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【写真 曠Ε屮襯魯鵐イ県バヤンテグの町外れにあるゴアンズ(食堂)
 
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【写真◆杰堂の客を世話する女将さん犬
 
 
 モンゴルの犬は働き者だ。惰眠をむさぼる?平和な日本の犬とは違うと思う。
 ゴビアルタイ県とバヤンホンゴル県にまたがる特別自然保護区にマザーライ(ヒグマの仲間)の調査に行ったとき、行きと帰りに、ウブルハンガイ県西部のバヤンテグという炭鉱の町に泊まった。
 ウランバートルを車で出発し、9時間ほど走った後、薄暗くなったころ、バヤンテグに着いた。しかし予定していたホテルは、だれもいない。近くの食料品店で聞いたところ「ホテルの経営者はニンジャ(金探し)をやっている。いつ帰るかわからない。とりあえず食堂に行って待っていたら」と言われた。
 5月だったので、日が落ちると寒さがこたえた。食堂は暖かく、居心地は良かった。ツァイワン(焼きうどん)を注文し、食べながら経営者の女性にホテルの件を話し、「ここに泊まれるかな」と聞いたら、OKの返事。
 そこで、食事の後、テーブルを入り口の方に寄せ、持参していた工事用シートを床に敷き、寝袋を並べた。私と米田一彦さん(クマ研究家)の日本人2人は、長椅子に寝袋を広げた。
 食堂の建物は、厨房に煮炊き用のかまどがあり、煙突は客用区画との間の壁の中を通っている。床ではなく壁のオンドルのような構造になっている。
 寝る準備をした後は、厨房でモンゴル・ウオッカ「アルヒ」を酌み交わす宴会になった。経営者の7歳の女の子が、自ら歌いながら踊りを披露するサービスまであって盛り上がった。
 宴会が終わり、皆が寝静まったころ、私は気分が悪くなった。駄目だこれはと思い、外に出た。このとき、出入り口の外に丸くなっていた黒い犬を踏んずけてしまった。「キャーン」と悲鳴が上がった。暗がりに黒犬なので気づかなかった。ごめん。
 私は吐きそうだった。なるべく食堂から離れようと思い、歩き出したら、黒犬がついてくる。雌犬で、私たちが到着したとき、「いらっしゃいませ」とでも言っているかのように、ぶりぶりと、しっぽを振って歓迎してくれていた。食堂の女将さん犬は、私の具合の悪さを察知したのか、ついてくる。
 懐中電灯を頼りに100メートルぐらい歩いたところで、吐いた。そのとき犬は、下から待ち受けていたかのように口を開き、受け止める。酔っぱらいの扱いに慣れているような感じだった。翌朝、見たら、黒犬の耳の辺りが白くなっていた。うまくキャッチできなかった跡だった。
 吐くと気分は良くなる。しかし、今度は便意を催した。ここはモンゴルだ。用を足すのは、どこでもいい。食堂の建物からは離れている。夜中だし、だれもいない。よし、いいなと思って、ズボンを下ろしたら、犬がいた。犬は、尻をなめるかのように近づき、排せつすると、パクっと食べる。見事な早業と言いたいところだが、ヒヤヒヤしながらの用便だった。
 ということで、後始末は全部、女将さん犬がやってくれた。私はティッシュペーパーに砂をかけて埋めるだけだった。
 食堂には大将犬もいた。食堂の勝手口を出ると物置やゲルがあり、この辺りを大将犬が守っていた。大将犬は後ろ脚が不自由だった。女将さん犬は、客が出入りする道路側を守る。2匹で役割分担していた。
 ウランバートルの東、ナライハの手前の山に天文台がある。天文台に隣接するホテルにも女将さん犬がいた。犬は、客が来ると駐車場に出て、しっぽを振って迎える。帰るときも、しっぽを振って見送ってくれた。ホテルの玄関わきの囲いの中に犬小屋があり、生まれて間もない子犬が見えた。ここの女将さん犬は、子育てしながら働いていた。
 モンゴルの犬というと、遊牧民の番犬を思い浮かべる人が多いかもしれない。でも、客をもてなす女将さん犬にも注目してもらいたい。


▽森修 もり・しゅう 

1950年、仙台市生まれ。元河北新報記者。1998年、山形市で勤務していたとき、たまたま入ったバーでアルバイトしていたモンゴル人の留学生と出会う。以来、モンゴルの魅力に取りつかれ、2005年「モンゴルの日本式高校」、2012年「あんだいつまでも新モンゴル高校と日本」をそれぞれ自費出版。