IMG_1624

 

【写真説明】今春、山形大に入学した高校の後輩デルゲルツェツェグさんと話すガリドさん蕁畛碍岨圓了碍疎臂白川キヤンパス

 

 山形大学のモンゴル人留学生ガリドさんは、大学と交流協定を結んでいるフィピン・セブ島私立サン・カルロス大学に、昨年8月から今年5月まで10カ月間滞在し、このほど山形に戻った。

 ガリドさんは、ウランバートルの新モンゴル高校を卒業して、2016年4月、山形大人文社会科学部経済経営コースに入学した。同高は、創設者が山形大で修士号を取得しており、日本式教育で知られ校長はじめ日本留学の経験を持つ教員多い

ガリドさんは、高校のころから日本語を学んでいるが、英語にも磨きをかけようと、山形大と協定を結んでいる米国ハワイの大学に短期留学計画した。しかし、就学ビザが取れず断念第二志望のフィリピンに留学先を変更した。サン・カルロス大の場合、観光ビザで入学でき、ビザの延長も可能だった。

フィピンは、フィリピン語(タガログ語)と英語が公用語。サン・カルロス大があるセブ島は、セブアノ語を母語とする住民が多いが、大学の授業では英語が多く使われる。

ガリドさんは、サン・カルロス大では、開発経済学、会計学など6つの授業を受けた。授業の内容が理解できないときは、英語のできる友人たちに助けてもらったという。

入学当初は、家賃が月額2万円の大学の寮で生活した。しかし、部屋に窓がな暗く、シャワー設備もなかった。「バケツにくんだ水で体を洗った。お湯も出ない」という。

ということで、一緒に留学していた山形大の日本人学生と共同でアパートを見つけ、半年間生活した。家賃月額3万5000円は2人で折半したこのアパートはシャワー設備はあったが、ベッドは一つなので、二人一緒に寝た

フィリピン留学の目的である英語は「まあ、自信がつきました」とガリドさん。授業は、質問などが自由で「ざっくばらん、オープンな感じでした」と言う。

フィリピンでは、ドテルテ大統領が麻薬撲滅に熱心で、検挙現場で容疑者射殺を容認する発言がニュースになったりした。授業では、こうした大統領の強硬姿勢について「やりすぎだ」「いや仕方ない」と議論が盛り上がったこともあった。

フィリピンは、貧富の差が大きく、ストリートチルドレンもいっぱいいた。乗り合いバスに子どもが入ってきて、勝手に歌を披露して金銭を要求したりした道路を歩いているときカバンから財布を抜き取られたこともあった

ガリドさんは、山形大の1、2年のときは、ロータリークラブの米山奨学金で学んだ。フィリピンへの渡航費と生活費、授業料などはロータリークラブや山形市内の企業から支援してもらった。現在、この会社で働きながら山形大学4年目の生活を送っている

ガリドさんの母校、新モンゴル高は、2000年に開校し、卒業生の日本留学は2004年からだが、既に400人を超えている。しかし、日本の大学に入学後、交換留学制度を利用して、アメリカやオランダなどの大学に短期留学(3カ月または10カ月程度)する人は多い。大学のインターンシップ制度を利用して渡米、大統領選挙の事務所で働いた人もいる。また日本の大学を卒業後、アメリカやカナダなどの大学院やビジネススクールに入学する人も多い

モンゴル人は皆、一生懸命だ。しかし、一所懸命というわけではない。遊牧民の伝統、気風なのかフットワークは軽い。チャンスがあれば、さらなる飛躍を目指す人が多いと私は思う。

▽森修 もり・しゅう


1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。