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【いつもたずねる場所】

1945年8月15日、終戦。

時はくだって2018年の8月9日、わたしはモンゴル・ウランバートルの北のかた、ダンバダルジャー日本人墓地跡公園を訪れていた。


宿としたトップツアーズゲストハウスを出て、ツーリストアベニューで東へと向かうタクシーを路上でつかまえ、約30分。

旅行ガイドにはタクシーの高額請求や市場でのスリなど物騒な情報がのっているが、そんなに危ないこともない。

片道8,000トゥグリク(約400円)の往復と、現地で1時間待ってもらうようお願いして、前金10,000トゥグリク、後払いで10,000トゥグリク、計20,000トゥグリク(約1,000円)で運転手さんを手配しておもむく。

いい交渉だ。


第二次世界大戦がおわった当時、ソビエト連邦による「シベリア抑留」で、おおくの日本人戦争捕虜が、極寒の地でつらく長い収容所生活と強制労働にしたがった。

そのころ、ソ連の傘下にあって共産主義国だったモンゴルにも日本人捕虜の割り当てがあり、彼らは各地に派遣され、都市整備に働いた。

そして、帰国の日を見ずに亡くなった人のうち800人あまりのひとびとがラマ寺のダンバダルジャー寺院近くの丘に葬られた。


いつからか、モンゴルに来ると必ずここを訪れる。

わたしは、チンギスハーンの世界征服史を本で読んだり、歴史シミュレーションゲームを通じてモンゴルに馴染んできた。

そんなわたしが、いまを生きるモンゴル人に親しみを覚えるきっかけになったのが、この日本人墓地だった。

いまウランバートルにたたずむ古い建物のなかには、日本人捕虜が建てたものがいまだにあるという。

そしてなにより、首都の中心であるスフバートル広場は、日本人捕虜が築いた。

当時のモンゴル人たちは、虜囚という立場を超えて素晴らしい仕事をする日本人に対して敬意をいだき、親しく交わるようになったという。


1990年、ソ連の共産主義が崩壊し、モンゴルも経済の混乱をきたした。

そのとき、日本はいち早く経済援助を行った。
モンゴルはこれを恩に感じたとして、特に親日国として知られている。

けれども、モンゴルのひとたちの日本への親しみは、かの国に抑留された日本人の働きによって芽吹いていたのではないだろうか。


いまは、桜の苗木を植樹して、墓地をうつくしい公園にしようとしている。

モンゴルのような厳しい自然で桜が育つかはわからないが、心意気をしめしてくれているのがとても嬉しいではないか。


わたしは、ここを訪れるたび、モンゴルのひとたちに感謝するのだ。


モンゴル旅行体験談

寄稿 大道 卓矢