に進む。「全員理解まで5日もかけるなんて…」と彼女は驚いた。私の経験から言っても、山形でそんな丁寧な授業が行われているとは驚きだ。
おおらかで、おおざっぱなモンゴル式。きめ細やかで窮屈な日本式。そんな国民性の違いまで連想してしまう。花屋さんは、これから、モンゴル語だけでなく、どのように教えるかで試行錯誤が続くのではないか。頑張ってほしい。



▽森修 もり・しゅう

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。